野の百合、空の鳥

アニメ・漫画・文学を「読む」

2022年をふりかえって

はじめに——セカイ "が" もっと近くに

すごく近いこと/すごく遠いこと

〈セカイ系〉っていう言葉がある。
定義としてはたとえば、東浩紀が掲げた、以下のようなものが広く知られている。

主人公と恋愛相手の小さく感情的な人間関係(「きみとぼく」)を、社会や国家のような中間項の描写を挟むことなく、「世界の危機」「この世の終わり」といった大きな存在論的な問題に直結させる想像力を意味している。

——東浩紀『ゲーム的リアリズムの誕生』より*1

いまでは、東がこの〈セカイ系〉というタームに着目し、論を展開していったこともまた、広く知られている。が、東が上のような定義を掲げるもっと前、具体的には10年ほど前には、その問題系は東のなかで、〈すごく近いこと〉/〈すごく遠いこと〉というタームで語られていたように思う。

それでぼくが今日強調したいのは、ぼくたちのこの社会においては、その「象徴界」の力が著しく減退しているのではないかということです。それは、『美少女戦士セーラームーン』というメガヒット・アニメを作った幾原邦彦という監督が言っているのですが[…]それで彼の話によると、最近の若い子は、すごく近いこととすごく遠いことしかわからない。それは小室哲哉の曲の歌詞からもわかることで、恋愛か世界の終わりか、いまの一〇代はそのどちらかにしか興味がない。言い換えれば、恋愛問題や家族問題のようなきわめて身近な問題と、世界の破滅のようなきわめて抽象的な話とか、彼らの感覚ではペタッとくっついてしまっていると言うんです。

——東浩紀「郵便的不安たち――『存在論的、郵便的』からより遠くへ」より*2

これは先に引用した『ゲーム的リアリズムの誕生』が出版された2007年の(正確には)9年前、1998年の講演でなされた発言である。

むろん、98年の発想と07年の想像力がどれほど結びついているかは、本当には当人しかわかるまい。とはいえ、傍から見て、〈すごく近いこと〉/〈すごく遠いこと〉というタームを使って語られていたことが、その二つの間、「中間項」を排除した〈セカイ系〉という問題に結びついているように思われるのはたしかである。

実際、このあと東は、むしろ〈セカイ系〉の困難、つまり「社会が描けない」という問題に対して応答している文学を評論した『セカイからもっと近くに』(東京創元社、2013年)という本を出版する*3。〈セカイ〉の問題が〈近く〉という距離のタームと結びつけられているのである。

 

そうした経緯はともかく、謂いたいのは、その『セカイからもっと近くに』で語られていた当時の困難が、いまではむしろ逆の事態になっているのではないか、ということだ。

そこで語られていた当時の困難とは、〈セカイ系〉の流行と軌を一にして在った、「想像力と現実が関係をもつことのむずかしさ」である。東はそうした困難が現状にあることを認めつつ、むしろそうした状況に抗った作家を『セカイからもっと近くに』で評論していった。

だが、2022年のいま現在、事態は逆なのではないか。すなわち、「想像力と現実が関係をもつことのむずかしさ」が問題なのではなく、「想像力と現実が関係をもつことの容易さ」のほうが問題なのではないか。

 

〈近く〉なった「戦争」

大きいのはウクライナ戦争である。2022年初頭、戦争が起こるまで、(とりわけ日本で生まれ育った人の)多くにとって戦争は「想像力」の産物だったように思う。もちろん2000年代においても、——小さな紛争など含め——戦争は本当にはたくさんあったわけだが、少なくとも、これほどまでにありありと、いま、ここに、戦争というものが(日本で生まれ育った人にとって)身近に在ったことはないだろう。だからこそかつては、『最終兵器彼女』に代表されるように、〈セカイ系〉においては「戦争」こそが、身近な人間関係などに対置される〈すごく遠いこと〉として、〈遠く〉に措定され得たのだ。

その「戦争」が、しかし今ではすごく〈近く〉になった。あるいは、「想像力」が「現実」に “成っている” とすら言えるかもしれない。

 

だが、その〈近さ〉は、実に奇妙な〈近さ〉でもある。物理的には距離があるはずのウクライナは、Twitterなどの各種SNS、メディアを通してわれわれの〈近く〉に現前している。

連日流れてくる——ときに残酷な——動画にはそこにいないはずの人が自由に「コメント」を付け、何か不透明な戦況が繰り広げられているときにはリアルタイムで「実況」しながらその様子が伝えられ、それに対し、人道的な支援、「投げ銭」が、「感情」に訴えかけながら要請される……それはまるで、Apex や Valorant など、FPSゲームの配信を見ているかのようだ。

戦争の感情化、と言ってもいいかもしれないその事態はだから、余計に、「想像力」が「現実」に “成っている” 、と言い表すのにふさわしい状況だ。

 

