野の百合、空の鳥

アニメ・漫画・文学を「読む」

【ピンドラ 考察】ゼロから見直す『輪るピングドラム』⑫「嫌だわ、早くすり潰さないと」の意味――「罪」編――【16話】

はじめに ——ピンドラをあらためて整理してみる——

ピンドラは桃果(モモカ)と眞悧(サネトシ)の代理戦争だ、とまとめてみることは、――とりわけ初見の人に——図式的な理解を与えるのには有効であろう。

つまり、桃果の意志を引き継いで「ピングドラム」を探そうとする側と、眞悧の亡霊にそそのかされてそれを阻止しようとする側とが、両軍入り乱れて闘争する、それがピンドラの大筋だと、ひとまず言うことはできる。

そのとき鍵になるのは「ピングドラム」の2つの性質、「愛」と「罪」 である。桃果側と眞悧側、その対立軸には、「愛」と「罪」に対する思想のちがいが見て取れる。すなわち、桃果と眞悧の対立というのは、図式的には、思想上の対立としても描けるのではないか。

そう思って本編を見渡すと、16話はその思想上の対立のうち、とりわけ「罪」についての対立を考えるうえで、ひとつわかりやすい導入となりうることがわかる。そこで今回は、16話のキーワードである「すり潰す」と「呪い」から、このピンドラ全体につながる問題について考えてみよう。劇場版公開直前であることも考慮すれば、本編のテーマをここで一度整理しておくことも、栓無きことにはならないであろう。

 

 

1.0. 真砂子にかかった「呪い」

1.1. 「嫌だわ、早くすり潰さないと」の意味

以前の記事で、真砂子の口癖「嫌だわ、早くすり潰さないと」については考察した。すなわち、「すり潰す」というフレーズの対象が、ピンドラでは「リンゴ」=「愛と罪の象徴」を想定できることから、真砂子は「愛」や「罪」を「すり潰さないと」と謂っている、と考えたのだった。

わけても11話は、真砂子の「愛」についての考えがわかる回であった。真砂子は、世間で言われるような理想主義めいた「愛」を批判し、「イメージ」のような「キャンバスに描かれた」理想像こそが「ほんとう」のものであった。

ということで、「愛」については整理できたが、「リンゴ」のもつもうひとつの側面については、課題として残しておいた。もうひとつの側面とは、すなわち「罪」である。

 

1.2. 「家族」という「呪い」

では真砂子は「罪」についてどう考えているのか。それが、今回対象とする16話を見ることでわかる。16話は、真砂子を掘り下げる過去編でもあるからだ。

要するに真砂子に「罪」を呼び寄せるような原因は「家族」にある。この「家族」を考えるうえで重要なのが、今回のキーワードでもある「呪い」だ。

なぜ「家族」と「呪い」が結びつくのか。それについて眞悧は以前こう言っていた。

「家族というのは一種の幻想、呪いのようなものだと思わない?考えてもみなよ。『家族』という名に縛られて暮らす子供がどれだけいるか。愛と言う名目で子どもを私物化する親、殴る親……彼らが愛しているのは自分自身だけだというのに、子どもはただ、家族という理由で親を愛し、兄弟愛さなければならない」

(『輪るピングドラム』15th station より)

「家族」というだけで「愛」を強要されなければならない、そういう理不尽な縛りのようなものを、眞悧は「呪い」と表現していた。

その意味で、「家族」は「呪い」なのである。

 

1.3. 真砂子の「呪い」

では真砂子の場合はどうか。

真砂子の場合も、例に漏れず、「家族」は「呪い」として機能していた。実業家の祖父・左兵衛は、人間を成功者/敗北者の二種類の人間しかいないと考えるほどの典型的な仕事人間で、マリオに自らのやり方を押し付けようとする。

真砂子の父はそんな左兵衛から逃れて企鵝(キガ)の会の活動に参加するのだが、結局は組織に使い捨てられ、命を落とす。したがって父を頼りにできない真砂子は、左兵衛のもとで抑圧されながら、左兵衛を殺すことでそこから解放されることを夢見る。

 

1.4. 「呪われるならいっしょに呪われてやる」

しかしそんな真砂子にも寄り添う存在があった。冠葉である。実の兄でありながら、離れ離れになった兄は、しかし真砂子が左兵衛を殺すことを決意したと告げると、こう言うのだった。

真砂子「わたくし、今度こそあの男をすり潰すことにしたわ。たとえ未来永劫、呪われることになっても」

冠葉「呪われるならいっしょに呪われてやる。それが俺たちをつなぐ絆だ」

(『輪るピングドラム』16th station より)

「呪われる」というキーフレーズがここでも使われている。「呪い」の元凶であるような祖父を殺すことは、しかしそうして殺すことによってむしろ、「家族」を殺したのだという「呪い」を未来永劫残し続けることにもなる。

