野の百合、空の鳥

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ダリフラ感想<後編>「上滑りするテーマ」

<こちらは後編です。前編はこちら↓>

上滑りするテーマ

転生問題

「群像劇」の中で核となっているのはヒロとゼロツーの物語です。

総括すればそれは、「化け物」と呼ばれる身の上を憂い、「人間」になることに憧れを抱いたゼロツーが、ヒロとの再会をきっかけに、物理的な人間・叫竜といった枠組みを超えて「比翼の鳥」を体現してゆくまでの物語と言えるでしょう。

そこで問題となってくるのが物語の結末です。

第24話「わたしを離さないで」の最後のシーンにおいて、地球に帰還したと思われるヒロとゼロツーの魂は、桜の樹の下で人間の子供として転生し、再会を果たしたように解釈できます

これに関して、ゼロツーが見出した「人間らしさ」*1は精神的なものであり、ヒロとゼロツーの関係性は「人間」や「叫竜」といった外枠にとらわれないものであったからこそ意味があるのではないか、という指摘が見受けられました。

これは妥当であるように思います。

もちろん、最終回の描写も、転生した二人が人間のように「解釈できる」だけであり、種族や生物の枠組みを超えたソウルメイトの関係だからこそ、見てくれが人間であっても関係ないという話なのかもしれませんが、それならなおさら人間の外見だけを描いてはいけないのではないでしょうか

まずこの点に「中途半端」さがあります。

すなわち、生物や種族を超えた関係を尊重するのなら、最後までそのテーマを貫くべきなのに、結局それは人間の関係に回収されてしまっているように思われる点で「中途半端」と言えるでしょう。

例えば、ヒロかゼロツーのどちらか、転生した片方の見た目を叫竜人のようにしたり、角をはやしたりすれば、生物や種族を超えた、「人間らしさ」を尊重した関係性がより一層強調できるのではないでしょうか。

しかし、そもそもその「人間らしさ」自体も深く掘り下げられていたか?というと疑問が残ります

 

軽薄なヒューマニズム?

「群像劇」を通して伝わってくることは「人間らしさ」という語にまとめられると考えられます。

「人間らしさ」については考察最終回で詳しく述べたのでここでは割愛させていただきたいです。

ゼロツーが憧れたのはこの「人間らしさ」であって、叫竜の姫が賭けてみようと思ったのもこの「人間らしさ」であり、VIRMはこの「人間らしさ」を理由にしりぞけられたのでした。

『ダリフラ』ではオトナ、コドモ、叫竜、VIRMなど生の多様性とも呼ぶべき、生き方のいろいろな形が提示されていました。

ただし最終的にコドモたち、人類が選び取った「人間らしさ」を尊重する生き方が重点的に描かれ、他の生き方は否定はされないものの、影を潜めていきます

ここにもう一つ「中途半端」さがあります。

「人間らしさ」という結論はいいとしても、他の生き方はなぜ選び取られなかったのか、なぜ「人間らしさ」をコドモたちが選び取ったのか、明確な提起がされないことが「中途半端」に思われるのです

「不老不死」を選んだオトナ、「凪のような快楽」を理想とするVIRMらは、「人間らしさ」に対するアンチテーゼのような体裁で登場しているにも関わらず、双方からなぜその生き方が選ばれたのかという生き方の掘り下げが「中途半端」だったように思われます。

多様な生のあり様を描きながら、あるいは「化け物」をコンプレックスとするゼロツーをヒロインに据えながら、それと「人間らしさ」の衝突をなぜもっと描かないのか、私は疑問に思わざるを得ません。

それでは「人間らしさ」がうまく機能しないばかりか、軽薄な理由で選びとられたものと受け取られてもしまう可能性すらあります。

たしかにとても難しいことですが、せっかく選び取ったテーマだからこそ、最後まで描き切ってほしかったという気持ちがあります。

 

