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【俺ガイル考察】ようやく彼ら彼女らはお互いを「知る」【1~6巻まとめ】<前編>

Ⅰ. はじめに

ⅰ. 彼ら彼女らがお互いを「知り」、スタートラインに立つまでの物語

 俺も、雪ノ下も、お互いのことを知らなかった。

 何を持って、知ると呼ぶべきか。理解していなかった。

 ただお互いの在り方だけを見ていればそれで分かったのにな。大切なものは目に見えないんだ。つい、目をそらしてしまうから。

 俺は。

 俺たちは。

 この半年近い期間をかけて、ようやく互いの存在を知ったのだ。

 

(『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。⑥』p.353~354より引用)

『俺ガイル』第1章(1~6巻)*1は、彼ら彼女らがお互いを「知り」、その関係性がスタートラインに立つまでの物語である

そこで重要となっているのは「知る」ということだ。

彼ら彼女らはどうやってお互いを「知り」、どのような点でお互いを「知った」と考えてきたのだろうか。

本考察では、特に比企谷八幡と由比ヶ浜結衣比企谷八幡と雪ノ下雪乃について、お互いがお互いをどのように「知った」のか、その経過と結果についてまとめながら考察する。

 

 

Ⅱ. 八幡と由比ヶ浜の関係

ⅰ. 「知る」以前――「お菓子の人」としての由比ヶ浜――

八幡と由比ヶ浜の出会いは、高校入学以前にまで遡る。

高校入学初日、八幡は交通事故に遭う*2。そのとき八幡がかばった犬の飼い主こそが由比ヶ浜であったわけだが、当の八幡は、由比ヶ浜が部室を訪ねてくるまで彼女を認知していなかった。

1巻で八幡は2年生であるので、八幡はかれこれ1年ほど由比ヶ浜を認知していなかったことになる。しかし対する由比ヶ浜は、八幡を意識していた節を見せている*3

大切なのは、八幡が由比ヶ浜を「お菓子の人」*4としか認識していなかったのに対し、由比ヶ浜は八幡に手作りクッキーをプレゼントしようと考えていたと推測できる点である。

1巻において、由比ヶ浜がクッキーを渡そうと思っていた人物は、はっきりとは明かされないが、同巻のやり取り*5や後の由比ヶ浜の言動などから、クッキーを渡そうとしていた相手は八幡だったと推測できる

なぜこれが重要かと言えば、このお互いに対する認知の差・想いの差こそが、後に互いの関係にヒビを入れる原因、ひいてはお互いを「知る」きっかけとなるからである

 

ⅱ. 「知る」転機――「だから、いつまでも、優しい女の子は嫌いだ。」――

a. 「優しい女の子」に「アレルギー反応を起こしてしまう」八幡

「お菓子の人」=「由比ヶ浜」ということが明らかになると、八幡と由比ヶ浜の関係に転機が訪れる。

 助けた犬の飼い主=由比ヶ浜という事実に、八幡は「過敏」に反応し、「アレルギー反応を起こしてしまう」*6。そうして口をついて出た言葉は、以下のような冷淡な言葉だった。

「悪いな、逆に変な気遣わせたみたいで。まぁ、でもこれからはもう気にしなくていい。俺がぼっちなのはそもそも俺自身が理由だし事故は関係ない。負い目に感じる必要も同情する必要もない。……気にして優しくしてんなら、そんなのはやめろ」

(『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。②』p.256~257より引用)

由比ヶ浜が自分に接してくれるのは、事故の被害者である八幡に同情しているからだと考えた八幡。当然、由比ヶ浜としては「別にそういうんじゃない」*7わけで、彼らの関係はここで一度壊れてしまう。

 一般的な感覚からすると、八幡の反応は少々「過敏」すぎるように思えるが、ここで重要なのはまさにその点であって、きちんとその「過敏さ」について考えておく必要がある

 

b. なぜ八幡は「優しい女の子」を嫌うのか?