だから問題は、「セカイからもっと近くに」距離を詰めれば解決するようなことではない。むしろ「セカイ "が" もっと近くに」来てしまっているのだ。〈セカイ〉という言葉で(ときに揶揄として)言い表されていた「中間項」を排除した小さな問題と大きな問題の短絡は、——それは明らかに「中間項=社会」が絡み合った問題であるはずなのにもかかわらず——現にそこにあらわれてしまっているのだ。

 

リアルとフィクションの混交

私にとってこの一年はそうしたこと——しつこく言えば、「現実」と「想像力」の距離がきわめて縮まったこと、言い換えれば、リアルとフィクションが肉薄すること——を、実感をもってよく考えた年だった。

それに関する私なりの応答が、今年の私の活動に部分的には反映されている。ここでもそうだが、他所でもしつこく書いている藤本タツキに関することは、リアルとフィクションの近さに警鐘を鳴らすものだし、『ピンドラ』に関する考察でも、さんざんフィクションを熱心に信じるなら同じくらい熱心にフィクションを批判しなければいけない、と言ってきた。『俺ガイル』に関しても、「言葉」を蝶番として、フィクションがこちら側、現実に張り出してくるときに垣間見える〈他者〉に関する考察の布石になっている。

もとより、会話だって、他人だってフィクションだと、根本では感じてしまっている——もちろん必死にそれを「リアル」に還元しようとしているから生きられている——私は、だから過剰にフィクションを接種するのだと思う。

いつも以上に重い話になってしまったし、前置きどころの長さではなくなってしまったがともかく、例年通り、今年も、おすすめのコンテンツを語りつつ、2022年をふりかってみたいと思う。

 

アニメ

今年もたくさんアニメを見た。TVシリーズの内訳は、2022冬アニメ約15本、春アニメ約30本、夏アニメ約40本、秋アニメ約30本、となっている。その他、劇場でも今年はアニメ作品を多く見た。

 

劇場アニメに関して

劇場アニメをリンクを貼って紹介することはできないので初めに印象に残った作品をまとめれば、『鶏の墳丘』、『ピンドラ』、『犬王』、『ククルス・ドアン』、『夏へのトンネル、さよならの出口』、『花の詩女 ゴティックメード』、『私に天使が舞い降りた!プレシャス・フレンズ』、『SAO 冥き夕闇のスケルツォ』、『THE FIRST SLAM DUNK』といったところか。

そのなかでベスト3を選ぶなら『鶏の墳丘』、『夏へのトンネル、さよならの出口』、『花の詩女 ゴティックメード』だろうか。それらの感想ツイートは以下の通りである。

わけても『夏トン』は、自分のなかでは大切な作品だった。どうして『夏トン』をそんなに褒めるのか分からないかもしれないが、単純に個人的に好み、というのと、〈他者〉関係のうちの閉じた幸福の一形態として、とても大事なことを描いていると思ったから褒めているのだ。

そういう閉じた幸福の形象として、いわば「闇のセカイ系」とでも言うべき表象が、たとえば三秋縋作品などにあったように思う。というより、かつての「げんふうけい」に。『スターティング・オーヴァー』も『三日間の幸福』も『いたいのいたいの、とんでゆけ』も『あおぞらとくもりぞら』も——そして今はなき「げんふうけい」のブログにあった短編も——、自分にとっては「閉じた幸福」の理想形だった。

そこに描かれていた、あまりにも軽薄な「死」の表象は、むしろ軽薄さゆえに「リアル」であって——中学生にとって「死」は重いかもしれないが、「死にて~」とか「死のうかな」と口癖のように言うくらいには「軽薄」なはずである——、カジュアルなメンヘラはむしろリアリティをもって実存を殴ってきていた。

いまではその精神は地雷系/量産系の、とりわけモノトーンを愛好する人々に回収されていったように思われるが、たとえばボカロでも、「あの夏が飽和する」などの曲に、その趣がよく表れているように思う(ましろくんが歌っているのが好きなので「歌ってみた」を貼るが)。

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なんだか話が逸れてしまったが、ともかく、『夏トン』はそうした「閉じた幸福」の形象として大切なのだ。「閉じた幸福」、「闇のセカイ系」の大切さについては、いつかどこかで書ければ、と思う。

 

TVシリーズおすすめ

閑話休題。TVシリーズに話を戻そう。

章のはじめに書いたように、すごくたくさんアニメを見たわけだが、正直、めちゃくちゃこれをおすすめしたい、というアニメは今年は少なかったと思う。どのアニメも、ここは優れてて、部分的な褒め方はできるけれど……という感じだった。

むろん、個人的に『チェンソーマン』は見てほしいとか、そういうのはあるが、世間で話題になったものを、もとより逆張りの私がすすめるわけもない。

そういうわけだから先に、名前は有名で、だいたい人は見ているだろうが多少言及したいもの、について触れ、そのあと個人的におすすめの3作を紹介する。

それでは言及はじめ。

まず、『古見さん』は、1期のときにも言ったが、2期でもあいかわらず画面のつくりにこだわり、アニメでマンガをやる試みがおもしろく、『式守さん』は細かい演出を含めウェルメイドなので見てほしく、『メイドインアビス 烈日の黄金郷』は役者の芝居を含めほぼ完ぺきな仕上がりになっており、『サマータイムレンダ』は15話 矢嶋哲生 回が話数単位では今年随一の出来で、『サイバーパンク エッジランナーズ』はドラッグのように駆け抜けたアニメだった。

