Ⅰ. はじめに
「……だって、あの子の願いは、ただの代償行為でしかないんだから」
(⑭287頁)*1
「代償行為」。その言葉に八幡は穿たれる。彼はそこで、また前と同じあやまちを、否、「今までよりなお悪い」あやまちを犯していると気づく*2。
では「代償行為」とは何か?「代償行為」の何が八幡を後悔させるのだろうか?
10話は重厚なつくりになっており、原作既読の視聴者もあるいは難しく感じたのではないだろうか。そこで以下では、筆者自身の確認もかねて、10話の疑問を筋道を立てて解決していく。
具体的には以下のような疑問に答える。
- 「それに、この部活はなくなる」とはどういうことか?八幡はなぜ「部活はなくなる」と考えているのか?
- 雪乃が父の仕事に携わりたいと言うと、陽乃は「わたしはそれを認めるわけにはいかない」、「それ納得するって結構難しいと思わない?」と述べるが、それはなぜか?
- 「終わらせるなら、今がいいと思う」という雪乃に、「ゆきのんがそれでいいなら、いいよ」と答える由比ヶ浜。しかしそれに八幡は何も言えない。なぜか?
- 「代償行為」とはどういうことか? それは「何」の「何」に代わる「代償」か?
- 陽乃は「そんな偽物みたいな人生を生きてきたの」と言うがどういうことか?なぜ陽乃の人生は「偽物」と言えるのか?
- 平塚先生は「共依存なんて、簡単な言葉で括るなよ」と述べるが、このアドバイスはどのような意味を持っているだろうか?
ざっと疑問点を並べてみても、その数は決して少なくないが、どれも大切な問題なので、以下で丁寧に考えていきたい。
Ⅱ. 奉仕部の終わり ――最後の依頼――
ⅰ. 「この部活はなくなる」
「……それに、この部活はなくなる」
ずっと、実感だけがあったことをたぶん初めてちゃんと言葉にした。
これまで雪ノ下も由比ヶ浜も、あるいは平塚先生も、うっすらとそれに気づいていながらも、はっきりと言明したことはなかったはずだ。[……]
けれど、今、言葉の形をとったがために、それは避けなえない確かな事実になってしまった。(⑭234頁)
八幡は「この部活はなくなる」と、ここで初めてちゃんと言葉にするわけだが、そもそもどうして奉仕部がなくならねばならないのだろうか?
別に奉仕部がなくならなければならない理由なんてないはずだ。「奉仕活動」なら、これからだって変わらずできるわけで、したがって、奉仕部がなくなる必要もないはずだ。
しかし八幡は「終わり」を宣言する。あるいはそればかりではなく、雪乃や由比ヶ浜、平塚先生でさえ、「うっすらとそれに気づいて」いるのだと言う。
これはどうしてなのだろうか?
ⅱ. 奉仕部のはじまり
そもそも「奉仕部」とは何のためにあったのだろうか?雪乃は初め、奉仕部の活動について以下のように述べていた。
「持つ者が持たざる者に慈悲の心をもってこれを与える。人はそれをボランティアと呼ぶの。途上国にはODAを、ホームレスには炊き出しを、モテない男子には女子との会話を。困っている人に救いの手を差し伸べる。それがこの部活よ」(①33頁)
要するに「困っている人に救いの手を差し伸べる」ことが奉仕部の活動であり。¥、そのために雪乃は、「魚の獲り方」を教えてきたのだった。
しかしそうして人助けをすることが奉仕部の存在理由なのだとしたら、今八幡が「この部活はなくなる」と言う必要はどこにもないはずだ。なぜなら人助けなど、これからもいくらでもできるからだ。
つまり奉仕部が終わるのだとしたら、それは人助けが終わったからではない。そこには何か別の理由があるはずだ。
ⅲ. 彼ら彼女らが自ら「終わり」を規定している
実は奉仕部の「終わり」というのは、すでに定められている。それは由比ヶ浜がアニメ2期13話(原作11巻)で「最後の依頼」を宣言するシーンに見て取れる。
