野の百合、空の鳥

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【俺ガイル完 11話】考察・解説「待つ」ということ【前編】

Ⅰ. はじめに

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「待たなくていい」と言われ、驚くような表情を見せる由比ヶ浜(『俺ガイル完』11話, 渡航, 小学館, やはりこの制作委員会はまちがっている。完, TBS, 2020)

率直に言って、11話も疑問の連続であった。

  • 公園で八幡が「お前はそれをまたなくていい」と言うと、由比ヶ浜は衝撃を受けたような表情をし、かすかに震える。なぜか?
  • 八幡と別れたあと、由比ヶ浜はどうして涙したのか? 「あたしは、あたしたちは、初めて本当に恋をした」とはどういうことか?
  • 八幡はなぜ成功しそうもない合同プロムを企画したのか? それになぜ雪乃はそれを引き受けたのか?
  • 陸橋での八幡と雪乃のやり取りはどういう意味なのか?

とくに原作未読の方は腑に落ちない点も多かったのではないだろうか。

以下では例のごとく、そのような問いにを改めてきちんと問い直し、丁寧に答えていきたい。

(また、それに当たって以前私が考察で述べていたことと齟齬がある点も出てくるかもしれないが、それらの点は改めて考え直した点であるので、本稿を今の私の考えとして受け取っていただければ幸いである。)

 

 

Ⅱ. 由比ヶ浜結衣との関係

ⅰ. 「これでほんとにいいと思う?」

公園で由比ヶ浜は「これで、ほんとにいいと思う?」と問う。「本当に終わりなら。あたしのお願いちゃんと言うから」と言うのだ*1

由比ヶ浜はどうしてこんな確認をしたのだろう? つまり由比ヶ浜はこんな確認などしなくとも、先に八幡に「お願い」を言うことができたはずだ。もっとはっきり言えば、先に八幡に告白してしまうことだってできたはずである。

それでも由比ヶ浜がこうして「確認」するのは、やはり彼女が誠実で、「ずるい」*2ことを嫌うからだろう。

というよりも、端的に言って由比ヶ浜はやはり「優しい」のであって、自分よりも奉仕部3人のことを優先してしまうのである。だから「全部欲しい」と言いつつ、自分が欲しいものだけは手にできない

 

ⅱ. 「じゃあさ……」

だからこそ由比ヶ浜は八幡の本当の気持ちを聞いて言いよどむ。八幡が「(奉仕部を)終わらせてもいいと思ってる」と言うと、由比ヶ浜は「じゃあさ……」と何か言いかける。

「じゃあさ……」の言葉の続きは何だったのだろうか? 由比ヶ浜は、本当はここで自分の気持ちを伝えるつもりだったのではないだろうか

というのは10話で雪乃と由比ヶ浜が「終わり」を了承したのに続いて、ここで八幡も奉仕部(の関係)を一度終わりにすることに同意したからだ。一度関係性が清算され、一度3人の関係が終われば、「フェア」になる。

そういう条件が整ったと思ったから、由比ヶ浜は「じゃあ」と順接めいたことを言ったのだろう。一度3人の関係がリセットされたなら、じゃあ、もう2人だけの関係の話をしてもいいよね? というわけだ。

しかしその言葉の続きは八幡にさえぎられる。

 

ⅲ. 「関わりがなくなるのが嫌で、それが納得いってねぇんだ」

では由比ヶ浜の言葉をさえぎってまで八幡が言ったことは何だったのか? それは雪乃のことだった。

「めっちゃ気持ち悪いこと言うけど、単純にあれだ。俺はあいつと関わりがなくなるのが嫌で、それが納得いってねぇんだ」*3

しかも八幡が欲しているのはたまに挨拶する程度の、「馴れ合いみたいな関係」ではない。もっとちゃんとした関係を、深い関係を、八幡は望んでいる。

だからこう言ってよければ、由比ヶ浜結衣は、一度ここで「フラれて」いるのである*4

 

ⅳ. 「全部欲しい」、「だから……」

そして八幡のこの言葉を受けて、由比ヶ浜は改めて「全部欲しい」と口にする。

「全部」とは「全部」だ。八幡とも親密な関係(あるいは恋人という関係)を結び、雪乃とも相変わらず仲良く付き合い、奉仕部3人の関係性も継続する。

しかし、もうそのうちのいくつかは叶わない。つまり「フラれて」いるのだから、由比ヶ浜は八幡を手に入れることができない。その意味で「全部欲しい」という願いは、ここでいわば「縮小」してしまっているのである。

