Ⅰ. 「今日まで、その鍵には一度も触れたことがない。」
2話のサブタイトルは「今日まで、その鍵には一度も触れたことがない。」だ。
このサブタイトルには大きな意味を読み取ることができる。「鍵」は「あるもの」の象徴であり、また、それに「触れたことがない」ということには雪乃の自立の問題と大きく関係している。
では「鍵」とは何なのか、「触れたことがない」とはどういうことを意味するのか?
今回はこの「鍵」の問題を中心に、「酔えない」ことの意味、「助ける」ことと「依存する」ことの違い、「本物なんて、ほしくなかった」とはどういうことかなどの問題ついて考えてみたい。
- Ⅰ. 「今日まで、その鍵には一度も触れたことがない。」
- Ⅱ. 「酔えない」とはどういうことか
- Ⅲ. 「助ける」ことと「依存する」ことの違い
- Ⅳ. 「鍵」に「触れたことがない」ことの意味
- Ⅴ. おわりに
Ⅱ. 「酔えない」とはどういうことか
ⅰ. 「君は酔えない」
「けど、たぶん君もそうだよ。……予言してあげる。君は酔えない」
(渡航『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。⑫』p. 93)
「酔えない」とはどういう意味なのだろうか?
それはもちろん、アルコールのせいで身体的にふらふらするようなことだけのことを意味するのではない。
結論から言えば、「酔えない」とは、自意識が強すぎるということ、「うわべの自分」と「本当の自分」との間につねに距離があるということを意味する。
このことは陽乃の言葉をよく考えてみればわかる。
ⅱ. 「どんなにお酒飲んでも後ろに冷静な自分がいるの」
陽乃は次のように言っていた。
「どんなにお酒飲んでも後ろに冷静な自分がいるの。自分がどんな顔してるかまで見える。笑ったり騒いだりしても、どこか他人事って感じがするのよね」
(渡航『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。⑫』p. 92)
こういう経験がある人は多いのではないだろうか。
とくにあまり楽しくないお酒の席にいるとき、うわべだけ演じている自分、愛想笑いでごまかしてしまう自分に気づく、「何やってるんだろう……」なんて思ってしまう、そういうことはよくある話だ。
つまりそれは、つい自分を客観視してしまうということだ。陽乃の場合は、「強化外骨格」を使って外面を装っているせいもあり、余計に自分を客観視してしまうのだろう。
ⅲ. 「自意識の化物」
いわばそれは、「うわべの自分」から距離をとって「本当の自分」がそれを眺めているような状態だ。
そして言い換えればそれは「自意識」、つまり自分自身についての意識が強すぎるということでもある。
自意識が強いと、いつも自分のことを考えてしまう、自分のことを客観視できてしまう、そういう状態に陥る。
とするならば、「自意識の化物」とは誰のことか。いつか陽乃が口走った「自意識の化物」という言葉は、*1むしろ陽乃自身に当てはまる言葉なのではないだろうか。
ⅳ. 「君は酔えない」
そしてだからこそ、「自意識の化物」と言われた当人も「酔えない」ことになる。
つまり「自意識の化物」と、陽乃からそう呼ばれた八幡もまた、自意識が強すぎて、お酒を飲んでもきっと自分を客観視してしまうだろう。
だからそういう意味で、陽乃は八幡に「君は酔えない」と予言をしたのだろう。
ⅴ. その言葉は「誰」への願望なのか
陽乃はこのように、いつもわかるように振る舞っているが、その実自分を他人に投影していることが多い。
であるならば、陽乃の言葉の裏からは、八幡が自分と同じ「自意識の化物」であってほしいという、そういう願いさえ聞こえてくる。
あるいは、それは自分への願望なのかもしれない。本当は「酔って」、「自意識の化物」であることから逃げたいのかもしれない。
雪ノ下陽乃は、そういうアンビバレントさ(両価感情)を備えている。
(※ちなみに陽乃が言っていた「諦める」の意味については前回の考察【俺ガイル完 1話】感想・考察「諦める」ことの意味 - 野の百合、空の鳥に書いたのでそちらを参照されたい)
Ⅲ. 「助ける」ことと「依存する」ことの違い
ⅰ. 「自分の力で」やる雪乃
いろはからプロムの依頼を受けた雪乃は「一人でもこのプロムについて責任をもってやり遂げるつもりでいる」*2と言う。
1話で言われていたように、雪乃の問題というのは雪乃が主体的に行動できるか否かということなので、プロムを自分の力でやってみるというのは、一見すると良いことのように思える。
ⅱ. 文化祭/生徒会選挙のときの失敗
しかしそれは文化祭や生徒会選挙のときと何が違うのだろうか?
