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【俺ガイル完 1話】感想・考察「諦める」ことの意味

Ⅰ. 雪解け

俺ガイル完OPには、結末が「雪」ではなく「雨」であることを望む趣旨の詩がある。

これはもちろん、物理的な雪解けも意味しているが、同時に雪乃の問題がほどけてゆくことひいては奉仕部の問題が解消していくことを暗示している。

だからOP映像では最初は「雪」だった天気が、最後には「芽ぐみの雨」に変わるのだ。だから物語の季節は「冬」から「雪解け」の季節である「春」へと移り変わるのだ。

雪
芽ぐみの雨
「雪」から「雨」へ変わるOP(『俺ガイル完』1話より, Ⓒ渡航、小学館/やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。完, 2020)

俺ガイル完はさしずめそういう物語だ。つまり彼ら彼女らの抱えた問題、とくに雪ノ下雪乃が抱えた問題が解きほぐされてゆくまでの物語だ。

以下では、そんな俺ガイル完1話について、提示されたことを手がかりにより深く考えていきたい。俺ガイルをより深く掘り下げることでより作品の、あるいは彼ら彼女らの物語のより深層へと降りてゆきたいのだ。

 

 

Ⅱ. 「贈与」するということ

ⅰ. 見返りを求めない「贈与」

八幡の贈与

八幡の贈与(『俺ガイル完』1話より, Ⓒ渡航、小学館/やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。完, 2020)

OP明け冒頭、自販機で飲み物を買った八幡は、雪乃と由比ヶ浜の分をおごって手渡す。

何気ないシーンだが、この一幕に、今の奉仕部の状況が、前の状況との対比も含めてうまく表現されている

なぜなら、ここで八幡は見返りを求めない「贈与」を行っており、雪乃や由比ヶ浜はそれを言葉なしに受け容れているからだ。

 

ⅱ. お互いを「知って」いるから

見返りを求めない「贈与」というのはそう簡単にできるわけではない。例えば、道端で出会った人がいきなりタダで食べ物をくれたら怪しいと思うし、あまり親しくない人に高いものをもらうと、何か見返りを期待しているのではないかと勘ぐってしまう。

だからここで雪乃や由比ヶ浜が八幡の「贈与」を受け取れるというのは、ある程度お互いを知っているということ、ある程度お互いを信頼していることの証なのだ

そのことは原作のモノローグに示されている。

俺は、彼女のことを、彼女たちのことを知らない。知らないから正しい答えがわからない。

まるで何も知らない頃ならいくつもの免罪符があったのだ。

知らない相手だから何かおかしいことを言ってしまっても仕方がない、知らない相手だから誤解の一つや二つは当然のこと、知らない相手だから関わらなくても当たり前。面倒事に行き当たりそうなら、それこそ知らんぷりを決め込んだっていい、本当に知らないわけだし。

だがそうやって無視を決め込み、無知を装えない程度には互いのことを知っている。今更そんなふりをするのは厚顔無恥というものだ。

(渡航『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。⑫』p.39より。太字は筆者による)

彼らはお互いを「知って」しまったからこそ、互いの感情を無視できず、今の状況に陥っているのだ。

 

ⅲ. 3巻や9巻との対比

そしてこの場面は3巻のゲームセンターでのやり取り*1や9巻でのディスティニーでのやり取り*2との対比になっている。

確認しておくと、3巻では八幡がとったパンさんのぬいぐるみを「義務」とか「権利」のやり取りをしながらも雪乃が受け取り、9巻では八幡が買ったドリンクを「緊急隊員」の「正当な報酬」の話をしながらも結局雪乃が受け取ったのだった。

3巻も9巻も、そして今回も結局雪乃(と由比ヶ浜)は八幡からの「贈与」を受け取るわけだが、その過程は異なる。すなわち3巻や9巻では必ず雪乃が言葉を弄して一度は受け取らまいとするのだが、今回は一瞬お金を出すような動作をするものの、結局無言で受け取るのだ。

単純な話だが、やはりここには関係性が前よりも親密になっているということが表れている。そしてそのことこそが、彼ら彼女らの関係性を、どうしようもなく前へと進めるのだ。

 