言及おしまい。

以下、今年の才華セレクト3作を紹介。

 

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最初は——置きに行く感じにはなるが——『時光代理人』。中国webアニメ発のSFっぽい作品。写真を介して過去に干渉することができる二人の主人公のバディものでもある。

監督の李豪凌は、『詩季織々』で知っている人も多いと思うが、明らかにポスト新海誠的な映像をつくっている。『詩季織々』ではしたがって、その写実的で美しい「風景」に目を惹かれた人も多いだろうが、『時光代理人』は何なら『君の名は』的な問題も引き受け(地震の話がある)、しかもかなりうまく政治性(とりわけ中国における都市と農村の格差問題)を導入することに成功している。

毎回の展開もスリリングで、話として、ふつうに飽きない。バディが働く写真館の一人娘リンもすごく魅力的で、しかし過度に目立つことはなく、とても良い塩梅で活躍する。ここではあえてopを貼ったが、opのくねくねダンスも好きだった。

すでに2期も決まっており、続きを待ち望むという意味でも、これからも注目のアニメ。

 

アニメ②『ちみも』

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次に『ちみも』。「地獄からの使者」=「地獄さん」と、魑魅魍魎である「ちみも」が、居候先のめい、はづき、むつみの三姉妹が住む鬼神家で繰り広げる「ハートフル地獄コメディ」……もうおもしろくないか?

話もおもしろいが、アニメーション的にもよくできているように思われ、少ない工程で、ヴァリエーション豊かな表現をしていると感じる。写実でなくても、デフォルメでここまでできる、ということを見せてくれるアニメ。

ちみもはロケット鉛筆、ないしはレゴブロックであり、組み合わせ次第で何にでもなれる、無限の可能性を秘めている。奇想天外な画面を見せてくれるのが、とにかくよい。アニメーションは豊かだな、と思う。

声優の助けもあり、安定している。諏訪部順一などの重鎮もそうだが、印象に残ったのは主演のひとり、神月柚莉愛。同氏は『崖の上のポニョ』で主人公ポニョの声を担当した、声優というよりはタレントの方だが、役柄にとてもマッチしていてとても好感を持った。

アニメが手数の多さを褒めるための媒介物でない、と思うなら、『ちみも』を見た方がよい。

 

アニメ③『BIRDIE WING -Golf Girls’ Story-』

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最後は『BIRDIE WING』。通称バカゴルフ。もちろん、とても良い意味で言っている。

マフィアの揉め事に巻き込まれ、なぜかゴルフで決着をつけることになったり——要するに『遊戯王』であり、ゴルフは決闘(デュエル)である——、そのマフィアが地下にゴルフ場を所持していたり、地下ゴルフ場は全自動で地形をランダムに生成できたりする。

なにを言っているかわからねーと思うが、ともかくそういう「バカ」な事態がつぎつぎに起こるのでとにかく見てほしい。ゴルフ版『テニスの王子様』と言ってもよいかもしれない。

ひとつ付け加えれば、これもある種のバディものであり、プレイヤーとキャディのキャラ分けもおもしろい。あるいはプレイヤーとプレイヤーでバディ、という考え方もでき、キャラクターのヴァラエティも楽しめるように思う。

これも2期が決まっており、ほんとうに楽しみ。

 

マンガ

つづいてマンガの話をする。

今年はそんなにマンガを読めた実感がない。引き続き『ジャンプ』と『コミックDAYS』と『コミックビーム』を購読しており、わけても『DAYS』のおかげで講談社系のマンガは『デザート』『なかよし』『別冊フレンド』『BE・LOVE』『姉フレンド』『comic tint』などの少女漫画誌・女性誌もふくめ、幅広くカバーはできているが、もちろん全部きちんと読み切れてはいない。

しかも結局『ビックコミックスペリオール』に掲載されているマンガほぼ単行本で買ってるじゃん……とか、そういえば komiflo も購読してたし年末に DMM で BL 買い漁ったし……とか、いろいろあるが、とにかく読んだものに偏りがあることはたしかだ。

とはいえ、たとえば『このマンガがすごい!2023』を開いてみると、オトコ編/オンナ編どちらも10位以内はすべて読んでいたので、「世間」についていけるくらいには読んでいるらしい。

(余談だが、『このマンガがすごい』のオトコ編/オンナ編の区分はよくわからず、同じ雑誌に載っていたものが違う区分でランクインしており、どうなっているのかと思ったら、オトコ編/オンナ編の区分けは評者の区分けに因る、と聞き、もしもそれが本当なのだとしたら、オトコ編/オンナ編は投票者、ないしは投票者を選ぶ側の意識的/無意識的な偏見の反映ということになり、単に差別的なのでそういう区分はやめたほうがよいのではないかと思った。もし仮に、オンナ編が「マイナー」なマンガの救済になっているとしても、「マイナー」なマンガをランクインさせる賞レースの仕組みは、オトコ/オンナという区分とは別に考え得るのだから、ふつうに異なる仕組みをつくったほうがよいように思われる)