文化祭のとき、雪乃は自分で、あるいは一人でやろうとした結果失敗してしまった。生徒会選挙のときも、奉仕部を「自由参加」にして、個々で行動した結果、奉仕部の間で意思疎通がうまくできず、生徒会長になりたいという真意は伝わらなかった。
そうだとするならば、今回も同じことになってしまわないだろうか?
ⅲ. 「共依存」?
結論から言えば、今回は文化祭や生徒会選挙とまったく同じようにはならない。
というのは、今回は問題を自覚した上で対立することになるからだ。しかしながら、助ける助けないという話はまた「依存」という別の問題につながってくる。
具体的には、陽乃が奉仕部の関係性を「共依存」と呼ぶわけだが*3、しかし雪乃を八幡や由比ヶ浜が「助ける」という事態は本当に「共依存」と言えることなのだろうか?
ⅳ. 「助ける」ことと「依存」することの違い
「助ける」ことと「依存」することの違いというのは、もっと後で(具体的に言えばとくに13巻以降、アニメではおそらく完5話以降)問題になるので、きちんと考えるのはもう少し後にしたい。
今は差し当たって、「助ける」ことと「依存」することの違いを語句の意味から簡単に供述するにとどめたい。
すなわち、「助ける」というのは自分の利益よりも他人の利益のことを考えて行う行為(利他的)であり、「依存」というのは他のものにすがって、自分を利する行為(利己的)だと考えられる。
さらに言えば「共依存」の場合は、相手を依存させたり、あるいは依存されることによって、自分の承認欲求をみたすことになる。
要するに、「助ける」ことと「依存」することの違いは、利他的か利己的かという観点にまとめられると考えられる。
ⅴ. 雪乃は態度は「依存」か?
しかし話はそう単純ではない。より詳しいことはもっと後の考察で触れたい。
ただ先走って言ってしまえば、雪乃の八幡や由比ヶ浜に対する態度というのは、「依存」とは少し違うのではないかと考えられる。
つまり、雪乃は「依存」するまでもなく、もうすでに自立している点、主体的に行動できている点があるのではないかと考えられる。
そしてこのことがまさに「今日まで、その鍵には一度も触れたことがない。」というサブタイトルにつながってくる。
Ⅳ. 「鍵」に「触れたことがない」ことの意味
ⅰ. 「大事なものをそこへしまうように」
では、「今日まで、その鍵には一度も触れたことがない。」とはどういうことだろうか?
まずここは原作を引用した方が考えやすいので、以下に引用する。以下は、いろはがプロムの依頼をし終わり、皆が部室を出た後のシーンだ。
俺も廊下へと向かい、その後に雪ノ下が続く。
後者に蟠る夜闇に廊下はしんしんと冷え込み、扉一枚隔てただけまるで別の場所に思えた。
けれど、肌で感じるこの冷たさこそは、この部室が心地よい空間であったことの証明。
仕事として請け負わない以上、明日からは俺がここへ来ることもなくなる。そう思うと、いささか名残惜しい。
けれど、きっと、自立とはこういう類いのものなのだ。小町の穏やかな兄離れのように、ちょっと寂しくて、誇らしい。だから、これは祝福すべきことだ。
大事なものをそこへしまうように、かちゃりと鍵がかけられた。
その鍵は彼女だけが持っていて、俺は触れたことがない。
(渡航『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。⑫』p. 211より引用。太字は筆者による。)
ここで注目したいのは「大事なものをそこへしまうように、かちゃりと鍵がかけられた」という一文である。
この一文からは、奉仕部の部室が雪乃にとって「大事なもの」であることがうかがえる。
それはもちろん、奉仕部にはたくさんの思い出がつまっているからでもあるのだが、しかしそれよりも、奉仕部というのは雪乃自身が主体的に運用している部であるからだ。
ⅱ. 「奉仕部」は主体性の結晶?
ポイントは、「奉仕部」というのがそもそも雪乃が主体的に運営している部活だという点にある。
というのも、「奉仕部」が雪乃の主体的に運営する部活であるならば、雪乃は目標としているはずの「自立」、「一人でやる」ということを、すでにある程度成し遂げいていることになるからだ。
ⅲ. そもそもなぜ奉仕部はできたのか?
そもそも奉仕部はなぜできたのだろうか?
奉仕部の立ち上げは、雪乃の案なのか、それとも母や陽乃によって提案されたのかは、作中では厳密には定かではない。
しかし当時の雪乃の状況(例えばタワーマンションに独り暮らしすると決めたのは雪乃が主体的に言いだしたことだが*4)を考えれば、奉仕部は雪乃が主体的に立ち上げたとしてもおかしくはない。
そして何より、誰が奉仕部を立ち上げたのだとしても、奉仕部をずっと運用し続けているのは雪乃自身である。
そしてそれを証拠づけるのが、「今日まで、その鍵には一度も触れたことがない。」という事実だ。
ⅳ. なぜ「鍵」に触れられないのか?
