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【俺ガイル 考察】「待たなくていい」の射程——由比ヶ浜結衣は「負け」ていない?——

はじめに. 由比ヶ浜結衣は「負け」たのか?

やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。14 (ガガガ文庫)

『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』(以下『俺ガイル』)は、一見するといわゆる「雪乃エンド」で終わったように思われ*1、実際そう解釈することもできる。

たしかに、14巻(以下巻数は原作の表記に従って「⑭」などの丸番号で示す)で八幡は、雪乃と人生を分け合おうというような対話をし*2、それ以前の場面では、結衣が八幡から「待たなくていい」という言葉を告げられ*3、それにより結衣は涙を流し、なにやら「フラれた」風になる*4。こうして図式的に見ると、八幡という主人公が雪乃と結衣という2人のヒロインのうち雪乃の方をとった、いわゆる「雪乃エンド」のように見える。それはあたかも「普通の」ラブコメのようである。

だがいかんせん、この「青春ラブコメ」は「まちがっている」。本稿では、『俺ガイル』がいわゆる「雪乃エンド」とは言い切れないのではないか、ひいては由比ヶ浜結衣はある側面では「負け」ていないのではないか、ということ、さらにはそこからひらけてくる『俺ガイル』読解の可能性について、「待たなくていい」という結衣が八幡に告げるセリフから考えてみたい。

 

 

1.0. 「待たなくていい」の状況整理

1.1. 「この模造品に、壊れるほどの傷をつけ、たった一つの本物に」

まずは当該場面について整理しよう。

「待たなくていい」という言葉が発せられるのは、最終巻である⑭の中盤、奉仕部三人(八幡、雪乃、結衣)の関係性にようやく終止符を打とうと決意したあとの場面だ。その八幡の決意のモノローグは、「待たなくていい」について考えるのにも重要であるため、あらかじめここに引用しておく。

きっと、終わらせることそれ自体にまちがいはなくて、ただ、終わらせ方をまちがえていた。/借物の言葉に縋り、見せかけの妥協に阿り、取り返しがつかないほどに歪んでしまったこの関係は俺達が求めたものではおそらくなくて、どうしようもない偽物だ。/だからせめて、この模造品に、壊れるほどの傷をつけ、たった一つの本物に。/故意にまちがう俺の青春を、終わらせるのだ。*5

とりわけ重要なのは、「だからせめて、この模造品に、壊れるほどの傷をつけ、たった一つの本物に」という一文だ。

まずことわっておかねばならないのは、『俺ガイル』における「本物」は特別な言葉であるということだ。「本物」概念それ自体も解釈が(とりわけその内実が時間経過にも左右されるという点で)たいへん分かれるものだが、ある程度内実を明らかにしなければ話が進まないので、「本物」という言葉を発した⑨時点での八幡の言葉を借りて、「本物」=「醜い自己満足を押し付け合うことができて、その傲慢さを許容できる関係性*6」とされていたことを書き留めておこう*7

だがそれ以上に「待たなくていい」を考えるさいに重要なのは、いったい「模造品」とは何を指すのか、「壊れるほどの傷をつけ」がどういう行為を指すのか、ということである。

もちろん「だからせめて、この模造品に、壊れるほどの傷をつけ、たった一つの本物に」というのは決意の言葉に過ぎないのだから、それを必ずしも実行する必要はないのだが、しかしそれに準ずるようなふるまいをしなければ奉仕部の関係性に決着をつけられないと考えているのはたしかだ。

ではそれほどの覚悟をした八幡はどのような行動に出たのか。この決意の直後にくる場面こそが、八幡が結衣に「待たなくていい」と告げる場面である。八幡ははたしてそこで、結衣に何を伝えたのだろうか。

 

1.2. 「待たなくていい」を言うまで

次に「待たなくていい」と言うまでの流れを確認する(とくに太字で記した箇所は、後で何度か取り上げる部分になるので注意されたい)。

妹である小町の入学説明会に付き合った八幡は、その帰りに昇降口で待っていた結衣に出会う。そのまま二人で下校し、途中で公園に寄ると、結衣は奉仕部に関して「これで、ほんとにいいと思う?」と意味ありげな問いかけをする*8。そう問う結衣は「思い詰めたようなまなざし」をしており、これに「ごまかし」や「裏切り」をしてはいけない、つまり、鈍感主人公的なすっとぼけをしてはならないと悟る。その理由を八幡は、「俺は世界でただ一人、この子にだけは嫌われたくないから」だとする*9

