野の百合、空の鳥

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【俺ガイル11巻】考察・解説「だから違和感について考え続ける」

Ⅰ. はじめに

ⅰ. 「違和感」を考え続ける物語


やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。11 (ガガガ文庫)

「あー、なんか違和感っていうか」

言葉にしてみると、それは案外すっきり腑に落ちた。

ずっとついて回っていたものだ。

ふとした瞬間に意識してしまう、今までとは明確に違う何か。誰かと接するたび、ふと内側から湧いて出てきて、自分に問いかけてくる。それは正しいのかと。

(渡航『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。⑪』p.187)

俺ガイル11巻は、八幡がこの「違和感」について考え続ける物語だ。

11巻では、八幡が「違和感」を考え続ける過程で、誰かの「らしさ」を問い直し、「関係性」を問い直し、そして最後には欺瞞を打ち破ることになる。

以下では、その「違和感」についての考察を中心に、俺ガイル11巻を考察・解説する。

 

 

Ⅱ. 「違和感」の正体

ⅰ. 「この状況に、関係性に、確かに違和感を持っている」

暗に雪ノ下陽乃は言うのだ。こんなものが本物であり得るはずがないと。

同感だ。

俺はこの状況に、関係性に、確かに違和感を持っている。

(渡航『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。⑪』p.214)

 この引用にあるように、八幡は「この状況に、関係性に、確かに違和感を持っている」

では「この状況」「関係性」とはどのような状況、関係性のことだろうか?

結論から言えばそれは、停滞したままの奉仕部の状況お互い本当に思っていることをはっきりとは口にしない八幡と雪乃、由比ヶ浜の関係性だと考えられる。

ここはもう少し丁寧に説明したいので、以下八幡がどんなところに違和感を抱いていたかを具体的に見てみよう。

 

ⅱ. 「楽しい」はずの時間に対する「違和感」

甘いクッキーも、温かな紅茶もあって、充分に満たされていると感じる。そのはずだ。だから、口の中でもう一度、楽しいなぁとそう呟いた。

なのに、どこかに違和感がある。

(渡航『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。⑪』p.211)

まず八幡は、バレンタインデーのイベントのときに「楽しい」はずの時間に「違和感」を感じている。それはなぜだろうか?

それは八幡が「楽しい」だけの時間は欺瞞だと、ごまかすだけの時間はまやかしだと考えているからだろう。

お互いの関係性を曖昧なままにして、うわべだけ取り繕っているのなら、それは修学旅行直後の奉仕部の姿と変わらない。そんな停滞した関係性に、八幡は「違和感」を抱いている。

 

しかしそもそもなぜ八幡はそのような停滞した関係性に、「違和感」を持つ羽目になったのだろうか?

その理由は、11巻のもう一つのキーワードである「らしさ」という問題に関わっている。

 

Ⅲ. 「らしさ」の問題

ⅰ. 「知って」しまったから

「らしさ」ってなんだろう。自分らしさ、あなたらしさ、誰々らしさ、そんな言い方を人はよくする。

しかし初対面の人に「らしさ」は使わない。「らしさ」を言えるのは、ある程度知っている人、仲の良い人に対してだ

しかしだからこそ八幡は「らしさ」という言葉を使ってしまう。それがときに暴力的なふるまいだということを意識せずに。

 

ⅱ. 「らしい」と言ってしまった八幡

「そうか、由比ヶ浜らしいな」

思わず笑みが漏れた。確かに動物たちからしてみればむやみやたらに撫でられるのもそれなりにストレスだろう、うちの猫なんて俺に撫でられると猫パンチしてきたりするし。そうやって気遣えるところは素直に好ましいと感じる。

そんな軽い気持ちで口にしただけの言葉だった。だが、由比ヶ浜はぴくりと肩を震わせ、俯きがちに視線を逸らした。

「……あたしらしいって、なんだろね?」

由比ヶ浜がじっと見つめる先を俺も視線で追っていた。はらりと舞う雪が落ちて、水面に波紋を広げる。由比ヶ浜がゆっくりと俺を窺うように顔を上げた。

「……あたし、ヒッキーが思ってるほど優しくないんだけどな」

(渡航『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。⑪』p.287)