「もし、お互いの思ってることわかっちゃったら、このままっていうのもできないと思う……。だから、たぶんこれが最後の相談。あたしたちの最後の依頼はあたしたちのことだよ」(⑪312頁。太字は筆者による。)
「あたしたちのこと」、つまり八幡と雪乃、由比ヶ浜の問題を解決することが、奉仕部の「最後」の依頼であり、したがってそれが終われば、奉仕部も終わることになる。
具体的には、八幡は「本物がほしい」という「依頼」をし、雪乃は「……私の依頼はひとつだけ。……あなたたちに、その最後を見届けてもらいたい。それだけでいいの」*3という「依頼」をする。
このような「終わり」が規定され、奉仕部の面々がそれを暗黙の了解として共有しているからこそ、八幡も「この部活はなくなる」と言ったのだろう。
ⅳ. 雪乃の「依頼」について
ただし、雪乃の「依頼」というのは少し複雑である。
端的に言えば、雪乃の「依頼」というのは「最後まで見届けてもら」うという、それだけのことではない。それまでの口にしたいくつかのことも、雪乃の「依頼」の範囲に含まれると考えられる。
まず雪乃は昔「父の仕事」がやりたかったのだと言う。だから基本的には「父の仕事」をやりたいということを、雪ノ下母や陽乃に伝えることが目標に設定される(そして実際、完10話でそれは達成される)。
ただしそれには条件がある。それは雪乃自身が主体的に行動し、自分の意志で決定する(そしてできなければ主体的に行動した結果として「諦める」)ことだ。雪乃は自身の依存体質に悩んでおり、それを克服することが雪乃の願いでもあった。
したがってそれを受けて八幡は、以下のように独白している。
俺がこだわっていたのは一点だけだ。/雪ノ下雪乃が自分で選んで、自分で決めること。/誰かの意思や思惑や、同調圧力や空気や雰囲気で決められていいことではない。それがたとえ、何かを崩すことであったとしても、彼女の尊さや気高さを奪っていい理由にはならない。(⑫52頁。太字は筆者による)
したがって大切なのは、雪乃自身が自分の意志で決定し、場合によってはそうすることで「諦める」ことである。
ⅴ. 「依頼」は達成された……?
では結局、「最後の依頼」は達成されただろうか?
まず雪乃の「依頼」に関して言えば、表向きは達成されたように思われる。というのは、雪乃は自らプロムを実行に移し、さらに「父の仕事」に関わりたいと母や陽乃に伝えられたからだ。
したがって、ここにおいて雪乃が「やりたかったこと」は達成され、表向きは、あたかも雪乃の「依頼」が達成されたかのように見える。
ⅵ. 何も言えない
したがって雪乃自身も、奉仕部を「終わらせるなら、今がいいと思う」と由比ヶ浜や八幡に奉仕部の「終わり」を持ちかける。そして由比ヶ浜も「ゆきのんがそれでいいなら、いいよ」とそれに同意する*4。
しかしながら、八幡はこれに同意できない。八幡自身「これでいいと思っている」し、「全部納得している」*5。それなのに、八幡は言葉を発しない。発することができない。それはどうしてなのだろうか?
その理由を、八幡は陽乃からの痛烈な批判によって思い知ることになる。
Ⅲ. 「代償行為」とは何か
ⅰ. 未完の「依頼」
結論から言えば、八幡が奉仕部(の関係)を「終わらせる」という提案に同意できないのは、「最後の依頼」が完遂されていないし、さらに言えば八幡が「欺瞞」を容認してしまっているからだ。
「最後の依頼」か完遂されていないというのは、いろいろな意味でそう言えるのだが、まず八幡の「依頼」(「本物が欲しい」)はまったく完遂していないし、雪乃の「依頼」も本当の意味で完遂したとは言えない。
前者(八幡の「依頼」=「本物が欲しい」)については10話の範囲外なので、ここでは論じない。しかし後者の、雪乃の「依頼」については、10話でそれが達成されていない理由が、陽乃から示唆されている。
では雪乃の「依頼」はどうして達成されていないと言えるのだろうか?