そのような決意を示す真砂子に、冠葉は「いっしょに呪われてやる」と応える。それが「俺たちをつなぐ絆」、すなわち、「家族」という名の「呪い」なのだ。

したがって、これは一見するとどこまで行っても逃れられない「家族」という「呪い」の永続性を示しているようにも思える。しかしながら、見方によっては実はここにこそ、「呪い」から脱する理路が垣間見られる。つまりそれは「いっしょに呪われてやる」ことによって「罪」を分有するということなのだが、しかし真砂子と冠葉のこの決意は、「罪」が訪れないことで破綻する。

 

1.5. 「選ばれない」ということ

すなわち左兵衛は、真砂子が手を下すまでもなく、自らが捌いたフグの毒で死んでしまうのである。しかしそれならそれで、「毒親」的な左兵衛が死ぬのだから、真砂子は夏目家の「呪い」から解放される、と思いきや、今度はマリオの体に祖父が憑依する。

そこでマリオ=祖父に、毒ありのフグと毒なしのフグどちらか選ぶゲームを強いられた真砂子は、「毒を食らわば皿まで」と叫びながらすべてを平らげて「シビれ」てしまう。

そうしていよいよ死ぬという最終手段によって、「家族」という「呪い」からも解放される、と思いきや、またしてもそうはならない。「シビれ」て朦朧とした意識のなか、真砂子はこう独り言ちる。

「これで、夏目の呪いは……」「だからお父様、一言わたくしに、愛してると言ってほしかった。いえ、本当はわたくしは、お父様じゃなくて……」

(『輪るピングドラム』16th station より)

ここに、真砂子もまた——ほかの登場人物たちと同様に——「選ばれなかった」子どもであることが読み取れる。ピンドラにおいては結局、誰かに「愛してる」と言ってもらうこと、すなわち「選ばれる」ことが「透明」になって「世界の風景から失われ」ないために必要なこととして語られるのだが*1、真砂子にはそれが欠けている。

「お父様じゃなくて」につづくのは、おそらく「冠葉」だろうが、冠葉もまた、真砂子のほうへ振り向いてはくれず、自分の「家族」のほうに夢中である。

残されているのは、唯一いっしょに暮らす家族であるマリオ。だがマリオもまた、病弱な体質でペンギン帽がなければ生きられない。そんなマリオのために、真砂子は眞悧に協力し、人の記憶を消したり、日記を奪い取ったりしようとする。

こうして真砂子は「呪い」に囚われたまま、「罪」を重ねるのだ。

 

 

2.0. 「罪」についての対立

2.1. 真砂子の感じる「罪」とは

以上、「呪い」とそこから見出しうる「罪」について16話のストーリーライン二沿って確認した。「呪い」については「家族」にまつわる「呪い」として十分看取できたとして、「罪」については以上では曖昧だが、真砂子が左兵衛の抑圧的な体制を引き継いでいること、マリオのためとはいえ他人に危害を加えているということなどは、「罪」といえば「罪」かもしれない。

が、それというより真砂子が感じている「罪」とは、自らには「罪」がないのにもかかわらず被ってしまうような、いわば分け与えられてしまう「罪」の理不尽さだろう。

それはまず、企鵝の会の所業に加担してしまった父から引き継ぐものとしてもあるのだが、それ以上に、マリオに降りかかる「罪」に真砂子は理不尽を感じている。

眞悧 「彼らは選ばれたんだ。この世界の間違いを正す者に選ばれたんだ」

真砂子「この世界が間違えている?」

眞悧 「だって君の弟には、何の罪もない」

真砂子「そうよ。だからあなたが助けてくれるんでしょ!そういう約束だったわ」

(『輪るピングドラム』16th station より)

真砂子はここで、「世界は間違えている」ことの一例として、理不尽に弱ったマリオには「何の罪もない」ことを認めている。

つまり、ここに読み取れるのは、自らの行動に何の責任もないのに「罪」を負わされてしまうことへの批判的思想である。それはすなわち、「企鵝の会」の悪事の「罪」が、その子どもにも負わされうるということへの批判でもある。

ここに、ひとつの対立軸を見ることができる。すなわち、「罪」はあくまで自分の犯した何かに対する「罪」であって他人と共有できるもの、他人から引き受けることのできるものではない、とする側と、「罪」は他人と共有することができ、ときに「親」などから引きつぐものである、とする側との対立である。

そして言うまでもなく、この対立軸こそが、初めに述べたような眞悧×桃果の対立軸である。

 

2.2. 「リンゴ」"丸ごと" か "半分" か

16話で "丸ごと" 手渡される「リンゴ」と最終話で "半分" 手渡される「リンゴ」(『輪るピングドラム』16th/1st station, ピングループ・MBS, 2011年).