八幡は由比ヶ浜との関係を始め直し、問い直し、彼女を「知って」、それなりに親しくしてきた。そしてそれは雪乃に対しても言えることだ。

そうして八幡の中には、八幡なりの由比ヶ浜像八幡なりの雪乃像が出来上がっている。だから八幡は「由比ヶ浜結衣は優しい女の子だ」「雪ノ下雪乃は強い女の子だ」*1 と、そう思ってしまえる。

 

ⅲ. 食い違う「らしさ」

たしかに部分的には八幡が思っている通り、「由比ヶ浜結衣は優しい女の子」であり「雪ノ下雪乃は強い女の子」かもしれない。

しかし当然それだけではない。由比ヶ浜にも強さがあり、雪乃にも弱さがある。まだ八幡は雪乃のことを、由比ヶ浜のことをよく理解しているわけではなかった。そこには「食い違い」があったのだ。

そしてそれこそが、つまり相手を理解したつもりで理解しきれていないところが、八幡が彼ら彼女らの関係性に「違和感」を感じる理由でもある。そのことが書かれた箇所を以下に引用する。少し長いが、以下の部分は俺ガイルの12巻以降でもかなり重要な箇所なのでよく読んでいただきたい

俺らしい。彼女らしい。自分らしい。

きっと誰もが、誰かが規定した自分をずっと持っていて、それはいつもずれている。それは俺も彼女も同じだ。俺たちらしさはいつもどこかで食い違っている。

誰かに確認するまでもなく分かることだ。

だって、過去の俺が言うのだ。以前の比企谷八幡がずっと吠えるのだ。

それでいいのかと。それがお前の望みかと。そんなものが比企谷八幡なのかと。

その罵声を、怒号を、咆哮を、聞かないように耳をふさいで瞼を閉じ、言葉の代わりに熱く凝った息を吐いた。

自分自身でさえ、それが自分らしさだと言えないのなら。なら、本物は。本当の俺たちはどこにいるのだろう。そんな人間にどうして、関係性を規定することなどできるだろう。

違和感と、そう名付けてしまったらそうとしか思えなくなる。

きっと、この感情も関係性も定義してはいけなかったのだ。名前を付けてはいけなかった。意味を見出してはいけなかった。意味づけされたら、他の機能を失ってしまうから。

方に当て嵌めることができたなら、きっと楽だったのにそうしなかったのは、知っていたからだ。一度、形作ってしまえば、後はもう壊す以外に形なんて変えることなんてできないことを。

(渡航『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。⑪』p.223)

「誰々らしい」と言うことは実は簡単なことだ。でも当然、そんな簡単な言葉ではどんな人間も語り切れない。自分ですら自分のことがわからないのに、ましてや他人にわかるはずがないのだ。

八幡はそこに「違和感」を抱いている。八幡は雪乃を、由比ヶ浜を「知った」つもりでいたが、実はよく知らないのだということに八幡は「違和感」を持つことで気づく

そしてさらに、八幡は八幡自身のことすら理解していないことも自覚する。八幡は自分で言った「本物」の意味がよくわからない。「本物」を求めた自分がいったい何を指して「本物」と言っているのかがわからない。

ただ今わかるのは、目の前にある状況が、関係性が「本物」ではないということだ。そのことを八幡は、陽乃の指摘を受けて自覚する。

「それが比企谷くんのいう本物?」

[……]

暗に雪ノ下陽乃は言うのだ。こんなものが本物であり得るはずがないと。

同感だ。

俺はこの状況に、関係性に、確かに違和感を持っている。

(渡航『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。⑪』pp.212-214)

八幡はたしかに「本物」を求めたはずだ。しかし八幡は「本物」という曖昧な言葉の意味をつかめているようでつかめていない。

八幡は「本物」の関係を求めたはずだが、それがどんな関係なのか、どうやったらそこにたどり着けるのかよくわかっていない。そして関係性どころか、関係を構築する一人一人のことすらよくわかっていない。

ではそのような状況を、停滞したままの関係性を、奉仕部はどのように改善していったのだろうか?