なぜ八幡はここまで「優しい女の子」を嫌うのだろうか。

 その理由とも思える、重要な箇所を引用しよう。

 あと、優しい女の子も、嫌いだ。
 夜中に見上げた月みたいに、どこまでもついてくるくせに手が届かない。
 そんな距離感が掴めない。
 ほんの一言挨拶を交わせば気になるし、メールが行き交えば心がざわつく。電話なんてかかってきた日には着信履歴を見てつい頬が緩む。
 だが、知っている。それが優しさだということを。俺に優しい人間はほかの人にも優しくて、そのことをつい忘れてしまいそうになる。

 別に鈍感なわけじゃない。むしろ敏感だ。それどこらか過敏ですらある。そのせいでアレルギー反応を起こしてしまう。

 すでにそのパターンは一度味わっている。訓練されたぼっちは二度も同じ手に引っかかったりしない。じゃんけんで負けた罰ゲームの告白も、女子が代筆した男子からの偽のラブレターも俺には通じない。百戦錬磨の強者なのだ。負けることに関しては俺が最強。

 いつだって期待して、いつも勘違いして、いつからか希望を持つのはやめた。
 だから、いつまでも、優しい女の子は嫌いだ。

 (『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。②』p.259~260より引用)

以上のことから八幡が「優しい女の子」を嫌う理由が見えてくる。

一言でまとめるならその理由は人間不信と言えるだろう。では、なぜ八幡が人間不信となったのかと言えば、過去に裏切られた経験があるからだ。

本文にあるように、「いつだって期待して、いつも勘違いして」きた八幡は、罰ゲームの告白や偽のラブレターに見舞われ、その度に裏切られる。だからこそ八幡は「いつからか希望を持つのはやめた」

ここでの例は「女の子」に関することだが、ことは特に「優しい女の子」だけに限らず、人間全般に対して言えることだろう。八幡は人間全般に対して懐疑的であり、距離感をはかりかねている。このことは『俺ガイル』という作品において非常に重要である。

なぜなら、そこまで過剰に人間不信である八幡が、「本物」という極限まで人間を信頼しなければ至れないような関係性を求める物語こそが『俺ガイル』だからだ

第1章での「知る」という関係性は、その全体を通じた物語の、ほんの先駆けに過ぎない。とはいえ、差し当たっては由比ヶ浜をどのように「知って」いったのかが問題となる。

では、八幡は一度壊れた由比ヶ浜との関係をどう結び直し、彼女を「知って」いったのだろうか?

 

c. 「終わったのなら、また始めればいいじゃない」

雪乃との関係への誤解も解き、プレゼントを渡した八幡は「これでチャラってことにしないか」*8と持ちかける。

 「俺が個人を特定して恩を売ったわけじゃないんだから、お前が個人を特定して恩を返す必要ない」*9と言う八幡に、「同情とか、気を遣うとか、……そんなふうに思ったこと、一度もないよ」*10と反論する由比ヶ浜。

 沈黙する2人に、「終わったのなら、また始めればいいじゃない」*11と雪乃が助け船を出す。こうして、2人の関係はここで一旦終わり、またここから新たに始まる。

 ただしもちろん、ここでは関係の清算が済んだだけで、彼らはまだ互いを「知らない」。やっと二人はスタートラインに立ち、ここから互いを「知っていく」こととなる

では、二人の関係はどう進展し、どう互いを「知って」いったのだろうか? 