 

おもしろかったマンガ2022

ひとまずは今年(も)出版・発表されたマンガでおもしろかったマンガのうち、名前だけ挙げたいものを挙げる。

基本的には巻数の少ない作品を優先している(したがって逆に、巻数が多くてもおすすめしているということはそれだけおすすめということである)。

 

ジャンプ系

まずジャンプ系。『高校生家族』、『SAKAMOTO DAYS』、『夜桜さんちの大作戦』、『PPPPPP』、『あかね噺』、『ALIENS AREA』、『ギンカとリューナ』、『暗号学園のいろは』、『ゴダイゴダイゴ』、『正反対な君と僕』、『放課後ひみつクラブ』、『恋人以上友人未満』、『マリッジトキシン』、『2.5次元の誘惑』、『宇宙の卵』。なかでも『2.5次元の誘惑』はエロ枠だと思われており、まあその通りでもあるのだが、ふつうにアツいマンガではあることは強調したい。

ジャンプ+に載った読み切りはきりがないので本当に印象に残ったものだけを挙げると、『萌えの血』、『へのへのもへじと棒人間とパンツ』、『フツーに聞いてくれ』、『デス鮭ハンター』あたりか。『デス鮭ハンター』のビジュアルセンスが好きだったので紹介しておく。ジャンプ+に関してはきちんと追えていないので良いものを逃している可能性が高い。

shonenjumpplus.com

 

講談社系

次に講談社系。本当にきりがないからわりと厳選。

『戦隊大失格』、『赤羽骨子のボディガード』、『アトワイトゲーム』、『黒博物館三日月よ、怪物と踊れ』、『虎鶫』、『ブルーピリオド』、『青野くんに触りたいから死にたい』、『ワンダンス』、『スキップとローファー』、『大雪海のカイナ』、『サンダー3』、『ブレス』、『スイカ』、『望郷太郎』、『新婚だけど片想い』、『魔女メイドは女王の秘密を知っている。』、『天球のハルモニア』。

『赤羽骨子』は絵が好きで、とくに序盤はミステリ要素もおもしろく読んだ。『アフタヌーン』に連載されているもはや有名な作品群は、しかしずっとおもしろいし、むしろ後半のほうに論点がたくさんあったりするので、途中で止まっている人があったら読んだほうがよい(とりわけ『ブルピ』ノーマークス編や『スキップ』の最新のほう)。『ブレス』はTwitterでも紹介したメイクアップアーティストのマンガ。

そしてラインナップからわかる通り、DAYSでいわゆる少女漫画誌・女性誌をいろいろめくってはいるが、——きちんと読めていないからかもしれないが——結局『なかよし』がおもしろいのでは?という感じになっている。正直『姉フレンド』とか、絵に魅力はあるのだが、雑誌の性質上、想像力がかなり似通っていて、『なかよし』のほうが突飛な発想が露呈していておもしろい。『魔女メイドは女王の秘密を知っている。』はかなり新しいが、「女王」が実は男性という、かなり注目度の高い設定になっている。いや、個人的趣向が入っているのは否定できないが。

あと、コミックDAYSに掲載された読み切りを入れると、本当にきりがないのでやめておく。とにかく、DAYSの読み切りは、コミックDAYSの連載よりもおもしろいという説があり、ふつうにランキングを見るとよい。

 

コミックビーム

『コミックビーム』から。『緑の歌』、『SPUNK -スパンク!-』、『ふきよせレジデンス』、『ゴクシンカ』、『星屑家族』、『ミューズの真髄』、『グリッチ』、『EVOL』、『オール・ザ・マーブルズ!』、『女の子がいる場所は』、『僕の心がチューと鳴く』。

『緑の歌』は去年も紹介した。『SPUNK -スパンク!-』は新井英樹が「女王様」を描いており、強烈だが癖があっておもしろい。『ふきよせレジデンス』は去年した谷口菜津子の最新作であいかわらず好き。『ゴクシンカ』は1話が秀逸。『星屑家族』は毒親総括。『ミューズの真髄』は2巻の表紙が良い。『グリッチ』はバンドデシネっぽい。『EVOL』はずっとおもろい。『女の子がいる場所は』も良い本。

そして『僕の心がチューと鳴く』はすごく良かった。登場人物がネズミやらネコやらに「成って」しまうのだが、あれは本物なのだ。終盤の展開で、それが「症例」として回収されずに、つまり、フーコーが説いたような国家や権力に回収されずに、自由に走り回って「チューと鳴く」。あの最終回は秀逸だった。

 