そこで八幡は「部活が終わることは仕方ない」と思っているが*10、「ひとつだけ納得できないことがある」と答える*11。ではそれは何か。八幡はそこで、「あいつが何かを諦めた代償行為として、妥協の上で、誤魔化しながら選んだんだとしたら、俺はそれを認められない。俺が歪ませていたなら、その責任を……」と言いかけて一度やめる*12。これに関して八幡は、モノローグのなかで「本当に悪い癖だ。いつもいつでも無駄な自意識が俺の中には存在していて、それが知らず知らずのうちに、彼女に少しでもいいところを見せようとしてしまう」とする*13

そこで改めて八幡はより「直截」に、「めっちゃ気持ち悪いこと言うけど、単純にあれだ。俺はあいつ〔雪乃〕と関わりがなくなるのが嫌で、それが納得いってねぇんだ」と口にする*14。たしかに卒業後も八幡と雪乃の関係はなあなあでつづくかもしれないが、「そんな馴れ合いみたいな関係には耐えられない」と言うのである*15

それを聞いた結衣は、八幡にそれを雪乃に言って伝えるように促す。「なんでもない放課後にゆきのんがいて欲しい。ヒッキーとゆきのんがいるところにあたしもいたいって思う」という希望を言うとともに*16

加えて、ここで結衣が言葉にすることを重要視しているのも重要だ。そこで行われる「一言言えばいいだけなのに」「一言程度で伝わるかよ」という結衣と八幡の応酬も*17、両者の言語対する態度を象徴するやり取りとして重要である。

このやり取りの後、ようやく「待たなくていい」と言う場面がくる。

 

1.3. 「待たなくていい」直前後

そこで件の場面を見てみよう。重要な箇所なのでそのまま長めに引用する。

本当に仕方ない奴だと思う。いつもこうして面倒なことを押し付けては、そのたびに許してもらっていた。俺〔八幡〕はこれまで彼女〔結衣〕の優しさにずっと甘えていたのだ。心地良さに微睡んで、蓋をして見ないふりをして、ずっと助けられてきた。その日々はかけがえがないくらいに大切で、掛け値なしに楽しくて、どこまでも都合のいい想像を抱いてしまうくらいに幸福じみていた。

「……面倒かけて、悪いな」

「え?」

俺がだしぬけに言った言葉に、由比ヶ浜は首を傾げる。

「いつかもっとうまくやれるようになる。こんな言葉や理屈をこねくり回さなくても、ちゃんと伝えられて、ちゃんと受け止められるように、たぶんそのうちなると思う」

まとまりきらない言葉を、ゆっくり慎重に口にする。いずれ、俺が少しはマシな大人の男になれば、こんなことだって躊躇わずに言えるようになるのかもしれない。もっと別の言葉を、違う気持ちをちゃんと伝えられるようになるのかもしれない。

「……けど、お前はそれを待たなくていい」

どうにか絞り出して最後まで言い切るのを、由比ヶ浜はカップをぎゅっと握り締め、黙って聞いてくれていた。だが、とりとめのない言葉すぎたのか、彼女は困ったように笑う。

「なにそれ、待たないよ」

「だな。なんか気持ち悪いこと言ったわ」

「ほんとそれ」

*18

この直後二人は解散し、各々帰宅する。その直後の interlude は結衣の一人称視点の描写になっており、「待たなくていい」を考える手掛かりとなる。結衣の反応は以下のようなものであった。

留める必要のない涙が流れ出た。/でも、やっぱり言葉は出ない。/言葉なんて、出ない。/好きだなんて、たった一言じゃ言えない。/それ以前の話で、それ以上の問題で、それどころじゃない感情だ。/あたしは、あたしたちは、初めて本当に恋をした。*19

果たして結衣は涙を流し、そこで何かが「恋」と形容される。やはり一見すると、「待たなくていい」という言葉がトリガーとなり、結衣は失恋の涙を流したように見える。

だが本当にそうなのか。そもそも「待たなくていい」と言われた結衣はなぜ泣いたのか。「あたしたち」とは誰なのか。「恋をした」とはどういう意味か。それを考えるには、「待たなくていい」の文脈をふまえる必要がある。

 

2.0. 「待たなくていい」の文脈

2.1. ⑭以前の「待つ」

そもそも「待つ」という言葉は『俺ガイル』においては多分に文脈をもつ言葉である。

はじめに「待つ」ということが問題化されるのは⑥でのことである。そこで結衣は、「ゆきのんのことは待つことにしたの。ゆきのんは、たぶん話そう、近づこうってしようとしてるから」と言ったうえで、それとは対照的に、「待っててもどうしようもない人は待たない」と言う*20。「待っててもどうしようもない人」とはそこでは明らかに八幡を指すが、そういった人に対して結衣は「待たないで、……こっちから行くの」とする*21