 

 

ⅲ. 「知る」 ーー「だから、もう一歩くらいは、踏み込んでも、いいのだろうか。」ーー

3巻以降、新たなスタートを切った八幡と由比ヶ浜の関係は進展していく。

5巻では二人で花火大会へ行き、「事故がなくたってヒッキーはあたしを助けてくれたよ」*12と由比ヶ浜は八幡に信頼ともとれる言葉を口にする。しかしそこでは八幡は、「俺にそういうの期待すんな」*13と彼女の期待を素直には受け取らない。

 そんな八幡に変化が見られるのは、6巻においてのことである。そこには八幡の心情がはっきりと描かれている。

 おかげでまた、由比ヶ浜との距離感を測りかねてしまう。

 確かに、以前に比べれば近づいたと思う。その事実を躍起になって否定するほど俺も幼くはない。

(中略)

 由比ヶ浜の優しさにすがってはいけない。由比ヶ浜の親切心に甘えてはいけない。

 彼女の優しさは身を切るような思いをし、悩んで、苦しんで、そのうえで絞り出されるものだ。俺はそれを知っている。だから、安易にゆだねてはいけない。

 仮に、それが優しさや親切心からではなく、もっと違う何か別の感情に起因するものだとすればなおさらのこと。それは人の弱みにつけ込む行為だから。

 感情の処理は適切に。

 彼我の距離は適当に。

 

 ――だから、もう一歩くらいは、踏み込んでも、いいのだろうか。

 (『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。⑥』p.259~260より引用)

ここで八幡は、由比ヶ浜の優しさに注意し上で、しかも由比ヶ浜が自分に対して「もっと違う別の感情」を抱いていることを踏まえた上で、その上で「もう一歩くらいは、踏み込んでも、いいのだろうか」と考えている。

 「知る」という行為が、後述するように誰かに踏み込む覚悟をすることならば、まさにこのとき、八幡は由比ヶ浜を「知った」のではないだろうか。由比ヶ浜の優しさを受け入れ、由比ヶ浜自身を「知った」八幡は、こうして由比ヶ浜との関係を前に進める覚悟をする。

 

以上が、八幡が由比ヶ浜を「知る」、それまでの経緯と結果である。人間不信の八幡は、そうたやすく人間を、由比ヶ浜を信頼できない。しかし彼と彼女は関係を清算し、由比ヶ浜が「待たないで、……こっちから行く」ことによって八幡は由比ヶ浜を「知り」、彼女との関係を進める覚悟をもつ。

 このようにして、八幡と由比ヶ浜は「ちゃんと始めること」*14ができた。しかしながら、八幡と雪乃との関係はそう上手くはいかない。彼らと彼女との間には「見えない線が引かれている」*15

 八幡・由比ヶ浜と雪乃とを「明確に分けるもの、その事実に、あるいは真実」*16に触れるのは、<後編>の課題としたい。

 

 < ↓ 後編はこちら ↓ >

<参考文献>

渡航『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。①~⑭』(小学館, 2011-2019)

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*1:公式で割り振られた区分ではない。本考察(および本ブログ)では、便宜上1~6巻を第1章と呼ぶ

*2:『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。①』p.191参照

*3:例えば『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。①』p.80「な、なんでヒッキーがここにいんのよ⁈」という発言でうかがえる

*4:『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。①』p.193より。入学初日の事故の後、菓子折りを持ってきた由比ヶ浜を小町が「お菓子の人」と形容したことに由来する

*5:『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。①』p.122「まぁ、なんだ……。お前が頑張ったって姿勢が伝わりゃ男心は揺れるんじゃねぇの」(中略)「……ヒッキーも揺れんの?」「あ?あーもう超揺れるね。むしろ優しくされただけで好きになるレベル。っつーか、ヒッキーって呼ぶな」「ふ、ふぅん」参照

*6:『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。②』p.259「別に鈍感なわけじゃない。むしろ敏感だ。それどこらか過敏ですらある。そのせいでアレルギー反応を起こしてしまう。」参照

*7:『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。②』p.258

*8:『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。③』p.237

*9:『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。③』p.237

*10:『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。③』p.238

*11:『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。③』p.239より

*12:『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。⑤』p.209

*13:『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。⑤』p.208

*14:『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。③』p.240

*15:『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。③』p.244

*16:『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。③』p.244