その他

ここからは不甲斐ないが「その他」としてまとめられてしまう。が、ひとまず名前を挙げる。

『白山と三田さん』、『アフターゴッド』、『言葉の獣』、『フールナイト』、『偽物協会』『花四段といっしょ』、『ブランクスペース』、『ハッピークソライフ』、『東京ヒゴロ』、『かぐや様は告らせたい』、『新本格魔法少女りすか』、『これ描いて死ね』、『劇光仮面』、『クジマ歌えば家ほろろ』、『いまのゆけむり』、『私のきらいな人』、『怪物(バケモノ)』、『熱帯夜』、『不完全マーブル』、『スリーピングデッド』、『ハッピー・オブ・ジ・エンド』、『歌舞伎町バッドトリップ』、『夜明けの唄』、『純情でなにが悪い』、『夜嵐にわらう』、『みやこまちクロニクル』、『虎は龍をまだ喰べない』、『音盤紀行』、『生活保護特区を出よ』、『星旅少年』、『模型の町』、『天幕のジャードゥーガル』、『みちかとまり』、『彼岸花』、『マオニ』、『半分姉弟』、『コント「ファミレス」』、『レ・セルバン』『分光器』、『スーサイドガール』。

ちょっと多すぎるので、全部に説明を付することはできないが、今年は、というより今年も、トーチコミックスがおもしろかったな~というか、「トーチweb」がめちゃくちゃおもろいな、というのが感想のまとめになる。キャンペンーンを貼っていたときもTwitterで紹介したが、とにかくトーチのマンガはだいたい全部おもしろいので読んでほしい。

to-ti.in

 

best10

めちゃくちゃ難しいが、あえて—— "あえて" である—— 才華が好きだったマンガ2022 best10を選ぶとすれば、以下のようになろう。

  1. 白井もも吉『偽物協会』
  2. 伊図透『分光器』
  3. 濱田浩輔『レ・セルバン』
  4. 増村十七 『花四段といっしょ』
  5. ちほちほ『みやこまちクロニクル』
  6. まどめクレテック『生活保護特区を出よ。』
  7. 池田祐輝『サンダー3』
  8. 田島列島『みちかとまり』
  9. 朝田ねむい『スリーピングデッド』
  10. マポロ3号『PPPPPP』

まあ人によってはあり得ないランキングになっていると思う。あえて、たぶん、より多くのひとにおもしろく感じるだろう、と思う作品をあげれば、それは『フールナイト』とか、『東京ヒゴロ』とか(1巻はとくにほんとうにおもしろい)、『これ描いて死ね』とか、『劇光仮面』とかになるのだろう。

だが私としては上のようなものをあえて選びたい。紹介したいものを、3作品、あとでピックアップするとして、ここでは残りの7つを簡単に紹介する。

 

白井もも吉『偽物協会』

『偽物協会』はもう言わなくてもよいだろう。去年も3選に選んだし、Twitterでもさんざん宣伝してきた。しかし第2巻第9話の「紙の偽物」の回はほんとうに素晴らしいので読んでほしい。

 

濱田浩輔『レ・セルバン』

urasunday.com

『レ・セルバン』は、濱田浩輔だから入れた。『はねバド!』の作者である。つねづね生きているのか何なのか気になっていたが、今度はなんとダークファンタジーのようなものを描くという。単行本はまだ出ていないので何とも言い難いが、気になる人は『はねバド!』を読んだらよい。『はねバド!』は絵柄が変わったことしか注目されないが、真髄は変わったことそのものではなくて、それが何に比例しているのかを見極めるところにあるのだ。10巻以降からのほうがおもしろいので、『はねバド!』を読んでくれ。

 

池田祐輝『サンダー3』

comic-days.com

『サンダー3』は1話がバズっていたので目にした人も多いだろう。これとかはまさにフィクションの世界の住人がリアルの世界に移行する、というフィクションであって、まあおもしろい。

 

まどめクレテック『生活保護特区を出よ。』

to-ti.in

これも話題になっているからよいだろう。戦後に日本が「新都トーキョー」と「生活保護特区」に分けられたという半SF。

「能力不振や病気、障害等により自立困難なもの」が「生活保護特区」に更迭される、ということになっており、かなりはっきりとした設定をつくっている。

 

田島列島『みちかとまり』

comic-days.com

これも単行本になっていないのだが、最近では『水は海に向かって流れる』などで話題となった田島列島の新作。

こう、一見ふつうのドラマ的なタッチで始まるのだが、子どもが竹藪から生えてくる、という、少し不思議な話である。

次いで、信仰の話、神様の話でもあり、展開的にもまだわからない面が多いが、かなりおもしろい。

 

朝田ねむい『スリーピングデッド』

BL。数あるBLでもこれを選んだのは、話が重厚、というよりは、そもそも2巻完結で話を重厚にするのは至難の業で、BL上下巻あるあるだが、とにかくなんとか重厚に仕立てるわけである。そういう意味での完成度がすごく高い作品なので、これこれ~こういう感じ!、というテンションで選んだ。

朝田ねむい氏の作品は、これまでもだいたい読んできたと思うが、申し訳ないが個人的にはそこまでピンとくることはなかった。しかしこの作品はとても評価されているようだし、なるほど、と思ったので、紹介するのにふさわしいのかなと思った。