結衣としては以降もこのスタイル、つまり雪乃に対しては「待つ」、八幡に対しては「待たないで」「こっちから行く」スタイルを貫きたかったのかもしれないが、三人の関係性がこじれてゆくにつれて、このスタイルは一貫できなくなってゆく。あるいはむしろ、結衣は雪乃と八幡に反対のスタイルで対峙することになる。

たとえば、⑧では、雪乃を「待った」結果、結局生徒会長になりたい意志を雪乃が伝えず「わかるものだとばかり、思っていた」ために(⑧, 332.)、結衣自身が生徒会長に立候補する羽目になり、⑨では、クリスマスイベントを独力で進める八幡にうまく「こっちから行く」ことができず、現状を打開するのに結果的には「本物がほしい」という言葉を「待つ」ことになった。

こうした三人の関係性に警鐘を鳴らしたのが陽乃である。陽乃は「三人の関係性」が「共依存」に見えると述べ、とりわけ八幡と結衣の関係性について以下のように指摘する。

「比企谷くんはガハマちゃんに依存しちゃってるんだよね。それで、ガハマちゃんはそれを嬉しいと思って、なんでもしてあげる気になるの。……本当はここが一番重症なんだよ」*22

これに対して結衣は「共依存なんかじゃない」と切り返したうえで、その理由を「だって、こんなに痛いから……」だとする。「痛いくらい、好きだ」というその「痛さ」、「胸だけじゃない。心だけじゃない。全部、全部痛い」と語られるその「痛さ」こそが、「共依存」に対する否定性となっている。先走って言えば、こうした「痛さ」に肯定の裏返しを求める結衣の態度、「全部」を包括する結衣の姿勢がポイントとなる

ともかく、⑭以前で結衣は「待つ」という姿勢を雪乃と八幡とでうまく使い分けることができず、傍からは「共依存」に見えるほどに関係が拗れてしまっている。

 

2.2. ⑭での「待つ」

では⑭ではどうか。

⑭においても、結衣の「待つ」という態度は顚倒したままだ。先に確認した「待たなくていい」を言うまでのあらすじのなかで、結衣が昇降口で「待っていた」ことを想い出されたい。ここでも結衣は「こっちから行く」はずの八幡を「待って」しまっているのである。

そればかりか、結衣はむしろ「待っていた」ことを強調する。「待ってたの」「……待ってた」「……なんか、待ってみたかったから」*23、立て続けにそれを主張する結衣は、むしろそれを八幡に意識させんとしているようでもある。

実際八幡はそれに気づき、モノローグでこう述べる。

けれど、想えば。/彼女はいつも待ってくれていたのだ。/俺を、あるいは俺たちを。/そのことに今更ながらに気づいて、俺は言葉少なに礼を言う。/「……そうか、ありがと」*24

果たして、結衣のこれまでの姿勢は「いつも待ってくれていた」という言葉で集約される。

八幡が「待たなくていい」という言葉を発するのは、この直後のことである。

 

3.0. 「待たなくていい」の射程

3.1. 「壊れるほどの傷をつけ」る言葉

以上のような文脈をふまえると、「待たなくていい」という言葉の印象は変わってくる。

すなわち、「待つ」ことについて顚倒した態度をとってしまい、それが傍から「依存」に見えるほどに「待って」しまう姿勢に変貌してしまっていたのなら、結衣が「待って」しまっていた当の八幡から「待たなくていい」と告げられることは、結衣を「待つ」ことから——あるいは「待つ」/「待たない」という次元で営まれる関係性そのものから——「解放」するような響きを帯びるのだ。

だが、その「解放」を肯定的にとるか否定的にとるかに関しては解釈に幅がある。つまり、たしかに「待たなくていい」という言葉だけ取り出せば、それはそれまで「待つ」ことによって面倒をかけてきた八幡からもう「待つな」と言われること、つまり一見突き放されるような言葉とも受けとれる。要するに、いまは雪乃の方に関わりをもちたいのだから結衣にはかまっていられないという、ひどい言葉、結衣を「フる」言葉に映る。もちろんはっきりと「フる」ような意識をもってその言葉を選んだとは言い切れないが——本論はその言葉がむしろいわゆる「フる」とか「フられた」とかいう次元から脱してゆく言葉だということを主張するものだが——、いずれにせよ、「待たなくていい」という言葉がそれまでの関係性に決定的に亀裂を入れる言葉であることには変わらない。