だからマリオに「罪」がないことを認めるシーンでは、以下の図像のように、マリオは「罪」の象徴としての「リンゴ」を "丸ごと" 眞悧に手渡す。そうして眞悧に「罪」の解決が託されるのだが、そこには「リンゴ」を半分にして「分け合う=分有する」という考え方はないのだ。

これは最終話で手渡される「リンゴ」や、冠葉や晶馬、陽毬たちの間で手渡される「リンゴ」が "丸ごと" ではなく、"半分" で手渡されることと対照的である。つまり "半分" は「愛」も「罪」も「分け合う」ということ、「分有する」ということを強調しているのだ。

この描写が、「罪」を分け合うことができるかいなか、という対立軸があることを象徴している。

 

2.3. 「早くすり潰さないと」の意味――「罪」について――

この眞悧×桃果の「罪」についての対立軸、すなわち他人の「罪」は引き受けない側と他人の「罪」も引き受ける側の対立でいえば、真砂子は(16話の時点では)前者に当たる。

そしてそう考えると、真砂子が「早くすり潰さないと」と言うのも納得できる。つまり、「すり潰す」が「愛」だけでなく、「罪」もすり潰すことを意図しているとするならば、真砂子はそういう他人から引き受けてしまった「罪」こそを「すり潰さないと」と謂っているのではないだろうか。

つまりそれは、何の「罪」も犯していないにも関わらず病弱でペンギン帽がないと生きていけないマリオの「罪」を、自らの親の「罪」を負わされそうになっている冠葉の「罪」を、それを継承して「罰」を受けた陽毬すら救おうとする冠葉を縛り続けるその「罪」を、「早くすり潰」したいという意志の表れではないだろうか。

 

2.4. 「すり潰さないと」の行方

しかし、行く先は地獄だ。

真砂子は冠葉を振り向かせようにも遠回しな手段しかとれず、「選ばれなかった」真砂子は最後まで「選ばれない」ままだ。あるいはマリオの「罪」を帳消しにしようとも、結局ほかの「罪」に手を染めてしまう。

「嫌だわ、早くすり潰さないと」。その言葉で自分を律した真砂子は、結局、自らをすり潰してしまう。「愛」を得られず、「罪」を重ねるそのまにまに。

 

 

おわりに

今回は「呪い」や「すり潰す」というキーワードを軸に、ピンドラ全体の対立構造、とりわけ「罪」に関する対立構造について確認した。

真砂子はほかの登場人物たちと同様に、「家族」という「呪い」を抱えており、その「愛」と「罪」にまつわる境遇から、「早くすり潰さないと」と事あるごとに口にする。今回明らかにしたのはその口癖のもつ「罪」についての側面、すなわち、「罪」を他人と分有することを批判的にとらえるという意味で、「罪」を「すり潰」そうとしていた、ということだった。

そこに、「罪」に関するひとつの対立軸が見て取れる。すなわち、他人と「罪」を分有できる派とできない派の対立だ。眞悧側ができない派なのだから、桃果側はできる派となる。となれば、ピンドラがあのような結末を迎えたことを考えるうえでも何か寄与するところがあるのではないか。

 

映画はまだ前編なので結末までは行かないだろうが、それに先立ってこの対立軸についての私の考えを断っておくなら、これはあくまで仮想的な対立軸であって、しかも最終的にどちらかが「勝利」するとは受け取りがたい、と考えている。

私が慎重になるのは、桃果が「呪文」を使うということ、そしてそれに犠牲が伴うということであって、そうしたある種ロマン主義的な道具立てに忌避感を覚えなくもないのだ。

ピンドラがあくまで物語として、ある種抽象化したものとして描かれていることには注意が必要であるということはこれまでも何度か述べているが、それでも、その度合いについては慎重にならざるを得ないだろう。

それからやはり、結末についてのある種の理解には違和感がある。それは自己犠牲、という点にも関わるが、これは今後きちんと検討すべき課題だろう。これについては先日すこしまとめてツイートしたので、そちら(とりわけツリーにつづくツイート)も参照いただけると幸いだ。

ともあれ、もう公開である。本来なら劇場版公開までに完結させたいと思っていたのだが、いかんせん、そうもいかない。遅れてしまったことを申し訳なく思いつつも、多くの方々にお読みいただいていることには感謝の念がたえない。これからもしばしお付き合いいただければ幸いである。

私も明日見に行くけれど、それについて記事を書くかどうかはわからない。少なくとも、きちんとした考察は後編を見てからでないとできないと思うので、書くとしても簡単な感想にとどまるだろう。

それでは明日の公開を楽しみにしつつ。また次回に。

 

【参考文献等】

・幾原邦彦『輪るピングドラム』ピングループ・MBS, 2011年.

・『「輪るピングドラム」公式完全ガイドブック 生存戦略のすべて』幻冬舎, 2012年.

 

【次回】

【初回】

【お知らせ】

本考察が紙の本になりました。内容はネットで見られるものとほぼ同じですが、加筆修正のうえ、「あとがき」を書き下ろしで追加しています。ご興味のある方はぜひ。

『Malus——『輪るピングドラム』考察集』通販ページ

*1:「選ばれる」ことについては陽毬の「選んでくれてありがとう」というセリフが印象的な19話, 「透明」については「こどもブロイラー」について語られる18話, 「世界の風景から失われる」ことについては23話にそれぞれ詳しい. これらについては追って考察したいので, 参照項が出来次第, 該当記事を本註に記載する.