Ⅰ. 「だから、誰もが嘘を吐く。」
大事だから、失いたくないから。
隠して、装って。
だからこそ、きっと失ってしまう。
そして、失ってから嘆くのだ。失うことがわかっているなら手にしない方がマシだったと。手放して死ぬほど悔やむくらいなら諦めたほうが良かったと。
変わる世界の中で、変わらずにはいられない関係はたぶんあるのだろう。取り返しがつかないほどに壊れてしまうものも、きっとある。
だから、誰もが嘘をつく。
――けれど、一番の大嘘つきは俺だった。
(『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。⑦』p.265より)
『俺ガイル』7巻のテーマは、「嘘」です。
というより、正確には、「嘘」をつく理由がテーマだと言った方が良いでしょう。
なぜ誰もが「嘘」をつくのか? それは上で引用した箇所にあるように、「大事だから、失いたくないから」です。
では、彼ら彼女らが「大事」にしていたもの、「失いたくない」と願ったものは何だったのでしょうか?
本稿では、7巻の疑問を、できるだけ理論立てて言葉にして解説しつつ、彼ら彼女らの心理について考察していきたいと思います。
Ⅱ. 海老名姫菜の場合
ⅰ. 「自分についた些細な嘘」
「私ね、今の自分とか、自分の周りとかも好きなんだよ。こういうの久しぶりだったから、なくすのは惜しいなって。今いる場所が、一緒にいてくれる人たちが好き」
(中略)
「だから、私は自分が嫌い」
遠ざかっていく海老名さんの小さな背中を黙って見送る。
かけるべき言葉を探してみたが、思いつかなかった。
自分に対してついた些細な嘘なんて、褒めることも責めることもできない。
(『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。⑦』p.264-265より)
海老名姫菜がついた嘘とは、上の引用にある通り、「自分対してついた些細な嘘」です。
では「自分に対してついた些細な嘘」とは何でしょう?
それには何通りかの答え方ができます。
①. 「戸部の好意に気づいていない自分」という嘘
まず単純に、「戸部の好意に気づいていない自分」という嘘があります。
戸部の告白を未然に防ぐ、それが海老名さんが八幡に暗に依頼したことだったわけですが、その裏の依頼は成功し、戸部の告白は現実にはなかったことになっています。
したがって海老名さんは、現実には告白は起こらなかったのだから、「戸部の好意に気づいていない自分」を演じることが可能になるわけです。
しかしそれは「演じる」ことです。つまり「嘘」です。海老名さんは戸部の好意に、心の中では気づいているからこそ、「戸部の好意に気づいていない自分」という「嘘」をつけるのです。
もし戸部の好意に本当に気づいていないのなら、「戸部の好意に気づいていない自分」というのは「嘘」にはなりません。
なぜなら、海老名さんが戸部の好意に本当に気づいていなければ、「戸部の好意に気づいていない自分」は「本心」ということになってしまうからです。
言葉にするとややこしいですが、簡単なことです。
海老名さんは戸部の好意に気づいている。しかし告白が行われなければ、表向きは戸部の好意に気づいていない自分を演じることができる。つまり、「戸部の好意に気づいていない自分」という「嘘」をつける。
これが、一つ目の「自分に対してついた些細な嘘」です。
②「今の自分」という「嘘」
「自分に対してついた些細な嘘」の二つ目は、「今の自分」という「嘘」です。
これも言葉にするとややこしいことですが、海老名さんが「今の自分」と呼んでいる「自分」というのは、本物であって偽物です。
まず、葉山や戸部、三浦たちと仲良くやっている「自分(海老名さん)」は実際現実に存在していて、その意味で、つまり仲良くやっている海老名さんが実際に存在しているという意味で、その「自分(海老名さん)」は本物です。
しかしながら、その表向きの「自分」の裏には、葉山や戸部、三浦たちと「腐女子」というキャラを演じながら、それをどこか裏でコントロールしているような本当の「自分」がいる。その意味で、葉山たちと仲良くしている表向きの「自分(海老名さん)」は偽物です。
まあこれは誰でも感じたことのあるような「自我」の一形態にすぎませんが、そのように「表向きの自分」、そしてそれを裏で操る「本当の自分」といった区別が、海老名さんにはあるのでしょう。
以上のような意味で、海老名さんは「今の自分」=「表向きの自分」という「嘘」をついていると言えます。
ⅱ. 「だから、私は自分が嫌い」
だからこそ、海老名さんは「私は自分が嫌い」と言うのでしょう。
ここに7巻最大の謎、というか、一番言葉で説明しづらい部分があります。
①論理的矛盾?
