野の百合、空の鳥

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【ピンドラ 考察】ゼロから見直す『輪るピングドラム』⑤「そらの孔分室」とは何か【7~9話】

1.0. そらの孔分室

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「そらの孔分室」(『輪るピングドラム』第9駅、ピングループ・MBS、2011年)

「ようこそ、中央図書館そらの孔分室へ」

(『輪るピングドラム』第9駅「氷の世界」より) 

水族館の長いエレベーターを降りると図書館であった。図書館の奥には扉があった。扉の向こうには、果たして「そらの孔分室」があった。

「そらの孔分室」とは何なのだろう?どうして陽毬はそこに迷い込んだのだろう?

今回は「そらの孔分室」について論ずる。わけでその空間が何を意味するのか、陽毬はそこで何をしたのかについて考察したい。

 

 

2.0. 「そらの孔」とは何か

2.1. 『銀河鉄道の夜』

新編 銀河鉄道の夜 (新潮文庫)

「そらの孔」とは何か。そのヒントは宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』にある。

「そらの孔」は『銀河鉄道の夜』の終盤、「銀河鉄道」での旅が終わる直前に登場する。

「あ、あすこ石炭袋だよ。そらの孔だよ」カムパネルラが少しそっちを避けるようにしながら天の川のひととこを指さしました。

(宮沢賢治『銀河鉄道の夜』青空文庫より。強調筆者。)

「そらの孔」とは、現実にも存在するみなみじゅうじ座付近にある暗黒星雲の一種で、星間ガスや宇宙塵などがほかの場所よりも濃くなっている部分のことだ。

より簡単に言えば、「そらの孔」とは、天の川の中でもとくに暗く黒く見える部分のことであり、だから本文でも言われているように「そらの孔」は別名「石炭袋(=コールサック)」と呼ばれている。

しかし『ピンドラ』のことを考えるときに、そういった事実はそんなに重要ではない。問題は、「そらの孔」が何を意味するか、ということである。

 

2.2. 「そらの孔」は何を意味するのか

では「そらの孔」は『銀河鉄道の夜』において何を意味するのか。

「そらの孔」の解釈には諸説あるが、一説によれば「そらの孔」とは冥界と現世とを結ぶ通路だと言われている*1。つまり、「そらの孔」というのはあの世とこの世の境い目のことだ。

以上のことを踏まえれば、『ピンドラ』における「そらの孔分室」がどういう場所かわかってくる。

 

3.0. 「そらの孔分室」とは何か

3.1. あの世とこの世の境い目

まず言えるのは、『ピンドラ』における「そらの孔分室」も、『銀河鉄道の夜』と同じくあの世とこの世の境い目としてあるのではないかということだ。

9話で描かれているように、陽毬は水族館から「そらの孔分室」へ行き、「そらの孔分室」から出た後で病院で眠る自分自身の体へと戻っていく。つまり陽毬が「そらの孔分室」にいた時間というのは、現実世界では陽毬が死にかけていた時間なのである

したがって、まず「そらの孔分室」もあの世とこの世の境い目のような場所にあると考えることができる。

しかしながら、「そらの孔分室」はただ単にあの世とこの世の境い目であるだけではない。

 

3.2. 深層心理

「そらの孔分室」は、陽毬の(あるいは人類の)深層心理のようなものでもある。

それは陽毬が「そらの孔分室」で、自らの心の奥深くに眠った記憶を追体験していることからもわかる。陽毬はそこで、(眞悧の助けを借りて)「心の奥深くで、真実読みたいと欲するお望みの一冊」を探していたのだった。

ここで思い出したいのは、陽毬がエレベーターで地下61階まで降りて行ったその先で「そらの孔分室」へたどり着いたということだ。そのように下へ下へと降りて行って深層心理のようなものにたどり着くという演出は、幾原邦彦監督の常套手段だ。

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左:下降するエレベーター(『少女革命ウテナ』第20話、 テレビ東京・読売広告社、1997年)、右:交番から地下へ(『さらざんまい』第5皿、シリコマンダーズ、2019年)

例えば、『少女革命ウテナ』の黒薔薇編では、地下へと降りて行くエレベーターの中で、まるで告解でもするかのように自分の心の奥底に秘めた闇を明かすことで、その当事者が「デュエリスト」になる(画像左)。

あるいは『さらざんまい』では、溢れんばかりの欲望を心のうちに抱いていた人物が、「箱」に詰められて交番の地下へと降りて行くことで心の奥底にあった欲望を満たそうとする「カパゾンビ」となる(画像右)。