その、「待たなくていい」が関係性を破壊するという点において、それは「この模造品に、壊れるほどの傷をつけ」る言葉だと解釈することができる。そうだとすると、「待たなくていい」にさらなる解釈を加えることができる。というのは、そうだとすれば「模造品」というそれまでの関係をさし、それを「壊れるほどの傷をつけ」た先に待っているのは「たった一つの本物」ということになるからだ。

 

3.2. 結衣の希う「傷」と「痛み」

以上のような解釈に基づけば、八幡と結衣が「待たなくていい」以前に陥っていた関係性——陽乃が「共依存」と名指したような関係性——が「模造品」であるということになる。

だがそこでひっかかりを覚えるのは、「模造品」という言葉はあくまで八幡の主観からきた言葉であり、結衣自身は「共依存」という言葉を否定していたということだ。では結衣自身は八幡と雪乃との関係性をどうしたいと望んでいたのか?

繰り返しになるが、『俺ガイル』は基本的には八幡視点のモノローグで進行してゆくため、他の登場人物たちが八幡の言動をどう受け取っているかがたいへんわかりにくくなっている——というより、意図的にミスリーディングしている節がある——。

だが少数ではあるが、他人称視点の文章も存在する。そのひとつが⑭の Prelude である。Prelude は2~8頁程度の4つの短文から成り、そこでは、基本的には雪乃と結衣の対話が八幡不在のなかで営まれ、地の文は雪乃のモノローグか、あるいは結衣のモノローグで構成されている。

その Prelude のなかに、結衣が三人の関係性に望むことが読み取れる。結衣は「全部欲しい」と、11巻以来主張しつづけている自らの願いを口にしたあと、こう語る。

そんなのずるいってわかってる。/けど、ずるいのはあたしも彼女も、彼も同じだ。できないってわかってるのに、叶わないって知ってるのに、そのお願いを叶えたくて仕方ない欲張りだ。/でも、たぶんあたしが一番欲張り。/甘いのも、苦いのも、痛いのも、苦しいのも。/傷も痛みも、全部欲しい。*25

「全部欲しい」も多分に文脈を含む言葉だが、無理を承知で具体化すれば、八幡と親密になること、雪乃と親密になること、八幡・雪乃・結衣が調和した関係になること、そのすべてが同時に成り立つこと、あるいは反対に、それらが破局にいたること等、文字通り「全部」をその射程に含む。

しかしだからこそ、その願いは同時には実現不可能である。それを結衣はよくわかっており、だからこそ結衣が欲するもののなかには「傷」や「痛み」といった、ネガティブなイメージも含まれる。

そうだとすると、先の結衣が泣きながらに「あたしは、あたしたちは、初めて本当に恋をした」と口にする場面のニュアンスが変わってくる。

 

3.3. 「たった一つの本物へ」

すなわち、結衣が同時には実現不可能な願いを抱えていて、同時にそれが叶わないことを知っていて、だからこそむしろ「傷」や「痛み」すらも「欲しい」と願っているのだとすれば、むしろ結衣が「恋をした」とまとめる関係性のひとつの破局は、むしろ結衣の望むところなのではないか。

加えて、結衣が「共依存」を「痛み」によって否定していたことを想い出そう。そこで結衣は「痛み」によって、当初の関係性が「共依存」のような紛い物、偽物、生半可な関係ではないことを伝えようとしていたわけだが、それならば、ここで泣きながら痛みを感じていることこそが、翻ってその関係性を「本物」へと漸近させることなのではないか。

そう考えれば、「模造品に傷をつけ、たった一つの本物に」という八幡の言葉はここで実現に近づいたことになる。すなわちここでは、「模造品」=「傍から見れば『共依存』に見えるような生半可な関係性」に「傷をつけ」=「破局をもたらし」、そうした「傷」によってより深い関係性としての「本物に」近づいているのである。

 

3.4. フる/フラれる、「恋仲」からの脱出

そもそも「全部欲しい」という結衣の言葉だけを考えてみても、単なる「恋仲」だけが結衣の望む関係性でないことは明らかである。むしろ生半可な恋仲、つまり「共依存」に至ってしまうような恋仲は結衣の望むところではなく、あるいはそもそも男女二人だけが恋仲になるという異性愛的な図式に収まる関係だけが結衣の望むところなのではなく、結衣は「甘いのも、苦いのも、痛いのも、苦しいのも」「全部欲しい」のである。