一読すると、海老名さんの言っていることは論理的に意味不明です。
というのも、「今の自分とか、自分の周りとか好き」といっているのに、「だから、私は自分が嫌い」と言っているからです。
とくに順接の「だから」が意味不明ですね。論理だけ追うと、「今の自分は好きだ。だから、私は自分が嫌いだ」と言っていることになりますから。
ではこれはどう説明したらよいのでしょう?
②「だから、私は自分が嫌い」とはどういうことか?
これは以下のように補完するとうまく説明できるのではないでしょうか。
つまり、「今の(葉山や戸部、三浦たちと仲良くやっていけている表向きの)自分は好きだ。(しかしそれは「表向きの自分」であって「本当の自分」ではない。私が好きなのは彼らと仲良くやっていけている「自分」なのに、「本当の自分」はそんな理想の「表向きの自分」ではない。)だから、私は自分が嫌いだ」ということではないでしょうか。
海老名さんが好きなのは、葉山たちと仲良くやっている自分や環境なのに、それはどこか作り物であって、つくろった自分が何とか演じて獲得しているもので、だからそんな偽りの自分を演じる「本当の自分」が、あるいはそういう思考をしてしまっている裏の自分が嫌いだ、ということなのではないでしょうか。
しかも海老名さんはこれから、さらにその欺瞞を深めていくことになるので、なおさら自分が嫌いになるのでしょう。
なぜなら、戸部の告白を未然に防いだとはいえ、告白しようとしていたのは明らかですし、それをわざと防いで人の気持ちを踏みにじったわけですし、でもそれをしたのは全部自分で、それは「嘘」の上に「嘘」を重ねて、もっと自分を「偽物」にしていくということに他ならないのですから。
③海老名さんと八幡の共通点
そう解釈すると、その点において海老名さんは、八幡と同じような思考をしているのだと解釈できます。
つまり7巻の時点では、海老名さんも八幡も、「欺瞞」や「詭弁」でつくろった関係をよしとして受け入れてしまっているのです。
海老名さんがとった態度というのは、八幡の言う「本物」とは真っ反対の態度です。
それは八幡の嫌う「欺瞞」や「詭弁」、「偽物」以外のなにものでもありません。
そしてだからこそ、「一番の大嘘つきは俺だった」というわけです。
つまり、先走って言ってしまえば、自分の最も嫌悪する「欺瞞」に、「詭弁」に、「偽物」に手を貸してしまった、そこに八幡の「嘘」があります。
しかし問題は、なぜ八幡はその「欺瞞」を肯定してしまったのか、なぜその「偽物」に手を貸してしまったのかということにあります。
Ⅲ. 比企谷八幡の場合
ⅰ. 八幡のついた「大嘘」
「 ――けれど、一番の大嘘つきは俺だった」。
7巻はそう結ばれるわけですが、八幡のついた「大嘘」とは何のことでしょう?
これについては、まず、前述したように、戸部の告白を未然に防ぐという行為が、「欺瞞」である、「偽物」であるとわかっていながら、その欺瞞的な行為に加担してしまったことが「嘘」に当たると言えます。
あるいはまた、未然に告白を防いだあとの由比ヶ浜との会話で、自分の行為を「詭弁」で正当化して、由比ヶ浜の気持ちに真摯に向き合わずに誤魔化したことも、「嘘」に当たるでしょう。*1
まとめると、欺瞞的な「偽物」の関係を継続させることに加担し、それを糾弾されても、「詭弁」という八幡が最も嫌うもので誤魔化したこと、それが八幡の「大嘘」だと考えられます。
ではなぜ、八幡はそんな、この世で最も彼が嫌悪すべき行いをしてしまったのでしょう?
