Ⅰ. 「伝えるのが下手すぎる」
「大丈夫、ちゃんとわかってるから」
「……わかってないよ。あたし、ちゃんとしようと思ってる。これが終わったら……、ちゃんとするの。……だから、ゆきのんのお願いは叶わないから」
「……そう。私は、あなたのお願いが叶えばいいと思ってる」
「……あたしのお願い、知ってる? ちゃんとわかってる?」
「ええ。たぶん、あなたと同じ」
「そっか……、なら、いいの」
(『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。完』第7話より)
はっきり言ってよくわからない会話だ。ここは正直原作を読んでいてもよくわからないところなので、アニメだけ見ている方は尚更よくわからないだろう。
だから今回は、アニメだけを見ている方向けに、彼女たちが話していることを具体的に説明したいのだが、しかし同時に説明しない。
何を言っているかわからないかもしれないが、おそらく最後まで読んでいただければ言わんとすることがわかると思うし、まさにそういう「言葉にすると同時に言葉にしない」という逆説的な事態を理解するということこそが、『俺ガイル完』を理解することにつながる。
これまでの考察を読んでくださっている方には聞きなれた話も多いかもしれないが、ここで改めて言葉と俺ガイルとの関係を整理しつつ、新しい切り口からそれを説明してみたい。
Ⅱ. あえて言葉にしてみる
言葉にするというのがどれだけ滑稽なことかを知るために、まずあえて彼女たちが考えていることを具体的な言葉にしてみよう。
これまでの話からして、最初の会話をできるだけ具体化した会話に直すと、例えば以下のようになる(挿入した部分がわかりやすいように、元の会話は太字で記した)。
「大丈夫、由比ヶ浜さんが比企谷くんに告白して付き合いたいと思ってるのはちゃんとわかってるから」
「……わかってないよ。あたし、ちゃんとヒッキーに告白しようと思ってる。これが終わったら、ちゃんと告白してゆきのんとのヒッキーの取り合いに決着をつけるの。……だから、ゆきのんのヒッキーを独り占めしたいっていうお願いは叶わないから」
「……そう。私は、あなたの比企谷くんと付き合いたいというお願いが叶えばいいと思ってる」
「……あたしのお願い、知ってる? あたしのお願いにはヒッキーと付き合いたいってことだけじゃなくてずっと三人で仲良くしたいってことまで含まれてるのちゃんとわかってる?」
「ええ。ヒッキーの取り合いに決着をつけて、この関係性を清算したいと思っているという部分はたぶん、あなたと同じ」
「そっか……、なら、いいの」
かなり最悪だが、これで言葉にすることの滑稽さが伝わったと思う。
以下、これを踏まえて彼女たちが自分たちの想いを言葉にしない理由を考えてみよう。理由は大きく分けて二つある。
Ⅲ. 言葉にしない理由
ⅰ. 理由①そもそも言葉にできないから
まず、急いで訂正しなければならないのは、由比ヶ浜や雪乃は必ずしも八幡に恋心を抱いているわけではないということだ。
たしかに一見すると由比ヶ浜も雪乃も、八幡に対して恋愛感情を抱いているように見える。しかし由比ヶ浜はそれとは矛盾するように三人の関係性の継続を願っているし、雪乃は八幡には依存しないように、むしろ八幡との関係を断ちたいと願っている様子すらある。
要するに、彼女たちの抱いている感情は複雑であり、それは「恋愛感情」という一つの言葉に収まるものではない。
だから彼女たちは自分たちの「お願い」を口に出さない。というよりも、「お願い」にもたくさんの感情が含まれているので、それを言葉にすることが困難なのである。
ⅱ. 理由②言葉にしたら確定してしまうから
彼女たちが自分たちの想いを言葉にしない理由の二つ目は、言葉にしたら確定してしまうからということである。
例えば、由比ヶ浜が「あたしの願いはヒッキーと恋人になることだ」と言ったとすると、願い事は「恋人になりたい」ということだと確定してしまう。そのように「確定」すると、いろいろな弊害を生む。
まず、少なくともその言葉だけだと、「恋人」以外の関係性が結ばれる可能性が捨象されて(切り捨てられて)しまうという。由比ヶ浜は八幡といわゆる「恋人」とは違う関係性(例えば雪乃も含めた三人で友愛を結ぶこと)も結びたかったかもしれないのに、そういう可能性は切り捨てられてしまう。