そのような過去作の演出と同様に、「そらの孔分室」が「降りて行く」演出で描かれていることに鑑みれば、「そらの孔分室」はやはり(陽毬の)深層心理のような場所と言うことができるだろう。

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「返却日3月20日」(『輪るピングドラム』第9駅、ピングループ・MBS、2011年)

もちろんそれは図書館自体がそうであり、それは例えば図書館の返却期限が「3月20日」であることからもうかがえる。「3月20日」というのは、現実で地下鉄サリン事件が起こった日、そして『ピンドラ』で「地下鉄の事件」が起こったのと同じ日付であり、後に明らかになるように、陽毬は心の奥底で同事件のことを意識していると考えられる。

ともかく、以上のことから「そらの孔分室」は深層心理のような場所と言うことができるのだが、もう少し踏み込んで考えてみたいことがある。

 

3.3. 集合的無意識/アカシックレコード

というのは、深層心理のような場所が「図書館」であることの意義である。「そらの孔分室」が深層心理のような場所だとして、どうしてそこは「図書館」として描かれるのだろうか?

アニメや漫画等を見ていると、心の奥底に図書館がある、あるいは世界のすべてを記録した図書館があるという表現にたびたび出会うことがあるが*2、このイメージはどこから来ているのだろう?

そこで考えられるのは、アカシックレコードがその元ネタなのではないかということだ*3。アカシックレコードとは、世界のすべてが最初から記録されているという世界の記憶の概念であるが、このアカシックレコードはしばしば「図書館」のイメージで語られる。

興味深いのは、この図書館としてのアカシックレコードが、心理学者カール・ユングの「集合的無意識」としばしば同一視されるということだ。なぜそれが興味深いかというと、幾原作品の背景には「集合的無意識」が想定されているように思われる節があるからである。

これについては筆者も過去にさらざんまいの考察記事(さらざんまい考察①行為としての<さらざんまい>――精神分析・解脱・ユング的世界観―― - 野の百合、空の鳥)などで検討しているが、詳細についてはまた稿を改めて論じたい。

ただ少なくとも、『ピンドラ』では陽毬のほかにも眞悧、そして桃果が「そらの孔分室」に立ち入っており*4、そこが陽毬だけのものではないということが示されている。つまりそこが集合的無意識のように、多くの人で共有されている可能性があるのである。

いずれにせよ、やはり「そらの孔分室」は心の奥底のような場所であるわけだが、ここからさらにもう一歩踏み込んで考えたいことがある。

 

3.4. 「井戸」から村上春樹へ

それは、「そらの孔分室」への道筋が、村上春樹における「井戸」のような役割を果たしているのではないかということである。

村上春樹における「井戸」(あるいは「エレベーター」、「階段」等のそれに準ずるもの)というのは、よく「あちら側」と「こちら側」を結ぶ通路現実世界と異世界とをつなぐ経路として登場する*5

例えば村上春樹『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』では、「あちら側」と「こちら側」を結ぶ通路として「エレベーター」が登場しており、これはまさに『ピンドラ』における「エレベーター」と同様の役割を果たしている。

とりわけ、『ピンドラ』9話というのは村上春樹との関連が濃厚であるので、これは取り立てて考える価値がある。先走って言えば、「井戸」は無意識的なエネルギーの源泉を意味する「イド id」にも掛けられているので、「そらの孔分室」が深層心理のような場所であるということと絶妙に響き合っている。

そこで、今度は「かえるくん、東京を救う」、およびそれと地下鉄サリン事件との関連を考えていきたいのだが……もうだいぶ紙幅を費やしてしまったので、つづきはまた次回としたい。

 

 

4.0. おわりに

4.1. ジョバンニ・カムパネルラ・ザネリ=晶馬・冠葉・眞悧?

今回は「そらの孔分室」について考察した。「そらの孔分室」とはあの世とこの世の境い目であり、かつ、深層心理のような場所であった。

実は「そらの孔」に関して、本当はもう少し書こうと思っていたことがあった。というのは『銀河鉄道の夜』の登場人物を『ピンドラ』の登場人物に当てはめて読むという話だ。

文字面からして、ジョバンニ・カムパネルラ・ザネリ=晶馬・冠葉・眞悧と対応するのは明らかであり、そこから『ピンドラ』について何か言えるのではないかと思っていたのだが、あまりうまくいかなかった。

端的に言えば、内容があまりうまく対応しないのである。『銀河鉄道の夜』では、ジョバンニは生き残り、カムパネルラザネリを自己犠牲をともなって助けるのだが、『ピンドラ』では晶馬冠葉の両方が犠牲となるし、別に冠葉眞悧を助けるというわけでもない。