少し話は逸れるが、そもそも『俺ガイル』という物語自体、とりわけ八幡のモノローグは、単純な異性愛的な図式、簡単に「恋人」としてくくってしまうような関係性を、(自意識によって)かたくなに拒否する性質のものであった。

とくに『俺ガイル』finalシーズン(⑩-⑭)は、筆者の言葉を借りれば、「自分だけの『言葉』を探す物語」である*26。八幡はそもそも「言葉そのものを信じていない」のだし*27、実際、雪乃に人生を分け合おうと誓ったあとに、いろはから「お二人はどういう関係になるんですか」と聞かれた際には、雪乃は「ぱ、パートナー……、とか? かしら……」と述べ、八幡もそれを受けて「いまいちわからんがたぶんそんな感じだ」と述べている*28

こうした関係性を規定する言葉への過剰な意識というのは、雪乃や八幡にかぎったことではなく、結衣にも共有されている。だから結衣が⑭のラストで奉仕部の扉を再び叩き、「依頼」あるいは「相談」をもちかけるときには、「あたしの好きな人にね、彼女みたいな感じの人がいるんだけど、それがあたしの一番大事な友達で……。でも、これからもずっと仲良くしたいの。どうしたらいいかな?」と、濁した言い方をする*29

加えてこの依頼こそが、結衣が「二人」の関係を脱して「三人」の関係性を志向していることの傍証となっている。「ずっと仲良くしたい」ということがどれだけ残酷なことか。むしろ八幡はこの展開をわかっていて、「待たなくていい」と言ったのではないか。

 

3.5. 二項ではなく三項という可能性

そこで、「待たなくていい」と八幡が告げる前に結衣が「なんでもない放課後にゆきのんがいて欲しい。ヒッキーとゆきのんがいるところにあたしもいたいって思う」と言っていたことを想い出そう。

「待たなくていい」は、これに対する返歌とも受け取れるのだ。つまりもしも、「待たなくていい」と言うシーンにおいて、もし八幡と結衣だけが結ばれるような結果になったのなら、品行方正な雪乃は性格上、八幡と結衣が二人きりになれるように身を退いてしまうかもしれない。すると結衣が願う「なんでもない放課後にゆきのんがいて欲しい。ヒッキーとゆきのんがいるところにあたしもいたい」という願いが叶わなくなってしまう。

加えて八幡はそれ以前に、「勝負」に負け、「由比ヶ浜さんのお願い叶えてあげて」という雪乃からの願いを引き受けており*30、自分のためにも雪乃のためにも、ここで結衣の願いを退けるわけにはいかない。

つまり八幡がここで請け負っているミッションは、奉仕部という部活がなくなった結果として雪乃が八幡と結衣の二人から離れてしまうのを防ぎ、かつ、結衣に対しては真摯に応じ、かつ、自らの求める「本物」を追及することにある。そのためには、八幡は一度真剣に結衣を「フって」、雪乃との関係を一度つなぎとめなければならない。

そうした意味合いをすべて含み込んだ言葉が「待たなくていい」なのだ。「待たなくていい」は、それまで「待って」いた結衣の態度を最高度に否定する言葉であり、かつ、「待たないで」「こっちから行く」結衣の元の姿勢を最高度に肯定する言葉であり、かつ、「模造品」に「傷」をつけるほど「痛」く、「苦しい」言葉であり、かつ、「たった一つの本物」に漸近するためのプロセスとなる言葉なのである。

 

4.0. 『俺ガイル』における決定不可能性

4.1. 八雪と八結、どちらが「本物」か

ところでしかし、八幡や結衣、雪乃が、果たして本当にそのような三項関係を、「意識的に」望んでいたのかということには疑問の余地がある。というより、「意識的に」望んでいたのか否かという問いそれ自体に解答を与えることは不可能であろう。

だがしかし、外側から、三項関係を志向しているという道筋を組み立てることはできる。そこであえて打ち立てたいのは、八幡と雪乃(以下「八雪」)と八幡と結衣(以下「八結」)のどちらの方が「本物」に近いか?という問いである。

結論から言えば、八雪よりも八結のほうが「本物」に近い、と言うことができる。件の「模造品に壊れるほどの傷をつけ、たった一つの本物に」という言葉を真に受けるなら、「たった一つの本物に」至るためには、「模造品に壊れるほどの傷をつけ」ることが必要であるわけだが、八結においては、確認してきたように、「壊れるほどの傷をつけ」ているのに対して、八雪においてはそれほどの「傷」をつけているように思われないからである。