ⅱ. 「代償行為」でしかないから
端的に言うならば、雪乃の「依頼」が達成されていないのは、雪乃の願いが「代償行為」でしかないからである。
そして、先走って言えば、雪乃の願いが「代償行為」でしかないということこそが、陽乃が雪乃の態度に納得していない理由であるし、またこの時点で八幡が犯してしまったまちがいの原因でもある。
したがって「代償行為」とは何か、なぜそれがいけないのかを解き明かすことが、この時点の問題を読み解く重要な鍵となる。
では「代償行為」とは何だろうか?
ⅲ. 「代償行為」とは何か
まず「代償行為」とは、一般に、「ある目標がなんらかの障害によって阻止され達成できなくなった時、これに変わる目標を達成することによってもとの欲求を充足するような行為」*6のことである。
これに加えて、『俺ガイル』では「つまるところ、偽物でもって自信を誤魔化す欺瞞でしかない」*7と付け加えられており、「代償行為」が「偽物」に値する行為であるとされている。
したがって「代償行為」とは、何か一つの目標の代わりに別の目標で補うことなのだから、ここで雪乃が「何」の代わりに「何」で補ったのかを明らかにすれば、「代償行為」の内容説明になるはずである。
では、雪乃は「何」の代わりに「何」でその願いを補ったのだろうか?
ⅳ. 「本当の願い」の代わりに「父の仕事に携わること」を願う
先に結論から言えば、雪乃は「本当の願い」の代わりに「父の仕事に携わること」を願うことでそれを補おうとしたと考えられる。
前者、つまり雪乃の「本当の願い」にはかなりの説明を要するので、先に「父の仕事に携わること」について説明したい。
まずもって、「父の仕事に携わること」が代償行為として願われたことに、陽乃が「それを認めるわけにはいかない」と言う理由がある。
Ⅳ. 雪ノ下陽乃という「偽物」
ⅰ. 陽乃はなぜ「それを認めるわけにはいかない」のか?
陽乃が「それを認めるわけにはいかない」というのは、雪乃が願った「父の仕事に携わりたい」ということが紛い物の、偽物の願いでしかないからだ。
それはまず、わりと単純な話として理解できる。すなわち、陽乃からすれば、20年ほど父の仕事を手伝うためにいろいろなことを「諦めて」修練してきたのに、急に今までろくに家業に関わってこなかった雪乃が「父の仕事に携わりたい」なんて言い出したら、それは単純に不愉快だろうということだ。
要するに、たとえるなら雪乃はソムリエにワインを送っているようなものなのだ。あるいは雪乃は、ピアノ歴20年のピアニストの前で、今までろくにピアノを練習してこなかったのに「私も将来プロのピアニストになりたいです」と言ったようなものなのだ。
しかもそれは本当の願いではない(と陽乃は受け取った)のだからなおさら不愉快である。つまり「父の仕事に携わりたい」ということそれ自体も本気ではない(と陽乃は受け取った)のに、そんなことを高らかに言われたら余計に不愉快だろう。
だから陽乃は「それを認めるわけにはいかない」のである。
ⅱ. 生涯の重み
それに加えて、陽乃は家業に「二十年」、すなわち彼女の全生涯をつぎ込んできたからこそ余計に「認めるわけにはいかない」。
これは陽乃の生涯を想像してみればわかる。かつて陽乃が「外向きのことはわたしのやること」*8と言っていたように、家業で表に出る仕事はおそらく陽乃がほとんどこなしてきたのだろう。実際、花火の貴賓席に座っていた*9のも、新年の挨拶周りをしていた*10のも、陽乃一人だけだった。
それは幼いころからそうだったはずだ。そうなれば当然、家族や周囲からの期待もすべて陽乃が背負っていたのだろう。そうして陽乃は約束された将来のために行動する。父親の評判を貶めるような行為は慎まねばならないし、研鑽を積んで父の名代に見合う人間にならねばならない。
ⅲ. 「偽物の人生」
その点において、陽乃の人生は「偽物の人生」だと言える。
約束された将来も、長女としての役回りも、すべて家庭によって定められた宿命だ。それは自分で決めて、自分で勝ち取った「本物」の人生ではない。すべてが紛い物の、「偽物」である。
あるいは彼女の性格さえ「偽物」だと言える。父の仕事を手伝い、周りと「うまくやる」ためには、人当たりがよく、人付き合いのうまい性格にならねばならなかった。だから彼女は「強化外骨格」という「うわべ」を作り上げた。
そのように、どこまでいっても陽乃は「偽物」なのである。だから陽乃は言うのだ。「わたしが二十年そうやって騙し騙しやってきたからよくわかる……。そんな偽物みたいな人生を生きてきたの」*11と。
ⅳ. その傍らで雪乃は
ではそんな陽乃の傍らで雪乃は何をしていたのだろうか?