したがって、名前の由来となっているだけで、内容的に完全な対応関係があるわけではないとは思うのだが、これまで見てきたように、『銀河鉄道』と『ピンドラ』に関係があることはまちがいないので、また何か思いついたら書いてみたい。

 

4.2. その他小ネタ

最後に、本筋からは外れたので書かなかった小ネタを少し紹介する。

  • 図書館のモデルは杉並区の中央図書館である。
  • 現実の杉並区中央図書館にも、劇中で登場するのとまったく同じガンジーによる「七つの社会的罪」(汗なしに得た財産/良心を忘れた快楽/人格が不在の知識/道徳心を欠いた商売/人間性を尊ばない科学/自己犠牲をともなわない信心/原則なき政治)が記された碑石がある*6
  • 「そらの孔分室」のモデルは、ストックホルム市立図書館の立替えの際に行われたコンペティションで描かれたものである(実際には採用されなかった。詳細は以下Wall of Knowledge at the Stockholm Public Library, Sweden)。
  • 回想で登場する「病気のお母さんに鯉の生き血を飲ませて精をつける」というエピソードは『はだしのゲン』第1巻に登場する。
  • 図書館で流れている音楽はモーツァルトピアノソナタ第11番イ長調第1楽章である。

それから本当はもう少し画面の話などもしたかった。9話は、絵コンテ・演出・作画監督・原画をすべて武内宣之が務めているというのは有名な話だが、画面が本当に素晴らしく、例えば図書館のライティングなども、異世界を思わせるような奇妙な照明配置になっている。余力があれば、もう少しそのような画面の話もするかもしれない。

ともかく、次回は「かえるくん、東京を救う」、および村上春樹との関連についての考察である。おそらく時間がかかるのですぐにとはいかないが、また近いうちに記事を投稿したい。

今回もお読みいただいた皆様に感謝して論を閉じたい。それでは。

 

【参考文献等】

・幾原邦彦『少女革命ウテナ』第20話、 テレビ東京・読売広告社、1997年。

・──、『輪るピングドラム』ピングループ・MBS、2011年。

・──、『さらざんまい』シリコマンダーズ、2019年。

・『「輪るピングドラム」公式完全ガイドブック 生存戦略のすべて』幻冬舎、2012年。

・武井昭也「村上春樹「井戸」再考」『日本文学誌要』第85号、48-60頁、法政大学国文学会、2012年。

・原子朗『宮沢賢治語彙辞典』東京書籍、1989年。

・村上春樹『村上春樹全作品 1979~1989〈4〉 世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』講談社、1990年。

【次回】

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【お知らせ】

本考察が紙の本になりました。内容はネットで見られるものとほぼ同じですが、加筆修正のうえ、「あとがき」を書き下ろしで追加しています。ご興味のある方はぜひ。

『Malus——『輪るピングドラム』考察集』通販ページ

*1:原子朗『宮沢賢治語彙辞典』東京書籍、1989年、395頁。

*2:例えば近年では、藤本タツキ『チェンソーマン』8巻(2020)において、そこにある本の内容を全て把握すれば、「全てを理解する事ができる」図書館が登場した。あるいは『仮面ライダーW』(テレビ朝日・東映・ADK、2009-10)には地球の記憶が本になって保管されている「地球(ほし)の本棚」が登場する。

*3:これについてはもちろん精緻な検討が必要とされるが、実際にそうすることは困難を極める。参照すべき資料があまりにも膨大であるし、たとえアカシックレコードが「図書館」の元ネタだとしても、イメージは伝染するので、アカシックレコードそのものを元ネタとする、というよりも、ある作品から別の作品へとイメージが伝わっている可能性も考慮しなければならない。実際、先の例で言っても、『チェンソーマン』の図書館の元ネタは、影響を受けている五十嵐大介『魔女』(2004)や作者の愛好するクリストファー・ノーラン『インターステラー』(2014)、あるいはアニメ『攻殻機動隊STAND ALONE COMPLEX』(2003-04)の笑い男編のラストなど、複数考えられ、正確にどれだと同定するのは難しい。

*4:『輪るピングドラム』第9駅、および第13駅参照。

*5:村上春樹と「井戸」については、例えば、武井昭也「村上春樹「井戸」再考」『日本文学誌要』第85号、48-60頁、法政大学国文学会、2012年に詳しい。

*6:公式ガイドブックには「資本主義 七つの大罪」と記されている(『輪るピングドラム公式完全ガイドブック 生存戦略のすべて』幻冬舎、64頁)が、アニメ本編では「七つの大罪」、”SEVEN SOCIAL SINS” と記され、杉並区中央図書館の碑文と全く同様である。