Ⅲ. 「言葉」への慎重さ

ⅰ. 「言葉」への批判意識

しかし互いを「知って」しまったからといって、彼らは不用意に言葉を弄したりはしない。あくまで慎重に、言葉を選びながら着実に歩を進める。

「……雪ノ下、聞いていいか。お前の話」

こんな言い方で何が伝わるのだろうかと自分でも思う。

何を聞こうとしているのかさえよくわからない。

けれど、二人にはこれで充分だったようだ。この言葉には葉どころか枝葉末節いずれも見当たらないし、なんなら幹も根もありはしない。ただ、種くらいにはなったのかもしれない。少なくとも、話をするという意志は、そしてこの停滞した関係性を前に進めるのだという意志だけはそこにあるのだから。

(渡航『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。⑫』p.42)

このように、彼らは曖昧な言葉を使って話を進める。というのは、明確な言葉を使ってしまえば、その言葉である事実が画定してしまうからだ(これについては11巻の考察に詳しく書いたのでそちらを参照されたい)。

11巻の考察でも述べたことだが、この「言葉」への批判意識というのが俺ガイル完の大きなテーマの一つとなっている。

言葉と、言葉の持つ力に敏感だからこそ、彼ら彼女らはこういう状況に陥っているのだ。

 

ⅱ. 「諦めたい」とはどういうことか?

以上のように言葉に慎重になりながら、ついに八幡は雪乃の「問題」について尋ねる。

そこで雪乃は、今自分がどうしたいのかわからないこと、しかし昔は「父の仕事」をやりたかったのだと言うことを告げ、その後に以下のようなことを述べる。

「だから、まずはそこから確かめる……。今度は自分の意志でちゃんと決めるわ。誰かに言われたからとかではなく、ちゃんと自分で考えて納得して、……諦めたい」

(渡航『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。⑫』p.49)

注目すべきは最後の「諦めたい」という言葉だ。「諦めたい」とはいったいどういうことなのだろうか?

先に答えから言えば、「諦めたい」というのは、自分で主体的に行動した結果としてできなかったことを放棄するという意味だと考えられる。

あえて具体的に言うならば、ここで雪乃はまず「父の仕事」を自分から主体的に引き受けようとした上で「諦めたい」と思っている。

 

ⅲ. 「諦める」ことができる条件

大事なのは、「諦める」という行為は、主体的に行ったことの先にしかないと捉えられているということだ。

雪乃が「父の仕事」を単純に放棄することなら現時点でも可能なはずだ。しかし雪乃は今はそれをすることができないと考えている。

なぜなら、母親や陽乃が勝手に雪乃を「父の仕事」から排除したからだ。そもそも自分から「父の仕事」をしようともしていないので、諦めるも何もないのだ。

つまり「諦める」というのは、自分で主体的に何かやって駄目だったときに初めてできることなのだ。それを雪乃は今までしたことがない。なぜなら、すべてが母親や陽乃によって決められてきたからだ

 

ⅳ. 「ずっとそうなんです」

そしてそれこそが雪乃の問題そのものである。というのは、雪乃の問題というのは結局、雪乃にきちんとした主体性がないということだからだ

したがって、きちんと「諦める」ことができるようになるということは、雪乃が主体的に行動できるようになることに等しい

誰かが決めるのではなく、陽乃の後を追うのでもなく、自分自身で決めること、それが雪乃の課題だ。というより俺ガイルを通してずっと雪乃の課題だった。

だから渡航は以下のように呟いているのだ。

そう言う意味では、雪ノ下雪乃の物語というのは何かを「諦める」までの物語だと言うことができるだろう。

 

 

Ⅳ. 雪ノ下陽乃という人間

ⅰ. 陽乃にとっての「諦める」

1話では、AパートとBパートの間で原作にあった陽乃との会話シーンがごっそりカットされていた。

おそらく1話からあの会話をすると重たい印象を与えてしまうからなのだろうし、もしかしたらカットした部分は2話以降に後回しにされたのかもしれないが、重要箇所なので最低限の確認をしておきたい。

そこで事実として重要なのは、雪乃が実家へ引っ越すことになるということだが、私がここで注目したいのは、陽乃もまた「諦める」という言葉を使っているということだ。

「でしょ?雪乃ちゃんがそれを選んだなら、わたしはそれを応援するの。それが正解でもまちがっていても」

「まちがっているなら止めるのが道理では?」

「それを聞く子じゃないし。何より、わたしはどっちだってかまわない。どっちでも変わらないのよ。うまくいったって諦めたって……」

[……]

「そうやってたくさん諦めて大人になっていくもんよ」

(渡航『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。⑫』pp.87-88)

ここは雪乃との綺麗な対比になっている。

というのは、雪乃が主体的に行動したことがないから「諦め」られないのに対し、陽乃はいつも主体的に行動せざるをえないからこそ「たくさん諦めて」きたということになるからだ。

「諦める」ことが主体的に行動できる者の特権なのだとしたら、陽乃はいろいろなことを諦めに諦めてきたその成れの果てということになる。

ここから、少し雪ノ下陽乃という人間像が見えてくる。

 

ⅱ. 「自分なんてない」のは誰なのか

陽乃は雪乃に向かって「……雪乃ちゃんに自分なんてあるの?」*3と問うわけだが、そう言う陽乃には「自分なんてある」のだろうか?

