野の百合、空の鳥

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ゼロから見直す『輪るピングドラム』④「氷の世界」とは何か【7~9話】

1.0. 「氷の世界」

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「氷の世界」(『輪るピングドラム』第9駅、ピングループ・MBS、2011年)

『ピンドラ』第9駅のサブタイトルは「氷の世界」である。

しかしなぜ「氷の世界」なのだろうか? 第9駅は、べつに氷のある場所に行く話ではないし、「氷の世界」というセリフが出てくるわけでもない。しいて言うなら、最初に出てくるペンギンが「氷」を想起させるくらいで、ほかに「氷」の要素は見当たらない。

ではなぜ第9駅のサブタイトルは「氷の世界」なのだろう? 今回は「氷の世界」というサブタイトルから、その背後にあるいくつかの作品、そしてそれと『ピンドラ』との関係について考察する。

 

2.0. 『南極物語』

2.1. 製作上の都合

どうして9話のサブタイトルが「氷の世界」なのか?という質問には、まず現実的な答えがある。

それは、9話はもともと「氷の世界」で戦う話にする予定だったからという答えである。助監督である山崎みつえは以下のように語っている。

――リセットということでは、当初、第9話はロボットが戦うお話だったそうで。

山崎:そうなんです。冠葉と晶馬が南極の氷の世界に行くと、自分たちと瓜二つの人たちが白と黒のクマロボットで戦っていて、最後は高倉兄妹の誰かが空飛ぶクジラに乗って歌をうたう、みたいな話だったんですけれど(笑)。脚本もかなりできていたのに、突然「これじゃダメだ!」ということでまったく違う内容になりました。

(『「輪るピングドラム」公式完全ガイドブック 生存戦略のすべて』幻冬舎コミックス、2012年、145頁。強調筆者。)


『輪るピングドラム』公式完全ガイドブック 生存戦略のすべて (一般書籍)

「氷の世界」というサブタイトルは、この初期のプロットがサブタイトルとして残ったものと考えれば、ひとまず納得がいく。

 

2.2. 『南極物語』


南極物語

しかしそうだとしても、なぜ初期のプロットでは「南極の氷の世界に行く」という話になっていたのだろうか?

それは『ピンドラ』が『南極物語』を下敷きにしているからだろう。『ピンドラ』の登場人物名が、『南極物語』の俳優たち(および船)の名前に由来しているというのは有名な話である。

具体的には、高倉健(元妻チエミ)→高倉剣山(高倉千江美)、渡瀬恒彦→渡瀬眞悧、夏目雅子→夏芽真砂子、荻野目慶子→荻野目家、タロ・ジロ(※犬の名前)→多蕗・時籠、しらせ・宗谷(※犬の名前)→シラセ・ソウヤ(※眞悧の2人の助手)、というふうに対応している。

 

2.3. 南極物語の影響

以上のように、名前を比較しても『南極物語』の影響は明らかだが、しかし内容面においても『ピンドラ』は『南極物語』に類似している。

例えば、『南極物語』で中心となる2匹の犬タロとジロは兄弟であり、2匹の関係性はすぐに冠葉(カンバ)と晶馬(ショウマ)を想起させる。先に鎖から脱出したタロが、置き去りにされたジロを気に掛けて戻ってくるシーンは、冠葉と晶馬の「箱」の中でのエピソードなどに見られるような2人の関係性を思わせる。

あるいは、犬たちのリーダーであるリキが、タロとジロをシャチからかばって死ぬというエピソードは、『ピンドラ』の「自己犠牲」というテーマを想起させる。また、『南極物語』にはペンギンも登場するため、『ピンドラ』におけるペンギンというモチーフはそれに由来すると考えることもできなくはない。

 

以上のように、9話がもともと「氷の世界」で戦う話だったということ、そして『ピンドラ』が『南極物語』と内容的に類似することを考えれば、「氷の世界」というサブタイトルになるのは納得できる気がする。

しかし、「氷の世界」というサブタイトルの背景にあるのは、これだけにとどまらない。

 

3.0. 「氷の世界」(井上陽水)

3.1. 剣山の言う「氷の世界」

もうひとつ、「氷の世界」の背景にあると考えられる作品がある。井上陽水の楽曲「氷の世界」である。

そこでさっそく「氷の世界」の読解に移りたいところだが、しかしその前に、「氷の世界」について高倉剣山がテロの直前に言っていたセリフを思い出そう。少し先の話からの引用になってしまうが、このセリフが、井上陽水の「氷の世界」と良い具合に響き合っていると思うのだ。