雪乃は姉の後ろ姿を追っていた。陽乃とは違い、家業に無理に関わる必要もないのに、だ。
長女として期待された陽乃とは裏腹に、雪乃は「何でも」選べたはずだ。だのに雪乃は陽乃を追いかけ、何も選ばず、何も勝ち取らず、主体性もないまま他人に「依存」して生きる。
それはそれで「可愛くないわけではない」。しかし同時に、それは憎くもあっただろう。自分が生きられなかった人生を自由に選べるはずなのにそれをしない、そんな妹に陽乃は、あるいは憎しみすら抱いたかもしれない。
だからそんな妹が「代償行為」として「父の仕事」に携わりたいと言ってきたら余計に「認めるわけにはいかない」のだろう。「二十年」という言葉は、そのような重みすら持っている。
かなり話がそれてしまったが、以上のように陽乃の人生を想像してみれば、それが「偽物の人生」であるということ、そして陽乃が雪乃の願いを簡単に「認めるわけにはいかない」ということが十分わかるだろう。
Ⅴ. 雪乃の「本当の願い」とは何か?
ⅰ. 「本当の願い」とは何か?
ここまでで雪乃が「本当の願い」の代わりに「父の仕事に携わること」を「代償行為」として願ったこと、そしてそれをどうして陽乃が「認めるわけにはいかない」のかということは分かった。
では肝心の、雪乃の「本当の願い」とは何だろうか? おそらくそれにはいろいろな答え方ができる。
しかしここではひとまず以下のように答えておく。すなわち雪乃の「本当の願い」とは、抽象的な次元で言えば、本当の意味で「諦める」こと(あるいは主体的に生きること)であり、具体的な次元で言えば、奉仕部の関係性を発展させることである。
ⅱ. 本当の意味で「諦める」こと
まず、結局雪乃は「諦める」ことができていない。言い方を変えれば、雪乃は本当に自立して、主体的に選択できていない。
プロムも表向き雪乃が自立して成功させたように見えるが、それは結局、八幡が手回しして初めて成功したことである。
実際それは「手伝い」であって「依存」ではもはやないかもしれないが、気持ちの上では「手伝ってもらった」ことになっている。実際、雪乃は廊下のシーンで八幡に「手伝ってくれてありがとう」と述べている。
したがってこの点において、「雪ノ下雪乃が自分で選んで、自分で決めること」がきちんとできていないため、雪乃の「依頼」は完遂しておらず、それができない代わりに「父親の仕事を手伝うこと」という願いだけが願われたのだと考えられる。
これがまず抽象的なレベルでの「代償行為」だと言える。
ⅲ. 八幡や由比ヶ浜との関係性を発展させること
次に具体的なレベル(かつ、どちらかと言えばこちらの意味合いの方がつよい)での「代償行為」とは、八幡や由比ヶ浜とのの関係性を発展させることの代わりに「父の仕事に携わること」を願ったことだと考えられる。
雪乃の気持ちとしても、やはり奉仕部の関係性は大切なはずだ。それは実際9話で「正直に言うわ。楽しかった」と八幡に気持ちを吐露していたことからもわかるし、今回廊下で八幡の袖を引いていたことからもわかる(八幡にお礼を言うだけならずっと袖を引いている必要はないのである)。
本当は八幡や由比ヶ浜との関係を継続させたいのに、それを「終わり」にして「父の仕事に携わること」へと進む。具体的なレベルではそれが「代償行為」だと言える。
Ⅵ. 八幡の欺瞞
ⅰ. 「代償行為」という「欺瞞」
そして以上のような「代償行為」が陽乃から指摘されることで、八幡は自分の欺瞞に気づく。
すなわち八幡は、「雪乃の心からの選択を、心からの決断を、心からの言葉こそを望んだはず」なのに、雪乃の「代償行為」=「偽物でもって自信を誤魔化す欺瞞」を容認してしまったのだ。