たしかに陽乃はこれまでいろいろなことを主体的にこなしてきたのだろう。自分から何かの役を引き受けたり、たくさんの大人たちに対応し、その中で陽乃は「強化外骨格」を作り上げたのだろう。

 

しかしそれはあくまで「強化外骨格」にすぎない。仕事をうまく進めるための、あるいは人間関係を円滑にするための、「雪ノ下陽乃」という理想像でしかない。

そうだとするならば、そこに「自分」はあるのだろうか?その「雪ノ下陽乃」は、他人からの期待の総体でしかないのではないか?どこかに「本物」の自分がいて、「雪ノ下陽乃」を演じているのではあるまいか?

おそらくこのことに陽乃は自覚的で、だからこそ陽乃は以下のように言っている。

「どんなにお酒を飲んでも後ろに冷静な自分がいるの。自分がどんな顔してるかまで見える。笑ったり騒いだりしても、どこかで他人事って感じがするのよね」

(渡航『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。⑫』p. 92)

そう言う意味で陽乃は「酔えない」というのだ。つまりどこまで言っても、表向きの自分と、いわゆる「本物の自分」が分離してしまうのだ。

そしてこれが、陽乃が「本物」に執着する理由でもある。

 

ⅲ. 「本物」を肯定しつつ否定したい、邪知暴虐の王

陽乃は暇なのか?というくらい八幡たちに付き纏っては「本物」についてごちゃごちゃかき乱すわけだが、これはなぜなのだろうか?

それは陽乃が「本物」を求めつつ、同時に、そんなものあってほしくないというアンヴィヴァレントな(両面的な)想いを抱えているからなのではないだろうか

陽乃は、大人の世界を渡り歩く上で、建前しか言わないような人間と日夜関わっており、上述したように、いつも期待された「雪ノ下陽乃」をどこか演じているように感じている

だから陽乃は、八幡の言う「本物」のような関係性を誰かと結んだことがないのだろう。そうして陽乃は、その「本物」を一方でうらやましく思っている。

 

しかしながら他方で陽乃は「本物なんてあるのだろうか?」と疑い、あるいはそんなものあってほしくないと願っている

というのは、もし「本物」が存在するのだとしたら、陽乃が生きてきた人生はすべて偽物だということになりかねないからだ。

偽物の人間関係しか結んでこなかったであろう陽乃にとって、それはこの上なく辛いことだ。

 

もちろん、陽乃が「本物」に全く一度も手を触れなかったということはないかもしれない。その証拠に平塚先生などは陽乃に向かって「もし君に、……本当に積もる話があるなら、いつでも付き合ってやる」*4と述べている。

そう考えると、陽乃の一番の理解者というのは平塚先生かもしれない。というより陽乃が唯一心を許せるとしたら平塚先生なのかもしれない(そう考えると、平塚先生の器がでかすぎるという感じしかしないのだが)。

いずれにせよ、陽乃が「本物」にこだわる理由は以上のような雪ノ下陽乃という人間観にあるのだと考えられる。

 

 

Ⅴ. おわりに

今回は俺ガイル完1話について考察した。

俺ガイルについての考察を書くためにブログを立ち上げようとして断念してから、約6年の月日が流れた。

思うところは本当にいろいろあるのだが、とにかくじっくり考えたいし、最後なので言えることはすべて言っておきたい。

しかしやはり言葉というのは厄介なもので、その無力さがいつも付き纏って離れない。それでも言葉を諦めたくないと、私は思う。

末筆ながら最後までお読みいただいた読者の方々に感謝申し上げたい。

<参考文献>

渡航『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。①~⑭』(小学館, 2011-2019)

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*1:渡航『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。③』pp.135-137参照

*2:渡航『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている⑨』pp.343-344参照

*3:渡航『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。⑪』p.239

*4:渡航『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。⑪』p.168