「この世界は間違えている。勝ったとか負けたとか、誰の方が上だとか下だとか、儲かるとか儲からないとか、認められたとか認めてくれないとか、選ばれたとか選ばれなかったとか……。やつらは人に何かを与えようとはせず、いつも求められることばかり考えている。この世界は、そんなつまらない『きっと何者にもなれないやつ』が支配している。もうここは、氷の世界なんだ。しかし幸いなるかな、我々の手には希望のたいまつが燃えている。これは聖なる炎、明日われわれは、この炎によって世界を浄化する。今こそ取り戻そう。ほんとうのことだけで、人が生きられる美しい世界を。これがわれわれの生存戦略なのだ」

(『輪るピングドラム』第20駅「選んでくれてありがとう」より。強調筆者。)

剣山はここで、誰かに何かを与えることなく、欲得づくで何かを求めるばかりの競争社会を「氷の世界」と表現している。

激しい競争のなかで消耗し、誰からも愛情を得ることなく、才能や実力のないものはうち棄てられ、共同体から排除されていく……。たしかにそれは氷のように冷たい世界だ。

 

大きい話をすれば、「氷の世界」というのはまさに『ピンドラ』という物語全体が問題としていることでもある。それは例えば、「選ばれない」こども「こどもブロイラー」で「透明な存在」となってしまうこどもに象徴されていると見ることができる。

剣山はこの「氷の世界」をテロという手段によって変えようとしてしまうわけだが、『ピンドラ』全体のメッセージとしては、剣山のような手段をとるのではなくて、「運命の果実をいっしょに食べよう」ということを呼びかけているように思われる。

ともかく、そのような「氷の世界」が問題となっているわけだが、まさにそこで問われているような問題が、井上陽水の「氷の世界」の歌詞にもあらわれている。

 

3.2. 「氷の世界」(井上陽水)の意味

3.2.1. リンゴを売るとはどういうことか


氷の世界

さて、「氷の世界」(井上陽水)の歌詞を見てみよう。まず冒頭から、「リンゴ」が登場しているが、その自体がもうすでに『ピンドラ』を象徴するような詞になっている。

窓の外ではリンゴ売り 声をからしてリンゴ売り

きっと誰かがふざけて

リンゴ売りのまねをしているだけなんだろう

(井上陽水「氷の世界」より)

窓の外から「リンゴ売り」をまねする声が聞こえてくる。この詞は、そのような他者からの呼びかけによって始まっている。

どうして「リンゴ売り」のまねをするのか。それは他者とつながりたいからである(「つながりたい」という欲望は『さらざんまい』も想起させる)。とても単純であるし、不憫でさえあるけれど、そうやって「ふざけて」見せることで誰かにかまってほしいのだろう。

とくに「リンゴ売り」のまねをするというところが意義深い。というのは、リンゴを誰か分け合うということは、まさに『ピンドラ』のテーマだからだ(リンゴの意味については前回までの考察を参照されたい)。リンゴを分有するということは、まさに「愛し合う」こと、「選ばれる」ということにほかならなかった。

「氷の世界」の冒頭は、そのように誰かリンゴを買ってくれないか、つまり『ピンドラ』ふうに言えば誰か「選んで」くれないか=誰か「愛して」くれないか、という呼びかけで始まるのである。

 

3.2.2. 「誰か傷つけたいな」

さて、その後の歌詞もこまかく読解することもできるのだが、結論を急げば、もっとも核心的なのは「人を傷つけたいな」という歌詞だと言える。

人を傷つけたいな 誰か傷つけたいな

だけどできない理由は

やっぱりただ自分が恐いだけなんだな

(井上陽水「氷の世界」より)

「人を傷つけたいな」というのはどういうことだろう?

もちろんそれは、誰かにケガを負わせたいとか、物理的に傷つけることではない。

それは誰かを精神的に傷つけるくらい、その人と深い関係を結びたいということである。誰かを愛したり、あるいは自分が愛されているからこそ「傷つく」ということは、よくある話である。

 

しかしこの歌詞の人物は、それ(=人を「傷つける」こと)ができないでいる。どうしてできないかと言えば、「自分が恐い」からである。

ではどうして「自分が恐い」と「傷つける」ことができないのだろうか?