いや、事態はそれよりも悪い。八幡は「容認」というよりもむしろ能動的に雪乃の「代償行為」=「欺瞞」を手助けしてしまっていた。「父の仕事に携わりたい」という「代償行為」を鵜呑みにして、しかも雪乃が自立することを願っていたはずなのに、裏から根回しして間接的にそれを手助けしてしまった。
そして雪乃の自立したいという願いを間接的に邪魔するばかりか、そうすることでもって奉仕部の関係性のことを棚上げにし、その後は奉仕部の関係性をそのまま終わらせようとまでしてしまっている。
以上のようなことが八幡の「欺瞞」だと言える。
ⅱ. 平塚先生の助言
では八幡はそのような「欺瞞」からどうやって抜け出せるのだろうか?
そのヒントを平塚先生が与えてくれた。それはすなわち、「共依存なんて、簡単な言葉で括るなよ」*12という言葉だ。
今まで八幡は「共依存」という言葉にとらわれてきた。八幡は「共依存」という言葉を否定するために行動し、「依存」にならないように対抗馬を立て、「共依存」にならないように雪乃から距離を置いてきた。
しかしそうして「言葉」にとらわれてしまっている時点で、八幡は大事なことを見失っている。すなわち、八幡は「心」を見失っているのだ(八幡は2期8話(9巻)で平塚先生に「問題の根っこは一つなんだよ……。心だ」(⑨226頁)と忠告されていたはずなのに)。
ⅲ. 「心だ」
八幡は雪乃の「言葉」に忠実になり、「最後まで見届けてほしい」という「言葉」を守ったが、そこで雪乃の「気持ち」を考えようとはしていなかった。
あるいは雪乃の「由比ヶ浜さんのお願いを叶えてあげて」という「言葉」を鵜呑みにして、その通り由比ヶ浜の願いをかなえようとした。そこで八幡は由比ヶ浜の「気持ち」を受け止めようとはしていなかった。
それに八幡は、八幡自身の「気持ち」すら無視していた。ただ「言葉」を、言い訳を弄するだけで、八幡自身が雪乃とあるいは由比ヶ浜とどうなりたいのか、どういう関係を結びたいのか、その気持ちを考えてこなかった。
平塚先生はその真意をつく。
「君の気持ちは、言葉一つで済むようなものなのか?」(⑭305頁)
そう問われた八幡はもはや言葉を発さない。
ではヒントをもらった八幡は果たしてどういう行動に出るのか? それについて語るのは、また次回にしよう。
<参考文献等>
渡航『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。①-⑭』(小学館 ガガガ文庫、2011-2019)。
アニメ『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』(2013)、『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。続』(2015)、『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。完』(2020)。
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*1:渡航『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。⑭』小学館、2019年、287頁。以下『俺ガイル完』10話について考えるために、その原典である小説『俺ガイル』を適宜引用する。なお小説『俺ガイル』からの引用は巻数を丸数字で略記し、頁数のみ記す。
*2:⑭288頁。
*3:⑫49頁
*4:⑭277頁。
*5:⑭277頁。
*6:⑭287頁。引用は『俺ガイル』からであるが、これは一般的な「代償行為」の定義と同様である。なお「代償行為」はもとは心理学用語であるため、「共依存」と併せて、作者である渡が心理学を調べる過程でこの定義を引っ張て来たのだと推測される。
*7:⑭287頁。
*8:⑤186頁。
*9:⑤186頁参照。
*10:⑩80頁参照。
*11:⑭289頁
*12:⑭305頁。