したがって「全部欲しい」と言った直後に、由比ヶ浜は「だから、こんななんでもない放課後にゆきのんがいて欲しい。ヒッキーとゆきのんがいるところにあたしもいたいって思う」*5と言う。

言うまでもなく、それは「全部」ではない。由比ヶ浜は「全部」を欲することはできても、「全部」を手に入れることはできない。

 

それにこれだけではない。八幡はさらに「待たなくていい」という残酷な言葉、しかし同時に思いやりも込めた言葉を口にするのだ。

 

 

Ⅲ. 「待つ」ということ

ⅰ. 「いつかもっとうまくやれるようになる」

八幡は言う。「いつかもっとうまくやれるようになる。こんな言葉や理屈をこねくり回さなくても、ちゃんと伝えられて、ちゃんと受け止められるように、たぶんそのうちなると思う」、「けど、お前はそれを待たなくていい」*6

八幡はこれまで、自分の身を遠回しな「言葉」で偽装してきた。「義務」とか、「責任」とか、「男の意地」とか、そう言った「言葉」や「理屈」で装って、本当の気持ちを素直に表現することはほとんどなかった。

しかしそれを「いつか」は「うまくやれるようになる」と言う八幡。しかしつい先ほど、八幡は雪乃との「関わりがなくなるのが嫌で、それが納得いってねぇんだ」と素直な気持ちを「言葉」にしていた

雪乃に対する気持ちを、本人ではなくなぜか由比ヶ浜に吐露し、そして後で見るように雪乃には気持ちをストレートには伝えない。このちぐはぐさについては後で考えることにして、今は「待たなくていい」というその言葉について考えよう。

 

ⅱ. 「待たなくていい」は残酷か?

「待たなくていい」とはどういうことか?

まず何を「待たなくていい」のかと言えば、八幡が心情をストレートに伝えられるようになることを、だと言えるだろう。

 

ではそれを由比ヶ浜に伝えることには、どういう意味があるのだろうか?

想像してみよう。好いている人間がいて、その人に「私の気持ちをストレートに伝えられるようになるときを待たなくていい」と言われたときのことを。

ちょっとショックではないだろうか。というのは、その言葉は「俺はお前には気持ちをストレートに伝える予定がない」と言われているように聞こえるからだ。

もしそうとらえるなら、八幡は由比ヶ浜にかなり残酷なことを言ったことになる。というのは、八幡が由比ヶ浜に何か気持ちをストレートに伝える予定はないと言っているようなものだからだ。

 

しかしながら、これまでの俺ガイル全体の文脈をふまえて由比ヶ浜のことを考えてみると、八幡はそういうことを言っているのではないように思えてくる

どういうことだろうか?

 

ⅲ. 由比ヶ浜における「待つ」ということ

11話冒頭、由比ヶ浜は昇降口で八幡を「待って」いた。アニメではカットされていたが、そこで由比ヶ浜は「待ってみたかったから」「待ってた」のだと言っている*7

その後、以下のようなモノローグが挿入される。

けれど、思えば。

彼女はいつも待ってくれていたのだ

俺を、あるいは俺たちを。

そのことに今更ながらに気づいて、俺は言葉少なに礼を言う。

「……そうか、ありがと」*8

注目したいのは「彼女はいつも待ってくれていたのだ」という一文だ。

由比ヶ浜が「いつも待ってくれていた」というのは、どういうことだろうか?

 

ⅳ. 「待たないで、……こっちから行くの」

由比ヶ浜の「待つ」という姿勢、あるいは「待たない」という姿勢が明確に示されていた場面がある。文化祭の一場面だ。

「あたしね、ゆきのんのことは待つことにしたの。ゆきのんは、たぶん話そう、近づこうってしようとしてるから。……だから、待つの」

[……]

「でも、待っててもどうしようもない人は待たない」

[……]

「違うよ。待たないで、……こっちから行くの」*9

だから由比ヶ浜は雪乃を待っていた。雪乃が自分の問題を、自分から口にするのを待っていた。そしてそれは2期13話(11巻)で成し遂げられた。

しかし由比ヶ浜は八幡は待たなかった。八幡の気持ちを尊重しながら、八幡の気持ちに沿えるよう行動した。だから2期13話(11巻)では彼に「お礼」を渡したし、わざと八幡が否定するような結末を嘯いてみせた。

しかしどうだろうか。本当に由比ヶ浜は八幡を待たずに、「こっちから行く」ことが最後までできただろうか?