それは具体的には、「待たなくていい」の八結シーンを、八雪の人生を分け合うことを誓うシーンと対比することでわかる。「待たなくていい」のシーンで、八幡が「あいつが何かを諦めた代償行為として、妥協の上で、誤魔化しながら選んだんだとしたら、俺はそれを認められない。俺が歪ませていたなら、その責任を……」と言いかけて一度やめていたことを想い出されたい。八幡はそうした「代償行為」だとか「責任」だとか、そういう理詰めの言葉に、過剰なまでの自意識によってとらわれていたことを自覚し、それを制止して、もっと純粋に気持ちを打ち明けたのであった。

しかしながら、それに対して八雪のシーンでは「責任とるなんて言葉じゃ全然足りてなかった。義務感とかじゃないんだ。責任、とりたいというか、とらせてくれというか」「義務じゃなくて意志の問題だ」「お前の人生歪める権利を俺にくれ」と、自意識まみれの言葉で「告白」めいたことを言っていた*31。もちろん一見すればそれは、雪乃に併せて言葉を選んだ、と好意的に解釈することもできるように思われるのだが、⑨の時点で平塚から「人の心理を読み取ることには長けている」「けれど、感情は理解していない」と忠告を受けていたこと*32、つまり自意識的なロジックによって人を理解することを戒められ、そのあとに「本物」という言葉遣いがなされたことを思い返せば、それほど好意的に受け取れるようなふるまいではない。

加えて言うならば、「責任とる」という言葉が一色の「責任、とってくださいね*33」からの引用、「あなたの人生を、私にください」という雪乃の言葉が「人生を私にください*34」という『ハチクロ』のパロディだとすれば、そこで紡がれている八雪の会話は、「偽物」のうえに打ち立てられた言葉ということになりかねない*35

以上のように考えれば、八雪と八結、どちらが「本物」により近いかという問いには、八結のほうがより近い、ということができるかもしれない。

 

4.2. 終わりなき『俺ガイル』

しかしながら、八雪と八結、どちらが「本物」に近いか、という二項対立的な問いは、その問いそのものが覆されうる。

というのは先に述べたように、八幡、あるいはとりわけ結衣のなかには、奉仕部三人でいたいという、三項への志向が読み取れるからだ。「たった一つの本物」とは、あたかも二人組の関係性のうちの一つ(八雪、八結、雪結)を指すように思われるが、そこに三人の関係性の理想形、八雪結があってもかまわないはずである。

実際『俺ガイル』本編は、八雪結の関係性を準備する段階で完結している。まずもって、「あたしたちのお願いって、たぶんいっしょなんだよね」という、「お願い」の共同性が結衣から語られ*36、その内実が「何かを諦めてほしくないんじゃないかな」とされたうえで*37、いろはから「諦めないでいいのは女の子の特権です!*38」という言葉をもらった結衣は主体的に「諦めない」ことを選び取る。

そこで結衣は「あたしの好きな人にね、彼女みたいな感じの人がいるんだけど、それがあたしの一番大事な友達で……。……でも、これからもずっと仲良くしたいの。どうしたらいいかな?」という「依頼」・「相談」を奉仕部に——「奉仕部に」である——もちかけ*39、それが「今日だけじゃ終わんなくて、明日も明後日も……ずっと続くと思う」としたうえで*40、雪乃もそれに「そうね。……きっと、ずっと続くわ」と同意している*41

この関係性を問い続けるという誓い、終わりなき「さまよい」を続け、差延させるというひとつの「終わり」こそが本編『俺ガイル』だったのだ*42。これについては八幡も、「誰かを大切に思うということは、その人を傷つける覚悟をすることだよ」「考えてもがき苦しみ、あがいて悩め。——そうでなくては、本物じゃない」という*43、平塚の弁証法の論理から一歩抜け出して、「だから、ずっと、疑い続けます」という現代思想の論理に行き着くことで応答している*44

興味深いのは、この一連の無限運動が、『俺ガイル』を読解する側においても、いわばメタ的に働くということだ。

 

4.3. 『俺ガイル』における決定不可能性

『俺ガイル』におけるセリフやモノローグが、どれほど決定不可能性をもっているか、ということは上に述べてきたことでもう十分伝わっているだろう。「待たなくていい」というセリフひとつとっても、そこには多種多様な文脈が入り込んでいるのであり、それを読み解くにはさらにほかの文脈が必要なため、その組み合わせは、高校数学で学ぶようにコンビネーション(mCn)で乗算されて(あるいは重複も数えればもっとだが)、何百通り、何千通りにもなりうる。