 

 

Ⅳ. 問い直し

ⅰ. 由比ヶ浜が画定させた問題

停滞していた奉仕部の関係性は、由比ヶ浜のおかげで再び進みだす。

奉仕部の関係性が問い直されたのは、何より由比ヶ浜がその問題を口に出し、言葉にして画定させたからだ

このことについて、先ほど重要だといって引用した箇所をもう一度思い出してほしい。

 

ⅱ. 「言葉にする」ということの意味

先ほど引用した箇所には「きっと、この感情も関係性も定義してはいけなかったのだ。名前を付けてはいけなかった。意味を見出してはいけなかった。意味づけされたら、他の機能を失ってしまうから」と書いてあった。

ここにはある種の言葉の哲学がある。つまり言葉にすると、その言葉によって内実がある程度画定されてしまうということだ。

例えば、ある男女の関係を「恋人」と呼んだとしよう。そうすると、それを聞いた他人は、(ああ、あの二人は付き合ってるのか)とか(デートするのか)とか、(キスするのか)などと、いわゆる「恋人」がやりそうなことを勝手に想像してしまう

これは何も他人から規定されるだけのことではない。当事者たちだって言葉に縛られる。つまり(「恋人」だからデートに行くものだろう)と思うとか(「恋人」なんだから毎日連絡してよ)と言うなど、当事者たちも「恋人」という言葉に縛られることがある

そしてこのある種の言葉の哲学は、俺ガイルにとって非常に重要なテーマでもある。

 

ⅲ. 「口に出してしまえば、確定してしまうから」

例えば、例えばの話だが、由比ヶ浜が八幡のことが好きだということを口に出して言ったとしよう

もしそうなれば、もう後戻りはできない。八幡は由比ヶ浜の気持ちに対して何かしらの答えを用意しなければならない。

そして雪乃は、大切な親友である由比ヶ浜の願いを叶えるために、自分の気持ちは封じ込めるかもしれない。

以上のことは仮の話だ。もしもの話だ。しかし11巻で奉仕部の面々がうすうす感じていること、内々に前提にしているのはまさにそのような話なのだ

だから由比ヶ浜は以下のように言う。

「もし、お互いの思ってることがわかっちゃったら、このままっていうのもできないと思う……。だから、たぶんこれが最後。あたしたちの最後の依頼はあたしたちのことだよ」

何一つ、具体的なことは言わなかった。口に出してしまえば、確定してしまうから。それを避けてきたのだ。

(渡航『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。⑪』p.312)

肝心なところ、つまり誰が誰を好きとか、具体的にどうなりたいということを明言することは避け、現状打破だけを示唆する。それがここで由比ヶ浜の成し遂げたことだ。

 

ⅳ. 由比ヶ浜がクッキーを渡す意味

しかし言葉だけでは曖昧すぎるというのもまた事実である。

そこで由比ヶ浜は問題を前に進めるために、一つ大きな行動に打って出た。それが八幡にクッキーを渡すという行動だ。

そもそもなぜ由比ヶ浜はここでクッキーを渡したのだろうか?

簡単に言えばそれは、奉仕部の関係性が前とは決定的に異なっていること、同じふるまいでも意味合いが変わってくることを伝えるためだ。

 

まず、クッキーを渡すというのは言うまでもなく1巻のやり直しである。八幡が奉仕部に加わって初めて受けた依頼が、由比ヶ浜からのクッキー作りを手伝ってほしいという依頼だった。

そのとき由比ヶ浜は最後に手伝ってくれたお礼として八幡にクッキーを投げるわけだが、11巻では、1巻とは奉仕部の関係性がまったく違っている。八幡はそれを意識せざるを得ない。

さらに、11巻のこの日はバレンタインデーである。そうであるならば、クッキーを渡すということは特別な意味合いにもとれなくもない(もちろん由比ヶ浜はここで「あくまでお礼」だと言うことで特別な意味合いは回避しているが)。

以上のような状況の相違を意識させる点、クッキーを渡すことがお礼以外の意味合いも帯びてくる点を八幡に意識させることで、由比ヶ浜がクッキーを渡すということは奉仕部の関係性を改善する後押しになっていると考えられる。

これが由比ヶ浜がここでクッキーを渡すということの意味だ。

 

ⅴ. 「あたしは全部ほしい」とはどういうことか?