その答えはいろいろ考えられるが、一番オーソドックスな答えは、自分が傷つくのが恐いからではないだろうか。

誰かを「傷つけ」ようとする、つまり誰かと深い関係を結ぼうとすると、当然、自分も傷つくリスクを背負うことになる。その覚悟が、その勇気がわいてこないのだ。

 

3.2.3. 「ふるえているのは寒さのせいだろ」

しかしそんな臆病な人物を、この歌は鼓舞してくれる。つづく歌詞ではこう言われている。

そのやさしさをひそかに胸にいだいてる人は

いつかノーベル賞でも

もらうつもりでガンバッてるんじゃないのか

 

ふるえているのは寒さのせいだろ

恐いんじゃないネ

毎日 吹雪 吹雪 氷の世界

(井上陽水「氷の世界」より)

「自分が恐い」、だから「傷つけ」られない、そのことがここでは「やさしさ」と言い換えられている。

加えて、「ふるえているのは寒さのせいだろ/恐いんじゃないネ」と言われる。単なる強がりにも思えるが、しかし同じ思いを抱えた人を鼓舞するような詞であると言える。「氷の世界」は、そのように誰かを勇気づけるような詞で閉じられる。

 

3.3. 「氷の世界」(井上陽水)と『ピンドラ』

以上のように、井上陽水の「氷の世界」は、リンゴを分け合いたい(誰かとつながりたい)という他者への呼びかけから始まり、誰ともつながれない人物の孤独を表現しながらも、その人物を鼓舞するような歌になっている。

それはある意味で、『ピンドラ』と同じメッセージ性をもっている。すなわち、誰ともつながれない孤独・社会全体の冷たさ=「氷の世界」を認めた上で、誰かを傷つけられずにいる人を鼓舞するという「氷の世界」という歌は、まさに「透明の存在」や「氷の世界」の存在を認めた上で、誰かと「運命の果実をいっしょに食べよう」ということを呼びかける『ピンドラ』と同様のメッセージを放っているのである。

ここまでくれば、とりわけこのサブタイトルが9話についているのも納得できる。というのは、この9話のラストではじめて「運命の果実をいっしょに食べよう」という言葉が唱えられ、この9話ではじめて陽毬は「選ばれた」ということ、「大切な人がいた」ということを思い出すからである。

「氷の世界」というのは、誰からも「選ばれない」冷たい世界を思い出させると同時に、リンゴを分け合うということ、誰かを「愛する」ということも想起させる、そんなサブタイトルなのである。

 

 

4.0. さあ想い出して

今回は「氷の世界」について考えた。

要するに、誰ともつながれない孤独と、その孤独を乗り越えて愛し合うことを思い出させる「氷の世界」というサブタイトルは、『ピンドラ』全体のターニングポイントとなる9話にもっともおあつらえ向きなサブタイトルなのである。

つけ加えて言うならば、その9話の最後に「灰色の水曜日」が流れるというのも感慨深い。

というのは、「灰色の水曜日」は、「愛し合ってた頃」を「想い出して」と呼びかける歌なのだから。

 

さて、9話についてはまだまだ語り足りないし、もちろん続く。

一応、書くことはもう決まっていて、次回は「そらの孔分室」について書く。先走って言ってしまえば、「そらの孔」というのは『銀河鉄道の夜』に由来する言葉である。したがって『銀河鉄道の夜』をお読みいただいていれば、次回の話はよりわかりやすいかもしれない。

そしてその次はいよいよ『かえるくん、東京を救う』について書く。幾原邦彦と村上春樹については、例えばさらざんまい考察④村上春樹『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』との類似性 - 野の百合、空の鳥でも書いたが、改めて思うのは、イクニ作品には村上春樹が相当影響しているということだ。あえて大げさに言えば、村上春樹を読まなければイクニ作品はわからない、と言ってもいいくらいである。

ともかく、つづくことはつづくのだけれど、次回はいつ上がるかわからない。来週は忙しいけれど、再来週は上げられると思う。そんなに遠くはならないと思うけれど、何かわかったらまたここに追記する。

ともかく、今回もお読みいただいてありがとうございました。それでは。

 

 

【参考文献等】

・幾原邦彦『輪るピングドラム』ピングループ・MBS、2011年。

・『「輪るピングドラム」公式完全ガイドブック 生存戦略のすべて』幻冬舎コミックス、2012年。

 

【次回】

 

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