本論でも繰り返し述べてきたように、そこでとくにおぼろげになるのは八幡以外の視点である。それはとりわけ、最初の結衣の由来がブラックボックスとなっていることに象徴される。もし仮に、最初の依頼にすでに雪乃が結衣の気持ちを知っていたのなら、初期『俺ガイル』の読み方は徹底的に変わる。

それにそもそも「言葉そのものをを信じてない」と語る八幡のモノローグ=地の文を、どうして信用できようか。ありていに言えば、それは「信頼できない語り手」なのだが、しかし『俺ガイル』の場合は、そこに多種多様なパロディと、「作者」の言葉と、八幡の自意識と無意識とが入り込み、むしろ「語り/語らず、ミスリーディングする複数の語り/語らない手」とでも呼べるようなものにまでなっている。それがさらに「青春とは嘘であり、悪である」と、本文とは言い切れない、エピグラフのような「メタテクスト」で宣言されているのだから、なおさらあくどい——詳細は終わりなき俺ガイル ――来るべき読解のために―― - 野の百合、空の鳥を参照されたい——。

だからわれわれが『俺ガイル』を読解するとき、そのふるまいは雲をつかむようなものなのであって、むしろそのつかめなかったものの「不在」によって、それとの距離を、「隔たり」として記載するしかない。

本稿もまた、何かを画定しようというのではなく、むしろその「隔たり」を現出させる試みとして刻まれるだろう。「不在」としてしか、「あいだ」としてしか現れないような、その「隔たり」として。

 

 

おわりに. おわらないおわりに

本稿では「待たなくていい」という言葉から出発して、『俺ガイル』がいわゆる雪乃エンドでないこと、ひいては由比ヶ浜結衣がある側面においては「負け」ていないことを示すことをひとまずの目標として論を進めた。

「待たなくていい」は、それまで「待って」いた結衣の態度を最高度に否定する言葉であり、かつ、「待たないで」「こっちから行く」結衣の元の姿勢を最高度に肯定する言葉であり、かつ、「模造品」に「傷」をつけるほど「痛」く、「苦しい」言葉であり、かつ、「たった一つの本物」に漸近するためのプロセスとなる言葉なのであって、その意味において、八結という「模造品」は「壊れるほどの傷をつけ」られ、「たった一つの本物」へと向かう。この解釈に基づいて八雪と八結を比較すれば、自意識にとらわれたままの八雪のほうが「本物」からは程遠く、その点において『俺ガイル』はいわゆる雪乃エンドではなく、由比ヶ浜結衣は「負け」ていない。

だが「待たなくていい」という言葉が含み込む射程は、そういった誰々エンドとか、いわゆる恋愛・ラブコメといった紋切型の関係性を『俺ガイル』が脱出し、決定不可能性のほうに身を置いているということが示されることにこそあった。そもそも「言葉そのものを信じてない」八幡のモノローグで大半が構成される『俺ガイル』は、それを読解する側の言葉も解体してくるのであり、むしろさまざまな読解を試すその反復、終わりなきさまよいをさまようことが、『俺ガイル』を読むということなのである。

本稿はこの読み筋を示すための補助輪のようなものであって、その読みそれ自体を追求することは別稿に譲る。

この終わりなき終わりを、「ずっと疑いつづけ」ることに、希いながら。

 

謝辞

さて、以上のような読解は、けっして筆者個人だけの力によってなされたものではなく、『俺ガイル』を通じて出会ったいくつもの読み(手)に導かれて可能になったことである。

とりわけ「待たなくていい」に関しては、2020/10/20に簡単な検討会が開催されており、各論者の解釈は twitter にて #kangairu タグでたどることができる。また、それに関する個人的なまとめは第1回俺ガイル討論会の報告と考察 #kangairu | 飄々図書室で確認できる。

そのときの参加者さまたち、およびその後交流をもってくださった方々には、普段のやりとりもふくめ、たいへん多くを教わっているので、それぞれの所在地を挙げ、代わってお礼とさせていただきたい。

@HumbertWendel

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@oideyokawasaki

https://twitter.com/oideyokawasaki

改めて、お礼申し上げます。

 

参考文献等

渡航『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。①-⑭』小学館 ガガガ文庫, 2011-2019.

——, 「小学館カルチャーライブ『シリーズ完結記念!最終巻が100倍おもしろくなる「俺ガイル」語り』」(2019/11/23)

——, 「発刊10周年記念『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』 「俺ガイル」語り 10thアニバーサリーバージョン」(2021/6/17)

羽海野チカ『ハチミツとクローバー』第10巻, 集英社, 2006年.