すなわち、 なぜ「鍵」に触れられないのかと言えば、それはもちろん、雪乃が誰よりも先に、ずっと「鍵」を取りに行き続けてきたからだ。
つまり雪乃は自分の意志で、自分が率先して奉仕部を運営するのだという意志で、「鍵」を取りに行き続けていた。つまり、いつやめてもよいような奉仕部を継続してきたのは、ほかならぬ雪乃自身の意志だと言える。
そう考えると、奉仕部の部室というのは雪乃にとって、奉仕部の面々との思い出以上に重要な意味も帯びてくる。
つまり、奉仕部の部室というのは、雪乃がずっと主体的に「鍵」で管理してきた、ささやかな主体性の担保なのだ。ずっと陽乃や母に主体性を奪われてきた雪乃が、唯一もっている小さな主体性の証なのだ。
したがって雪乃は「自分がない」ことを自覚していると言っていることには少し疑問が残る。 彼女は本当にずっと八幡や由比ヶ浜に「依存」してきたのだろうか?
ここからはさらなる議論が必要なので、また次回以降に考察していきたい。
ⅴ. <追記>「鍵に触れたことがない」を「雪乃の世界に触れたことがない」と解釈することは可能か?
結論から言えばこれは可能だ。ただし、それは条件付きでなければならないと考える。以下フォロワーの方からご指摘していただいたことをふまえてこれについて少し補足したい。
まず、無難に考えれば、「鍵」というのは普通、何かを隠しておくために使うもの、触れられたくないものを秘密にしておくために使うものである。
そうだとするならば、「鍵」というのは、雪乃にとってのある種の「秘密」、あるいはもっと広くとらえて「雪乃の世界」だと捉えることができるはずだ。
そうすると、「鍵に触れたことがない」ということは、「雪乃の秘密に触れたことがない」、あるいは「雪乃の世界に触れたことがない」こととイコールになる。
しかしながら、八幡が雪乃の「秘密」や「世界」に全く触れたことがないかと言えば、そうとも言い切れない。なぜなら八幡は文化祭で雪乃を「知って」、「一歩だけ」「踏み込んで」、あるいはマラソン大会では雪乃の「進路」を聞くこともするなど、ある程度雪乃の「世界」に触れているからだ。
また、雪乃の「秘密」とは何か?と言えば、それは雪乃が主体性にかけていること、「依存」気質にあるらしいことくらいのことだと考えられる。
そうだとするならば、結局、雪乃の「秘密」に触れるということは、雪乃の主体性の問題に触れるということにほぼ等しいことになるはずだ。そうだとすれば本文に書いた、「鍵」は雪乃の主体性のささやかな担保だという解釈と、結論はあまり変わらないことになる。
以上のこと、つまり八幡は全く雪乃の世界に触れたことがないわけではないということと、結論が本文の解釈とあまり変わらないことから、「鍵に触れたことがない」を「雪乃の世界に触れたことがない」とする解釈は、一旦は避けた。
しかし部分的には、つまり八幡が雪乃の世界や秘密に、もっと奥まで踏み込んだことがないことが「鍵に触れたことがない」ということなのだと解釈することならば、可能である。
さらにそのことが、完2話の由比ヶ浜が八幡と雪乃の世界に触れたことがないこととパラレルになっているというご指摘はその通りだし、素晴らしいと思った。
したがって、「鍵に触れたことがない」を「雪乃の世界に触れたことがない」と解釈することは部分的に可能であるということをここに追記した次第である。
Ⅴ. おわりに
今回は俺ガイル完2話について、とくに「鍵」に「触れたことがない」ことの意味について考えた。
自分で書いておいてなんだが、正直に言って、上のような「鍵」についての読み(解釈)が絶対かと言われれば当然そうではないし、上記の読みはそこまで強い論ではないように思われる。
というのは、これ以外の解釈も可能であると考えられるからだ。ただ私はいろいろある解釈の中で上記のものが自分としては一番しっくりくるので、それを書かせていただいた次第である。
これをお読みになっている方々も、ぜひ解釈を考えていただければ幸いだ。
そしていつもながら、私が書いたことが、読者の方々の考えるきっかけ、あるいは助けになれば、より嬉しく思う。
本当にいつも思っているのだが、私は何も解釈を押し付けようとしてこれを書いているのでは決してない。
私は、あくまで私が考えたことを提示して、むしろこれをたたき台として、いろいろな方々に自分で考えてもらうことを願っている。
俺ガイルを好いている一人の人間として、他の俺ガイル好きの方々により考えを深める一助になれれば、それ以上の喜びはない。
長くなってしまったが、末筆ながら読者の方々に感謝申し上げたい。
<参考文献等>
渡航『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。①-⑭』(小学館 ガガガ文庫、2011-2019)。
アニメ『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』(2013)、『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。続』(2015)、『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。完』(2020)。
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