次に、「恋人になりたい」という願いが確定すると、それは他人の行動に否が応でも影響してしまう。例えば、7話の段階で由比ヶ浜が「八幡と恋人になりたい」と雪乃に言ってしまっていたら、雪乃は由比ヶ浜に遠慮して八幡と関わることを控えただろうし、そうなると雪乃が八幡とさらに親密になる可能性は断たれていただろう。
要するに、言葉にするというのはとても強力なことなのである。言葉は人を縛るし、現実を歪める。あるいは言葉が人をコントロールすることもある。そういう事態を避けるために(具体的にはプロム企画の進行中という中途半端な時期に奉仕部の関係性をさらにこれ以上こじらせないために)彼女たちは言葉で確定することを避けたのだ。
Ⅳ. それでも言葉にするということ
ⅰ. 言葉が無力さを告白するとき
しかし、いくら言葉にすることが弊害を生むとはいえ、言葉なしには何も伝わらない。
だから八幡たちは、できる限り真に迫るような言葉で、できるだけ本当の気持ちに肉薄するような言葉で、なんとか気持ちを伝えようとする。
ⅱ. 「本物」という言葉
例えば「本物」だってその一つだ。
八幡が望んでいる関係性というのは恋人でもなければ、友人でもなければ三角関係でもない。それは欺瞞を許さない、お互いがわかりあいたいという傲慢を押し付け合えるような関係性だが、それ以上うまく言葉にすることはできない。
そういううまく言葉にできない部分までひっくるめて、八幡はそれを「本物」と形容した。だからそれは八幡の、精一杯の「言葉」なのだ。
ⅲ. 言葉のジレンマ
ここに、言葉のジレンマとでも言うべきものがある。
つまり、人間の感情や想いというのはときに言葉に収まり切るようなものではないが、それでもそれをどうにか言葉にしないと人に伝えることはできないのである。
『俺ガイル完』というのはさしずめそういう物語だ。彼ら彼女らの言葉にならない関係性、言葉にならないような想いを、それでもどうにか伝えて、関係性を前に進めようとする物語だ。
ⅳ. 「伝えるのが下手すぎる」
だから「伝えるのが下手すぎる」のも必然なのだ。
何か言っても、その言葉が本当に当の気持ちを表現できているとは限らない。だから彼ら彼女らはその気持ちをまちがえないように、正しいとは言えなくても、なんとかまちがえないように言葉を紡ぐ。
相変わらず俺たちは伝えるのが下手すぎる。言ったつもりで、知ったつもりで、わかったつもりで、それが積もり積もって今に至るのに、何も成長しないように感じる。
本当はもっと簡単な伝え方があることを俺も彼女もしっている。
けれど、それが正しいと思えないから。
だから、せめてまちがえないように。
祈るような気持ちで、俺は二人を見つめていた。
(渡航『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。⑬』p. 237)
もっと簡単な方法もある。これが普通のラブコメならもっと簡単だっただろう。恋愛でも、ハーレムでも、好きとか嫌いとかもっと素直な言葉で伝えられたかもしれない。
しかし彼ら彼女らはそうしない。簡単な方法も、嘘も欺瞞も許さない。まったく都合の良いラブコメではない。
やはり、彼ら彼女らの青春ラブコメはまちがっている。
<参考文献等>
渡航『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。①-⑭』(小学館 ガガガ文庫、2011-2019)。
アニメ『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』(2013)、『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。続』(2015)、『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。完』(2020)。
<次回>
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