 

ⅴ. 「お母さん」してしまっている?

結論から言えば、由比ヶ浜は「こっちから行く」という姿勢をいつでも貫いたわけではなく、「待って」しまっていたこともあったと考えられる

そういう由比ヶ浜の「待ち」の姿勢をこそ、陽乃は以下のように指摘していたのではあるまいか。

「比企谷くんはガハマちゃんに依存しちゃってるんだよね。それで、ガハマちゃんはそれを嬉しいと思って、なんでもしてあげる気になるの。……本当はここが一番重症なんだよ」*10

つまり、あえて陽乃風に言うなら、由比ヶ浜は「お母さん」してしまっているのではないだろうか。由比ヶ浜は八幡や雪乃を、まるで母が子を扱うようにして、見守り、辛いときは支え、あるいは頼られることを「待って」いたのではあるまいか。

そしえそれは先の場面でも同じだったのではないか。由比ヶ浜は「これでいいと思う?」と「確認」することで、八幡を一度「待った」「こっちから行」かずに、「待った」のだ

もちろんそれは由比ヶ浜の「優しい」、あるいは「ずるい」ことを嫌う性格ゆえだが、しかしそういう「優しさ」が、由比ヶ浜を「お母さん」にとどまらせ、「待ち」に徹しさせたのではないだろうか。

そう考えると、この結末はあまりにも苦しいようにも思える。

しかしながら、ここまで考えることによって初めて、「待たなくていい」という言葉は今までとは違う意味を響かせ始める

 

ⅵ. 「待たなくていい」という「お母さん」からの解放

以上のようなことを踏まえると、「待たなくていい」というのは、ある意味由比ヶ浜の背中を押すような肯定的な言葉でもあるようにも思えてくる

というのは、「待たなくていい」というのは、「こっちから行くの」と言いつつ今まで「こっちから行」けずにずっと「待って」いた由比ヶ浜に対して、もう「待たなくていい」、「こっちから行く」姿勢を貫いていいと伝える言葉でもあるからだ。

それは「お母さん」からの解放を意味する。つまり、由比ヶ浜はここで初めて本当に「お母さん」から解放され、素の由比ヶ浜結衣として、初めて八幡と本当に「対等に」人として向き合ったのではないだろうか

(当然八幡は、以上のようなことに意識的でない可能性がある。というよりその可能性の方が高いだろう。そして由比ヶ浜もまたそうだろう。しかし「待つ」という言葉は以上のような射程まで含み、そしておそらく八幡や由比ヶ浜が後からそのことに気づく可能性なら大いにあるだろう。)

 

ⅶ. 別れの言葉

だから「待たなくていい」というのは色々な意味で別れの言葉とも言える。すなわちそれは、今まである意味「お母さん」のような側面を担ってしまっていた(もちろんそうでない側面もある)由比ヶ浜に対する別れ、それを含めたいびつな三角形になってしまっていた奉仕部3人の関係性に対する別れ、あるいは「奉仕部」そのものへの別れの言葉だ。

こうして、ここで本当に「奉仕部」としての八幡と由比ヶ浜との関係は「終わり」を告げられるのだが、しかしもうすでに八幡は雪乃への「気持ち」を由比ヶ浜に伝えてしまっている。初めて対等に向き合えたのに、由比ヶ浜になす術はないのだ。

ここにおいて、由比ヶ浜は再び「フラれる」

 

すなわち、まとめると「待たなくていい」という言葉は、関係性を一度リセットするような別れであり、それは由比ヶ浜を「母」から解放するのだが、しかし雪乃への想いを告げられた今、由比ヶ浜は身動きがとれないのだ

だからどうしようもなく、彼女は涙を流す。

 

ただもちろん、彼女が涙する理由はそれだけではない。

つまり、彼女は「恋」をしたから涙を流すのだ。

 

 

Ⅳ. 「あたしは、あたしたちは、初めて本当に恋をした」

ⅰ. 「好きだなんて、たった一言じゃ言えない」

でも、やっぱり言葉は出ない。

言葉なんて、出ない。

好きだなんて、たった一言じゃ言えない。

それ以前の話で、それ以上の問題で、それどころじゃない感情だ。

あたしは、あたしたちは、初めて本当に恋をした。*11

由比ヶ浜は一貫して、「伝えた方がいい」というスタンスを取ってきた。そのことは先の公園の場面で、八幡に「伝える」ように促していることからもわかる。

とくにその姿勢は八幡と対照的だ。例えば先の場面では「一言言えばいいだけなのに」と言う由比ヶ浜に対して、八幡は「一言程度で伝わるかよ」と言っていた。

それなのに、由比ヶ浜はここで「好きだなんて、一言じゃ言えない」という想いに突き当たる。「一言言えばいいだけなのに」と言っておきながら、実は由比ヶ浜が一番、そんなものでは伝わり様がないという想いを痛烈に味わっている

