5巻でカマクラがネコリンガルに残した言葉とは?
『俺ガイル』5巻5章「ふと比企谷小町は兄離れする日を思う。」は、以下のような幕切れとなっています。
携帯を充電しようと充電器を探していると、カマクラがみーと鳴いた。
立ち上げたままのネコリンガルが反応してぱっと文字が表示される。
それを見てつい笑ってしまった。
「ああ、まったくだ」
俺の声に、もう一度カマクラが鳴いて返事をしてくれたが、携帯の画面は既に消えていた。*1
「ネコリンガル」とは、ネコの言葉を人間の言葉に翻訳してくれるアプリケーションですが、上の5章のラストシーンでは、カマクラが発した言葉がどのような言葉だったのかわからないまま、余韻を残す形で終わっています。
今回はこのカマクラの残した言葉はいったい何だったのかを考察していきたいと思います。
本編と直接関わりないからか、自分の見た範囲ではこれに関してあまり有効な考察はされていませんでした。
しかしこの5章は短編としてうまく出来ていますし、ところどころで俺ガイルらしさも垣間見られます。
今回も当然のことながらネタバレを含みますのでご注意ください。ちなみにこの場面はアニメ化していなかったはずなので、原作のみのお話となります。ご容赦ください。
まずは該当箇所を読み込む
カマクラの発した言葉は何だったのか、それを知るために、まずは該当箇所を読み込んでみましょう。
これはどういう場面で、どのように起こり、どのような反応をされたのでしょうか。
確認すると、これは由比ヶ浜から預かっていた犬(サブレ)を返して、小町が勉強に戻り、部屋に八幡とカマクラだけが残った場面です。
そして上に引用したように、八幡が「携帯を充電しようと充電器を探していると、カマクラがみーと鳴」きます。
それに対し、八幡は「つい笑って」しまい、「ああ、まったくだ」と同意したのでした。
ここでのポイントは、サブレと小町が去った後という状況と、八幡の同意あるいは同情するような反応だと言えます。
ではそのような状況で、カマクラが何を言えば、八幡は同意するような反応を示すのでしょう?
もしカマクラの言った言葉が「疲れたね」や「お疲れ様」なら、八幡は同意するかもしれませんが、「つい笑ってしまった」という反応とは少しずれる気がします。
また、もしそうなら、カマクラや小町が去った後、という状況とは無縁の反応になり、ふさわしくないように思えます。
カマクラが残した言葉を知るためには、もう少し手掛かりが必要そうです。
前後の文脈を読み込む
さらなる手掛かり蒐集のため、前後の文脈を読み込んでみましょう。
サブレが去った、というのも大事な出来事ですが、それ以前にも大事な場面があります。
それは章のタイトル「ふと比企谷小町は兄離れする日を思う。」にもある通り、八幡と小町が将来について語り合うシーンです。
そのシーンで大事そうな箇所を少し引用してみましょう。
「はっ、俺だっていつまでもいるわけじゃないんだぜ。ちゃんと兄離れしろ」
「え……。お兄ちゃん、家出るの?」
ぴたりと足を止めてこちらに振り返る小町。さっきまでのわざとらしく作った笑顔ではなく、出し抜けに打たれたみたいな表情をしている。
「お帰りって言ってくれるひとがいるのは幸せなことだよね」と、家で出迎えてくれる人の大切さを説く小町に対し、唐突に実家を出る可能性を示唆する八幡。そんなこと思いもしなかったのか、小町は不意を突かれたように驚きます。
しかし八幡がすぐに「理由もないのに出るわけないだろ」とフォローを入れると、小町もすぐに「実は単に小町と離れるのが寂しいから嫌なだけだったのです……」といつもの生意気さを取り戻します。
そんな小町に、八幡は(小町と離れても)寂しくなんてならないと、かたくなに小町の言葉を否定します。ただそんな八幡に、今度は小町が不意を突きます。
あとさ、と小町は言葉を続けた。
「――残される側だって、寂しいって感じると思う」
……。ああ、確かに。
どうして去る側だけが孤独だなんて思ったんだろう。取り残されてしまったほうだってきっと同じなのに。*3
一辺倒な見方をしていた八幡に、小町の言葉は刺さります。去る側だけでなく、取り残されるほうも寂しい、当たり前だけれど大切なことを確認し、彼らは家に帰っていきます。
こうして帰宅した後、預かっていたサブレは由比ヶ浜の元に帰るため比企谷家から去り、そして場面はカマクラのネコリンガルのシーンへと移ります。
言い方を変えれば、上記のような小町と八幡の会話の文脈の延長線上に、カマクラのネコリンガルのシーンはあるのです。これを踏まえると、カマクラの放った言葉も、その文脈から全く独立した「お疲れ」などの言葉ではないように思えます。
では結局、カマクラは何と言ったのでしょうか?
カマクラの放った言葉とは?
結論から言えば、カマクラの放った言葉は「寂しい」、あるいはそれに準ずる言葉ではないでしょうか。
先にまとめてしまうと以下のようになります。
- 前述した文脈からすると、この章の主題は「去る側だけでなく、取り残されるほうも寂しい」という言葉にまとめられる
- カマクラが最後に鳴く場面では、カマクラと一時をともに過ごしたサブレが去ってカマクラが残され、また、部屋では小町が去って八幡が残されており、去る側(サブレ・小町)と残される側(カマクラ・八幡)という構図が出来上がっている
- そう考ると、残された側サブレが「寂しい」と呟いたことに対して、同じく残された側の八幡が「ああ、まったくだ」と同情するのも頷ける
以上のように考えると、カマクラの残した言葉が「寂しい」ならば、章の主題とも合致し、文脈や直後の反応とも符合するので、納得できるように思えます。
前述したような文脈と、「ふと比企谷小町は兄離れする日を思う。」という章題から、この章の主題は「去る側だけでなく、取り残されるほうも寂しい」だと考えられます。
そして、家を出るほどの大規模なことでないにしても、小規模に去る側(サブレ・小町)と残される側(カマクラ・八幡)という構図が出来上がります。
そんな残されたカマクラが「寂しい」と言ったならば、直前に小町が「残される側だって、寂しい」と言っていたことが思い起こされ、八幡は「つい笑ってしま」うだろうし、「ああ、まったくだ」と同意するでしょう。
以上のように考えれば、筋は通りますし、また、全体としても短編としての完成度が高まるように思えます。
「去る側だけでなく、取り残されるほうも寂しい」という当たり前だけれど、大切なことが全体を通して表現された、見事な短編だと言えるでしょう。
俺ガイルの魅力
今回は俺ガイル5巻のカマクラの言った言葉について考察しました。いかがでしたでしょうか。
俺ガイルの魅力として、今回のカマクラの言葉のように、謎を謎のまま提示する表現方法というものがあると思います。
それは元来文学で行われていた手法ですが、ラノベでこれが取り入れられるのは珍しいと言えるのではないでしょうか。
謎を謎のまま提示する、というのはそこに解釈の可能性を産む、ということにもつながります。そしてそれは小説がおもしろく感じられる一要素ともなり得ます。
今回私が示したのも一つの解釈に過ぎません。もしもこの解釈をおもしろいとおもっていただけたなら幸いです。
私も『俺ガイル』には人一倍思い入れがあるので、今後もとくに本編の方で様々な考察ができたらなと思っております。
最後までお読みいただきありがとうございました!
<参考文献>
渡航『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。①~⑭』(小学館, 2011-2019)
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