ちなみに、今年は商業BLもそれなりに読んだつもりではいたが、詳しい方には遠く及ばず、結局話題作は一通り読んだが、これは絶対紹介したい、みたいなものに出会ったかというと、ちょっと厳しい(『ハピクソ』とか相変わらず好きだが、はらだ作品とかはもともとおすすめしているし)。いや別にふつうにおもしろくはある。どれも平均的かそれ以上に楽しめるのだが、さまざまな限界も感じた。いや、たぶん私の探し方が悪いだけで、本当にはもっとあるのだろう。来年はもっとBLを読みたい。

 

マポロ3号『PPPPPP』


PPPPPP 1 (ジャンプコミックスDIGITAL)

みんな『PPPPPP』を見誤っている!、と言ったら言い過ぎかもしれないが、表現は極まってきている。それも、巻を重ねるにつれ。

ほんとうにおもしろいコマばかりだし、そういう話でそういう展開なら、この描き方が完璧だ!と感動することが幾度もあった。

だから表現に関心がある方には一読してほしい逸品。

 

ピックアップ①伊図透『分光器』

ここからはとくにおすすめしたいピックアップ作品。まずは伊図透『分光器』。

伊図透に関しては、おそらく一昨年、『銃座のウルナ』を薦めたように思う。『ウルナ』は長編だったが、『分光器』は短編で、『コミックビーム』で連載していたものを編んだものになっている。

多少おもしろさ、というか、趣向にはばらつきがあるように思うが、個人的には「堰」という短編が秀逸だと思った。「堰」はタイトル通り、ある種の「堰」、つまりダムのようなものの管理をしているのが主人公なのだが、その「堰」の描き方や水の表現、「ビー玉」、オチ、もろもろすべてが完璧だと思う。

短編集で手が出しやすいし、ぜひ読んでいただきたい。

 

ピックアップ②ちほちほ『みやこまちクロニクル』

to-ti.in

こちらは、東日本大震災で大きな被害を受けた「宮古市」を舞台に作者さんが体験したであろうことを綴った、日記的な作品になっている。初出はコミティアで、だから厳密には2022年の作品ではないのかもしれないが、単行本は今年出たので、今年の範疇に含めた。

とにかく淡々とことが進んでゆくのだが、そのリズムがきわめて均一であるところがこの作品のおもしろいところ。日常の小さな怒りも、大きな災害も、平等に、淡々と描写される。

こんなにずっと平熱でいいのか、という本作、ぜひ味わってほしい。

 

ピックアップ③増村十七 『花四段といっしょ』

これも話題になっているし、いいかな、という感じかもしれないが、そうもいかない。

もちろん花四段もとっても素敵なのだが、兄妹弟子の朝顔というキャラがすごく魅力的なのだ。

将棋の話だが、将棋はわからなくてもよい。その感じが許されるのなら、読んでほしい。

 

映像コンテンツ

例年はここは「Vtuber」という枠なのだが、今年はそこまで Vtuber を漁れなかったのと、ふつうにYoutuberでも紹介したいグループがあるので、「映像コンテンツ」という枠組みにした。

たとえば Youtube に関しては、Youtube Premium に入った2020年9月からの累積視聴時間が6400時間を超え、今週は一日平均8時間 Youtube を見ていることになっている。これは私が作業中にずっと何かを流していないと発狂する性分ゆえであり、ずっと見ているわけではない。

が、もろもろ見ているのはたしかである。一番見ているのは、もうしかしたら「東海オンエア」とかかもしれない。いままで明言したことがなかったかもしれないが——いや、明言するのも意味が分からないが——、東海オンエアは(メンバーシップの動画などを除けば)基本的には全部見ており、いまでも毎日投稿を追っている。

東海オンエアを知らない方は「2泊3日寝たら即帰宅の旅」などを見るとだいたいの雰囲気が伝わると思う(個人的には「任侠散歩」とか「おもしろスナイパー」とか「あの遠くに見える山は本当に山なのか!?」とかが好きだが)

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しかしいまさら東海オンエアの紹介とかしてもしょうがないし、ぜんぜん2022年ではないので、とりあえずピックアップして、私が2022年とくに見たもの、おすすめしたいものを5つ紹介しよう。

ちなみにふつう、「映像コンテンツ」なら、映画も入るが、映画を私の口からおすすめしてもしょうがない気がするので、今回は除く。しいていえば、『TITANE』は個人的には最高の映画だったので、グロテスクな描写が大丈夫なら『TITANE』を見てほしい(あと今年サブスクに入ったものなら『燃ゆる女の肖像』とかを見るとよい)。

 

①無地むーじ

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無地。

 

②だいにぐるーぷ

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このグループを紹介したいがために「映像コンテンツ」と括ったと言っても過言ではない。

だいにぐるーぷは、中学からの友人同士で結成された、早慶生と中卒による6人組グループである。そのたぐいまれな企画力と映像技術が、前々から一部では話題になっていたし、私も何度かTwitterで触れたが、今回強烈なドッキリ企画を打ってきたので紹介することにした。