ⅱ. 「変わりたくないという、その気持ち。/それだけは理解できた」
なぜ八幡は最も嫌悪すべき「偽物」に加担し、「詭弁」を弄してしまったのでしょう?
それは、八幡が「変わりたくないという、その気持ち」を、「理解してしまった」からだと考えられます。
八幡は葉山とのやり取りの中で、以下のように思考しています。
ただ、それでも。
変わりたくないという、その気持ち。
それだけは理解できた。
理解してしまった。
想いを伝えることが、すべてを打ち明けることが本当に正しいとは限らない。
踏み出せない関係。踏み越えることが許されない関係。踏みにじることを許さない関係。
ドラマもマンガもいつもそれを踏み越えてハッピーエンドを描く。けれど、現実はそうじゃない。もっと残酷で、冷淡だ。
大事なのは、替えが効かない。かけがえのないものは失ったら二度と手に入らない。
もう今の俺は葉山を卑怯だと詰れなかった、臆病だと馬鹿にできなかった。
踏み出さないのが正解でもいい。ダラダラとぬるま湯に浸かっていてもいい。
彼らの出すその答えを否定するための言葉がうまく出てきてくれない。
そこに間違いを見いだせなかった。
(『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。⑦』p.243より)
「かけがえのないものは失ったら二度と手に入らない」という思想は、八幡の根底を貫くものですね。
言うまでもなく、そこで想定されているのは、雪乃や由比ヶ浜との関係です。
八幡は知らず知らずのうちに、雪乃や由比ヶ浜との関係を、奉仕部の関係を大切に思っていた、思ってしまった、だからそれを失いたくない、そんな気持ちが心のどこかにあった、だから八幡は葉山の考えを否定することができなかったのでしょう。
思えば八幡は、6巻から、奉仕部のあの光景を失うだろうことを憂いていました。
人生はいつだって取り返しがつかない。こんなどうしようもない一幕さえ、いずれは失うのだ。
失ったことをいつかきっと悔やむのだろうと思いつつ、俺は報告書の結びを記した。
(『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。⑥』p.357より)
『俺ガイル』では、八幡の心理が地の文で描かれながら、その大事な部分は隠匿されていることがあると思います。
特に八幡の、雪乃に対する想い、あるいは由比ヶ浜に対する想いがそれに当たるでしょう。
9巻以降は、やや本心が見え隠れするようにもなってきましたが、地の文でさえ、照れ隠しのようになっていることがあります。*2
そもそも、平塚先生の強制力が弱まっても、奉仕部に通い続けている時点で、八幡がどれだけ彼女たちとの関係を大切にしているのかということは透けて見えますが、ここで葉山の「変わりたくない」という気持ちを理解したということは、裏を返せば、それほど八幡が雪乃や由比ヶ浜との関係を大切にしていることの表れだと言えるのではないでしょうか。
「大事だから、失いたくないから。/隠して、装って」……7巻でそれを一番に体現していたのは、他ならない八幡だったと言えるでしょう。
Ⅳ. 「変わる世界の中で、変わらずにはいられない関係はたぶんあるのだろう」
「たとえ、君が痛みに慣れているのだとしてもだ。君が傷つくのを見て、痛ましく思う人間もいることにそろそろ気づくべきだ、君は」
(『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。⑥』p.343-344より)
6巻での平塚先生の忠告もむなしく、八幡は己のやり方を貫いた結果、誰かの「変わりたくない」という願いを叶えながらも、彼女らを傷つけ、自分たちの関係を徹底的に変えてしまいました。
「大事だから、失いたくないから」……そんな願いがとことん裏目に出てしまった第7巻、果たして八幡は自分のついた「嘘」の代償を、どのように清算するのでしょうか?
次回は第8巻の内容を確認しながら、引き続き彼ら彼女らの関係について考えていきたいと思います。
正直7巻も8巻もそんなに解説するところはないのですが、その先のために、言葉で論理的に説明することはとりあえず必要だと思うので、継続してやっていきたいです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
<参考文献>
渡航『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。⑥』(ガガガ文庫, 2012)
渡航『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。⑦』(ガガガ文庫, 2013)
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