だから「言葉」の無力さを一番に味わっているのは、実は由比ヶ浜であるとも言える。

 

ⅱ. それを「恋」と呼ぶのなら

というよりも、由比ヶ浜結衣というキャラクター自体が、「言葉」が挫折してゆくプロセスそのものを表現していると言ってもよいかもしれない。

由比ヶ浜はどこまでもまっすぐ感情を表現してきたし、また、上記のように「伝えた方がいい」というスタンスを取ってきたが、しかし最後には「たった一言じゃ言えない」という結論にたどり着く。まさに「言葉」が「言葉」の限界に突き当たる瞬間だ。

しかし彼女はそれを「恋」という「言葉」にする。「恋」という「言葉」にくくってしまう。そういう側面が、「あれか、これか」という二元論的側面、ないしは倫理的な側面を体現しているように思う。

つまり、言葉になりきらないような感情を味わうこと、それを「恋」と呼ぶのならそれはそうなのだが、それは言葉になりきらない感情を「言葉」にしてしまっているという矛盾を抱えた事態なのだ(矛盾を抱えていることが悪いと言っているわけではなく、言うならば、それが由比ヶ浜の現時点での限界、あるいは今までのすべての「清算」なのだ)。

 

ⅲ. 「あたしたち」とは誰なのか

そこで問題になってくるのが、由比ヶ浜の言う「あたしは、あたしたちは、初めて本当に恋をした」の「あたしたち」とは誰を指すのかということだ。

まず少なくとも「あたし」、すなわち由比ヶ浜自身はそこに含まれる。そして相手として想定されるのは八幡なので、「あたしたち」には八幡も含まれるだろう。

では、雪乃はそこに含まれるだろうか? 

 

ⅳ. 「恋」と規定したのは由比ヶ浜

はっきり言って、それはわからない。そこは各人の解釈に任せてよいのではないかと思う。

ただどちらにせよ、つまり雪乃が「あたしたち」に含まれていようがいまいが、「あたしたち」が「恋」をしたと規定したのは由比ヶ浜だという事実には変わりがない

何が言いたいかというと、あくまで「あたしたち」が「恋」をしたとしても、それは由比ヶ浜がそう言っているだけのことだということである。

 

ⅴ. それを「恋」と呼ばないのなら

それは要するに、「恋」と思っているのは由比ヶ浜だけであるかもしれず、八幡や雪乃はそれを「恋」とは呼ばない可能性があるということだ。

これは翻って、先ほどの「言葉」の問題に帰着する。つまり、一言では表しきれない感情を、必ずしも「恋」と形容する必要はないということだ。

そしてそのことが、八幡と雪乃の関係性を見る上で大切になってくる。

 

【後編】へつづく……

 

【後編】↓

<参考文献等>

渡航『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。①-⑭』(小学館 ガガガ文庫、2011-2019)。 

アニメ『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』(2013)、『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。続』(2015)、『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。完』(2020)。

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*1:⑭329頁。

*2:「なんか……ずるい気がするから」(⑪222頁)参照。

*3:⑭334頁。

*4:「フラれて」と言うのはもちろん比喩であって現実ではない。八幡は雪乃との関係をさらに深くしたいと言っただけで、由比ヶ浜を「選ばない」とここで言ったわけではない。由比ヶ浜を「選ぶ」とも「選ばない」とも言っていないわけで、その意味では由比ヶ浜は「フラれて」いないが、しかし奉仕部、ないしは3人の関係性は一度「終わらせてもいい」と言った上で、その後の由比ヶ浜との関係について何も言わないまま、先に雪乃との関係を諦められないと口にすることは、その点において、由比ヶ浜よりも雪乃を「選んだ」ということになりうる。その意味で由比ヶ浜は「フラれて」いる。

*5:⑭338頁。

*6:⑭340頁。

*7:⑭320頁。

*8:⑭321頁。太字は筆者による。

*9:⑥254-255頁。

*10:⑬332頁。

*11:⑭345頁。