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【ピンドラ 考察】ゼロから見直す『輪るピングドラム』③カレーを食べるとはどういうことか?【4~6話】

1.0. どうしてカレーを食べるのか?

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『ピンドラ』のカレー(『輪るピングドラム』第3駅、ピングループ・MBS、2011年)

どうして『ピンドラ』ではカレーを食べるのだろう?

『ピンドラ』には、やたらとカレーが出てくる。第3話のサブタイトルは「そして私を華麗に食べて」だし(もちろん「華麗」と「カレー」が掛けられている)、荻野目家の「カレーの日」というのは苹果(リンゴ)の誕生日であり、そして同時に桃果(モモカ)の命日でもある*1。最終話で陽毬(ヒマリ)と苹果がいっしょに食べるのも、ほかならぬカレーである。

どうしてこんなにカレーが重視されるのだろう?今回は『ピンドラ』ではなぜカレーを食べるのかということを中心に、『ピンドラ』4~6話をゼロから見直してみたい。

 

 

2.0. カレーを食べるとはどういうことか?

2.1. リンゴ入りカレー

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カレーの材料に含まれるリンゴ(『輪るピングドラム』第3駅、ピングループ・MBS、2011年)

どうしてカレーを食べるのか。ポイントになるのは、『ピンドラ』のカレーにはリンゴが入っているということだ。

実際、第3駅ではカレーをつくる際に「すりおろしたリンゴでお肉を漬け込むのが我が家の秘伝」と言われていたし、その後高倉家で食べるカレーも「リンゴはちみつカレー」であった。加えて、最終話で陽毬と苹果が食べるカレーにも、「リンゴ」が入っていると語られている。

カレーにリンゴが入っているということは、現実では何でもないことだが、『ピンドラ』においては特別な意味を帯びる。というのは、リンゴは「ピングドラム」そのものであり、それを分け合うことこそが、『ピンドラ』のテーマ、すなわち「愛し合う」ということにほかならないからだ*2

 

2.2. リンゴとは何か

リンゴの意味がわかるのは、最終話においてである。

幼少期に、冠葉(カンバ)から晶馬(ショウマ)へと渡されたリンゴは、めぐりめぐって(「輪る」)、最終的に陽毬から冠葉へと渡される。そのとき陽毬が渡すのは、厳密にはリンゴのような赤い球体であるが、つまるところそれはリンゴのメタファーであり、それこそが「ピングドラム」だと語られる。

その後、「運命の乗り換え」のための呪文として「運命の果実をいっしょに食べよう」という言葉が唱えられる。もちろん、「運命の果実」とはリンゴのことであり、「運命の乗り換え」の後で世界に残された者たちは誰かを愛するために世界に残されたのだと説かれる*3

さらに、ラストシーンでは、まるで視聴者の手にリンゴが渡ったかのような描写がなされ、その後、最終話のサブタイトルである「愛してる」という言葉が表示されて物語は幕を閉じる。

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ラストシーンで手渡されるリンゴ(『輪るピングドラム』第24駅、ピングループ・MBS、2011年)

つまり、リンゴというのは「愛」の象徴であり、リンゴを分け合うということは、「愛」を円環のようにめぐらせていく(「輪る」)ことを意味する。そうやって「運命の果実をいっしょに食べよう」=「愛を分け合おう」というのが、『ピンドラ』からのメッセージである。だから最後の、まるで視聴者の手にリンゴが渡ったかのような演出は、「運命の果実をいっしょに食べよう」というそのメッセージそのものである。

 

2.3. カレーをいっしょに食べるということ

ここまでくれば、カレーを食べるということ、とりわけリンゴ入りのカレーを誰かといっしょに食べるということの意味がわかってくる。

要するに、カレーを誰かといっしょに食べるということは、「運命の果実をいっしょに食べ」るということ、愛を分け合うということなのだ

だからカレーは、愛し合う人といっしょに食べなければならない。荻野目苹果は、カレーを作る場面で以下のように言っていた。

人類の歴史の中で、人が初めて作った料理はカレーだったんじゃないかと思う。それに作ったのはきっと女の子。大好きな人に食べてもらうために、おいしいねって微笑んでもらうために。火をおこし、道具を作り、材料を用意して。だからカレーは幸せな味がする。[……] お鍋の煮える音が好き。おいしくなろう、あの人を喜ばせてあげようって励まし合う、具材たちのささやき。ちょうど子守歌の間に、お母さんが赤ちゃんに語りかけるように。大好き、いつまでもずっといっしょにいようねって。だからカレーは大好きな人と、ずっとずっとそばにいたいって思える人と食べなきゃいけない。それがルール。

(『輪るピングドラム』第3駅「そして私を華麗に食べて」より。強調筆者。)

だから荻野目苹果は、多蕗(タブキ)にカレーを分け与えようとしていたし、冠葉と晶馬、それに陽毬と苹果はみんなでカレーを分け合うのである。

最終話で運命を乗り換えた陽毬と苹果がカレーをいっしょに食べるというのも、一見するとそれはなんでもない日常の一幕のように思えるが、実は『ピンドラ』のテーマそのものを象徴しているのである。

 

3.0. おわりに

今回は、『ピンドラ』ではどうしてカレーを食べるのかについて考えた。『ピンドラ』のカレーにはリンゴが入っていて、そのカレーをいっしょに食べるということは、つまるところ「運命の果実をいっしょに食べ」るということなのだ。

最初の記事からだいぶ時間が経っていたので、今回は『ピンドラ』の主題を軽くおさらいすることを兼ねてこのテーマを選んだ。しかしタイトルにある「4~6話」って関係なくね?と思った読者の方、勘のいいガキは(以下略)。6話でカレーの日=苹果の誕生日=桃果の命日ということがわかったので、これは実質6話の考察なので……(震え声)。

そもそも1~3話の2回に分けていたし、4~6話の考察も2回に分けてもよいのだけれど、いかんせんあんまりちゃんと書けるようなことなかったので、もうゴールしていいかな……?

 

強いて言うなら、6話の猫が、多蕗と桃果と苹果のメタファーになっているという話があるけれど、いま全部言い終わった(ちなみに多蕗がシュレディンガーの猫の話をするのは「かえる公園」(『ピンドラ』におけるカエルには意味がある)だけれど、それに何か意味があるのかどうかはまだわからない)。

あと5話にはみんな大好きクリムト 《接吻》のパロディがあるけれど、それもいま全部言い終わった。

あとは、けっこう大事なセリフかもなあ、というのがいくつかと、時系列が気になったのはあるけれど、それは追い追いということで……

ピンドラももう10周年らしく、何やら映画もやるみたいなので、早めに企画を完遂したいですね(希望的観測)。それではまた。

 

【次回】

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【参考文献】

・『輪るピングドラム』(幾原邦彦監督、ピングループ・MBS、2011年)

【お知らせ】

本考察が紙の本になりました。内容はネットで見られるものとほぼ同じですが、加筆修正のうえ、「あとがき」を書き下ろしで追加しています。ご興味のある方はぜひ。

『Malus——『輪るピングドラム』考察集』通販ページ

*1:『輪るピングドラム』第6駅参照。

*2:『ピンドラ』におけるリンゴというモチーフは意義深い。例えばそれは「荻野目苹果」の名前でもあるわけだが、わざわざ「苹果」という表記が用いられている。その理由については前々回の考察を参照されたい。ほかにもリンゴが持つ意義は多く考えられるが、それについては本シリーズを通して論じていくことにする。今回はリンゴが持つ主題的な意味に焦点を当てて論ずる。

*3:『輪るピングドラム』第24駅「愛してる」参照。