その企画というのが、メンバーが逮捕されるドッキリというもの。逮捕されたメンバー1人にとっては、逮捕はリアルで、実際に留置場のようなところで10日間ほど、生活することになる。警察や弁護士、留置所の同居人などはすべて仕込みで、4年前から、メンバーは仕込みを行ってコツコツ企画を積み上げたという。

もちろん逮捕されたその1人のメンバーの人権は侵害されているが、これが企画として成立し、そしてファンに受け入れられている。後日談を綴ったBDも、一度は売切れたとのことである。

Youtuberと倫理を考えるうえで、これは外せない作品になるのではないか。

ちなみに、メンバーの1人だけが陥れられ、残り5人が仕掛け人、という企画は初めてではない。以前「樹海村」と呼ばれる富士山の樹海にある村で撮られたドキュメンタリーでも、ドッキリが仕掛けられ、メンバー1人が死ぬかもしれない危機に陥っている。

気になる方は、まずは「アメリカ全土で1週間鬼ごっこしてみた。」など、マイルドな企画から見ると、いろいろ分かるかもしれない。

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③ぶいすぽっ!

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Vtuber 枠。

私が今年一番見たVtuberグループがおそらく「ぶいすぽっ!」だろう。「ぶいすぽっ!」はとりわけ eSports などに特化したグループで、Apex や Valorant 、OW など、FPSゲームの実況がメインとなっている。

が、結局のところ消費されているのは人柄と関係性である。Apex であれ、 Valorantであれ、強力して「戦争」を繰り広げなければならないわけであり、その形態が一定の層を敬遠している。が、プレイする側ではなく、それを見る側に回ると、とたんにその表層を消費する側に回る。

冒頭に述べた「戦争の感情化」のことも考えつつ、そうした思考に短絡することを許さない、「ぶいすぽっ!」メンバーの豊かで、ひたむきで一心な姿を興味深く見た。「ぶいすぽっ!」メンバーを見ていると、だからむしろVtuberのはずのメンバーこそが、「ゲームはゲームじゃん。でもゲームだから真剣になれるんじゃん」と語りかけてくれるのである。

 

ついでにいうともちろんVtuberはほかにも無限に見ているわけで、あいかわらずホロだってにじだって深層組だって見る。が、結局力一とか、チャイカとか、委員長を見に行ってしまうわけであり、代わり映えはしない。

力一も後追いで聞いていた「深夜32時」も、「りきいちファーム」すらもすべて見終えてしまう始末。直近ではマジの夜勤事件2022年編がおもしろかったので貼る。「猫」の話が良かった。

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④毒親持ち座談会

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語るのが難しいのだが、ひとまず、この手の配信を見るときの倫理というのはいつも考えさせられる。

何を言っているんだ結局消費しているのはお前だ、と指をさされても仕方がない。それはまったくその通りなのだが、はっきり言って私もこの手の配信に助けられてはいるし、当事者ももちろん、そこからコミュニケーションを繋いでいる。

一応、ここにいる人たちもVtuberというガワを被っており、それがある種のセーフティーネットともなっている。手放しに支援することは憚られるが、現状として、こういう在り方があるのだ、というのを興味深く見た。

 

⑤おめシス

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いまさらおめシスかという感じかもしれないが、しかしリアルとフィクションをラディカルに混交させているのはおめシスだろう。

「部位tuber」、すなわち、顔だけがガワになってもう久しいが、顔だけ二次元で体は三次元というのは、やはりふつうにそうとう奇妙なはずである。

しかしもうすっかりこのスタイルにも慣れてしまった。貼った動画も、どこでもフルトラッキングが可能になった、という話で、AR=拡張現実、というよりは、むしろVRのほうがこの現実のほうに「拡張」している感がある。

毎年のようにいろいろなことを更新してゆくおめシスにこれからも注目したい。

 

おわりに

「宝探し」と「感情化」

セカイ "が" もっと近くに。

これほどまでにリアルとフィクションが漸近したことはない、改めてそう感じた一年だった。いや、世界ははじめからそうだったのかもしれない。が、私の実感としては、今年がとりわけそうだったのだ。

差し当り、何か解決策を見出すのは難しい。たとえば藤本タツキの「宝探し」メソッド、つまり、あらかじめ見つかることを見越したうえで「元ネタ」を仕組むやり方、が、人々のパラノイア的欲望を掻き立てる陰謀論と紙一重のやり方だ、ということは、いくつかのところで言ってきたが、それを辞めさせるのは難しい。

あるいは「感情化」した戦争を批判し、SNS上で支援を呼びかけ、そうしたフィクションめいた言説が、本当に、いま、ここにある現実の戦争をも動かしてしまう、という事態は、それが良い方向に使われているかぎりでは良いのかもしれないが、それが悪事にも転用可能なことを証立ててしまっている、とも言える。しかし実際に支援が必要な現状で、そのことを声高に批判しても効力は薄い。

 