 

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*1:本稿ではガガガ文庫から出版されている原作ライトノベル版の『俺ガイル』を対象とする. 『俺ガイル』にはほかにもマンガ版, アニメーション版があり, 大筋は大して変わらないが, それらには原作からの解釈が多分に含まれており, とりわけそれらが描く表情や声のトーンは, 原作のセリフや描写に多分に——あるいは過剰なまでに——意味を付与している. ここで原作に対象を絞るのは, 原作『俺ガイル』における問題は, そのような(過剰な)解釈が施される以前の「言葉」の示す射程にある, と本稿が解するからである.

*2:渡航『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』⑭, 386-401頁. 以下同署からの引用は, 巻数を丸番号で示し, 頁数のみを記載する.

*3:⑭, 341.

*4:⑭, 344-345.

*5:⑭, 309. 「/」は本文では改行されている箇所を指す. 引用に関しては以下同様.

*6:⑨, 254.

*7:ただし, 繰り返すが, 「本物」はそう単純に規定できる言葉ではない. 留意すべき点は大別して二点ある. まず一点には, 「本物」というのは八幡視点でまとめられた言葉であるという点がある. つまり, 「本物」はあくまで八幡の主観のなかで形づくられた概念であり, 先に引用した「醜い自己満足を押し付け合うことができて、その傲慢さを許容できる関係性」という暫定的な定義さえモノローグのなかでなされたものであるため, そのとき目の前にいた雪乃や結衣にすら具体的な内実は詳らかにされていない. 要するに, その後、雪乃や結衣が「本物」をどう受容したかは Interlude などを除いて八幡視点のモノローグでしか語られない『俺ガイル』においては推測することしかできない. 二点目は「本物」という言葉の内実, それに対する登場人物たちの執着の度合いは時間経過とともに変化するという点である. たとえば⑫の Interlude においては「冷たくて残酷な、悲しいだけの本物なんて、欲しくはないのだから」とされている(⑫, 11). そもそもこれが誰のモノローグかは本当には明らかではないが, それが誰のモノローグであったとしても, 「本物」の内実はここで初めて「冷たくて残酷な、悲しいだけの」とされるのだし, 「欲しくはない」という逆説的な願いが語られている点で, ⑨の時点で謂われていた「本物」の内実や執着の度合いから隔たりがある. しかしそれにもかかわらず時間的に変化する「本物」概念が同じ「本物」という言葉でくくられていることは重要である. これに関しては稿を改めて考えたい.

*8:⑭, 329.

*9:⑭, 330.

*10:⑭, 330.

*11:⑭, 332.

*12:⑭, 332.

*13:⑭, 333.

*14:⑭, 334. 〔〕内は筆者による. 以下同様.

*15:⑭, 334.

*16:⑭, 338.

*17:⑭, 339.

*18:⑭, 341.

*19:⑭, 345.

*20:⑥, 254.

*21:⑥, 255.

*22:⑬, 332.

*23:⑭, 319-320.

*24:⑭, 321.

*25:⑭, 165-166.

*26:この筆者の言葉は、「小学館カルチャーライブ『シリーズ完結記念!最終巻が100倍おもしろくなる「俺ガイル」語り』」(2019/11/23)および「発刊10周年記念『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』 「俺ガイル」語り 10thアニバーサリーバージョン」(2021/6/17)でなされたものであるが, アーカイブは残っていないため, 正確には確認できない. 今後同イベントが何らかの形で再録されるようなことがあれば典拠を記す.

*27:⑭, 339-340.

*28:⑭, 446-447.

*29:⑭, 523.

*30:⑬, 357.

*31:⑭, 394.

*32:⑨, 225-226.

*33:⑨, 363.

*34:羽海野チカ『ハチミツとクローバー』第10巻, 集英社, 2006年, 23頁.

*35:この記述は『俺ガイル』に馴染みがない人にとってはあまりにもこじつけのように思われるかもしれないが, 『俺ガイル』がパロディにまみれていること, 他の重要な「言葉」でさえ, さまざまなものからの引用であることをふまえると, 単なるこじつけとは言い切れない側面がある. いずれにしてもこの点に関しては稿を改めて検討する必要がある.

*36:⑭, 169.

*37:⑭, 170.

*38:⑭, 481.

*39:⑭, 523

*40:⑭, 523,

*41:⑭, 523.

*42:これに関して, 詳細は終わりなき俺ガイル ――来るべき読解のために―― - 野の百合、空の鳥を参照されたい.

*43:⑨, 232・235.

*44:⑭, 505.