こうして由比ヶ浜は問題を前進させ、自分の願いを曖昧な言葉で口にする。それが「全部ほしい」という願いだ。では「全部ほしい」とはどういうことか?

ここは大いに解釈の余地があるが、例えば「全部ほしい」というのはもし現実に則して言うのならば、八幡とより親密な関係を結んだ上で雪乃とも仲良くし、かつ奉仕部の良い関係性を保つことだと考えることができる。

もちろんそれは現実的には難しい。例えばもし由比ヶ浜が八幡と恋人関係になったならば、雪乃と今までのようにずっと仲良くすることは叶わないかもしれない。

しかし「全部ほしい」というのは、むしろそのような非現実的な状況をも含めた願いなのだと考えられる。なぜなら由比ヶ浜は現実が見えているからこそ関係性を前に進めるのだし、八幡が欺瞞を許さないのを承知で「このままでいたい」などと言っているからだ。

したがって、むしろ「全部ほしい」というのを現実的な関係性で規定する方が誤りに近いと思われる。「このままでいたい」というのも本心だが「このまま」ではいられないし、いたくもない、そのような矛盾した感情を精一杯表現した言葉が「全部ほしい」なのではないだろうか

 

ⅵ. 「違和感」の打破

そしてそのような由比ヶ浜の願いが前面に押しだされていく中で、「違和感」は解消してゆく。

確認すると「違和感」というのは、八幡が奉仕部の関係性や状況に満足していない感覚のことだった。

その「違和感」は、「曖昧な答えとか、なれ合いの関係とか……そういうのはいらない」と八幡自身が口にすることによって打破される。

もちろんこれで問題は完全に解決したわけではなく、関係性が変わってゆくのはこの後の話になる。

 

ⅶ. 雪乃の抱えた問題とは何か?

さらにここで、由比ヶ浜は「ゆきのんの今抱えてる問題、あたし、答えわかってるの」と言って、雪乃の抱えた問題までも画定する。

では雪乃の抱えた問題とは何か? 結論から言えばそれは、雪乃がきちんと主体性をもって行動できていないという問題である。

このことは陽乃の「……雪乃ちゃんに自分なんてあるの?」*2というセリフや、雪乃が八幡の考えた言い分をそっくりそのまま繰り返すシーン*3などで示唆されている。

そしてこれは12巻以降で示される「依存」の問題と関わっている。ただし雪乃が主体性をもって行動できていないことと「依存」していることはイコールではない。

つまりこの雪乃の主体性のない行動を「依存」と呼ぶか否かにはさらなる議論が必要だということである。これについては12巻以降を詳しく考えなければわからないので、ここに詳細を書くことは控える。

いずれにせよ、こうして関係性は問い直され、新たな局面を迎えることになる。

 

 

Ⅴ. おわりに

以上、俺ガイル11巻について考察・解説した。

機能に引き続いて駆け足で書いた記事なので荒が目立つ。申し訳ない。

ただ俺ガイル完放映に間に合わせようと必死だったので、何とかなって一安心ではある。

これ以降の問題は俺ガイル完の放送と並行して解決していきたい。

ひとまず1話の放送を待とうと思う。

そしていつもながらここまで読んでいただいた読者の方に感謝申し上げたい。

 

<参考文献>

渡航『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。①~⑭』(小学館, 2011~2019)

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*1:渡航『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。⑪』p.316

*2:渡航『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。⑪』p.239

*3:渡航『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。⑪』p.249