「物語」というパルマコン

想像力がこんなに現実の近くに、〈セカイ〉がこんなにも近くにあるなかで、わたしたちはどうすればよいのか。

考え得ることのひとつに、同じ想像力で、「物語」で対抗するのだ、という道があり得る。だがそれは、『ピンドラ』でいえば、桃果を過信する道だ。たしかに桃果は「呪文」を授け、その魔法で、世界を革命する力をくれる。でもそれは「呪い」の裏返しだ。「呪文」と「呪い」それは同じ水準で、同じ暴力をふるっているということだ。

つまり「物語」に「物語」で対抗するのなら、その「物語」が毒にも薬にもなるということを自覚しなければいけない。しかしその自覚というのは、たいへんに難しい。フィクションと現実の区別なんて、つくわけがないのだ。区別がつくと息巻くなら、それはフィクションと現実という二分法の物語に、酔わされているだけだ。

 

「物語」とは別の仕方で

考え得るもうひとつに、別の〈言葉〉を使うというのがある。「物語」とは別の〈言葉〉を。

先に述べたのは、つまるところ、文学に戦争は止められない、ということである。ならば、文学とは別の仕方で。「物語」の彼方にある〈言葉〉を使うのはどうか。

思うに、それは有効なのだが、しかしどの〈言葉〉をチョイスするのかに懸かっている。一方では、ほんとうに物質的な、一元的な〈言葉〉を使う、というのがある。報道の、メタファーのない〈言葉〉だ。だがそんな〈言葉〉が可能なのか?

もうひとつは、むしろ意味の複重化する、〈詩〉の言葉がある。それはある種の聖性すら帯びているかもしれないが、だがそれと「物語」の言葉との間に、どれほどの距離があるというのか。

こうして、現状は手詰まりになる。

 

セカイから……

だから現状は、不甲斐ないが、「なんとかやっていく」という、すごく地道な方策しか考えられない。

過剰なまでのフィクションを接種し、リアルとフィクションをもっと〈近く〉に漸近させつつ、その都度〈遠く〉に離すのだ。こうしたリアルとフィクションの「レッスン」が、あまりにも〈近く〉に在る両者を、切り離す術を教えてくれる。

この記事が、そのためのリストだ。セカイ "が" もっと近くにあるいま、われわれはそこから、なんとかその術を学びつつ、距離をとるしかない。

そう言いつつ、どうしてもフィクションに惹かれる私が在る。だからこれは、「批判に見せかけた自戒の祈り」なのかもしれない。

それでも、いやだからこそ、めいいっぱいの希望を込めてこう言おう。

セカイからもっと遠くに——

 

 

 

【参考文献等】

東浩紀『ゲーム的リアリズムの誕生』講談社、2007年。
——、『郵便的不安達β』河出書房、2011年。
——、『セカイからもっと近くに』東京創元社、2013年。
前島賢『セカイ系とは何か』星海社、2014年。
『月刊ニュータイプ』1998年10月号、角川書店。
『庵野秀明のフタリシバイ』徳間書店、2001年。

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*1:東浩紀『ゲーム的リアリズムの誕生』講談社、2007年、96頁。とはいえ、セカイ系という用語はインターネットから自然波及的に広まったものであり、定義も含め、その語が示すところはたいへん曖昧である。たとえば前島賢は、そうした定義が「必ずしもセカイ系と呼ばれる作品の内実を正しく捉えていない」とし、その語の起源まで遡って詳細な検討を加えている。セカイ系という語が発生してきた経緯も含め、詳細は前島賢『セカイ系とは何か』(星海社、2014年)を参照されたい。

*2:東浩紀「郵便的不安たち――『存在論的、郵便的』からより遠くへ」『郵便的不安達β』河出書房、2011年、60-61頁。ちなみに、ここで東が幾原邦彦の発言としているのは、1998年に行われた庵野秀明との対談のなかの、以下の発言だと推測される。「何をもって漫画というのかっていうのははっきり言えないんだけど、ひとつには、ものすごい近いところと、ものすごく遠いところしか描かないってことが挙げられる。最近の歌謡曲って、みんなそうじゃない。彼のYシャツがどうとかという身近なところか、あとは宇宙の果てとかっていう、想像でしか語れない遠いところしか言わない。中間の、かかわると大変そうな距離の部分は絶対に言わない。それは漫画の世界だろうって思う」(「戯作者たちの言い分。庵野秀明×生原邦彦」『月刊ニュータイプ』1998年10月号、角川書店、67頁)。なお、この対談はのちに『庵野秀明のフタリシバイ』(徳間書店、2001年)に再録されている(同書籍中での幾原の上の発言は85頁)。

*3:この本も、元を辿ればそれは2007年から2010年にかけて隔月刊の小説誌『ミステリーズ!』に連載した評論をまとめたものであり、時期的には『ゲーム的リアリズムの誕生』出版年に連載を開始したことになる。なお連載当時の原題は「セカイから、もっと近くに!——SF/文学論」であって、いずれにせよ、そこでも〈セカイ〉と「近く」は近くに在ったと言える。