「性」の問題の消化不良

「人間らしさ」が選び取られる一方で、他種の生き方以外にもしりぞけられたものがあります。

その代表とも呼べるものが、イクノの「めんどくさい」という思いです。

ここは重要な箇所なので引用しておきます。

イクノ「私はあのとき、ナインズと同じことを考えてた。そんな自分を誤魔化すためにあいつを引っ叩いたの」
イチゴ「同じことって……どういう……」
イクノ「フランクスは女と男でしか動かせない……そんなめんどくさいシステム、無くなっちゃえばいいのにって……。ただその後で気付いたんだ。それだけめんどくさいって思っても、それを否定したら、私は私じゃなくなっちゃう、イチゴは、イチゴじゃなくなっちゃう……。そんなのイヤだって。もうホント……袋小路だ。私の気持ち……」
イチゴ「気持ち……?」
イクノ「好きなの……イチゴが」*2

ホモセクシュアルとも受け取れるイクノの「めんどくさい」という思いは、結局、イチゴが「もしかしたら、こういうのの積み重ねが生きてるっていうことなんじゃないかなって気がして」と言うことで、「生きてる」ということに還元されます

ここに「性」の問題を描き切れない「中途半端」さが垣間見られます。

すなわち、「めんどくさい」という生の多様性、生き方の多様性が開ける方向性は、これといった理由が語られることなく、「生きてる」という抽象的な言葉にからめとられてしまっているのです。

理由が語られないというのがポイントです。

この点はオトナたちの生が選び取られず、生殖と繁栄という生き方がコドモたちから選び取られたことに理由が見られなかったことと同様です。

理由を言説化してほしいわけではありません。

自らの境遇から未来へ命をつなげることを選んだ、しかしなぜつなげる確証のない環境で命を残そうとしたのか? 子供に見る「希望」とは何なのか? 「めんどくさい」中にも「生きてる」ことを見出せるのはなぜなのか? 「人間らしさ」を体現するだけなら子供はいらないのではないか?「性」にしばられなくても人間らしい生き方はできるのではないか?……等々、疑問は尽きません。

「性」というモチーフは生き方を選び取る上で非常に重要な役割を果たすはずです。

一度は「性」を捨てた人類がなぜ再び「性」にしばられる生き方を選んだのか、苦しみの中で「性」をそれでも受け入れる理由が、『ダリフラ』からは伝わってきませんでした。

解釈違いかもしれませんが、ここに『ダリフラ』が「ヘテロ礼賛」と言われてしまう原因があるのではないでしょうか。

多種多様な生き方を提示しているという点で私はダリフラをヘテロ礼賛とは思いませんが、形式的には、種族を超えた愛を説きつつ子供というヘテロの結晶にしか「希望」を見出せないと映ってしまうのかもしれません。

『ダリフラ』は開始当初、性行為に似た操縦体勢に嫌悪感を抱く人の声が多く聞こえました。

残念ながら「性」の問題を描き切ったとは言えない今、その嫌悪感は残余し続けていると言わざるを得ません

 

上滑りするモチーフたち

以上では上滑りするモチーフたちの代表的な例として「人間らしさ」「性」の問題を取り上げました。

しかし結局のところ、それら以外のモチーフでも、「中途半端」さが残る結果となったと考えられます。

様々なモチーフを取り込み、トライはしたけれどうまくいかなかった、そんな印象を『ダリフラ』全体を通して抱きました。

私は別に伏線を全部回収しろとも、人間中心主義ではないか、とも、ヘテロ礼賛ではないかとも思いません。

「人間らしさ」を選んだとき、「希望」を残そうと決意したとき、それらを説得力をもって描き切る筆致があればそのような言及は生まれなかったのではないかと思います。

これに尽きます。

 

 

『ダリフラ』とは何だったのか

『ダリフラ』って何だったんだろう、そう思うことがあります。

結局は以上で見てきたような「中途半端」さが、『ダリフラ』をおもしろくない物語に仕立てあげてしまったように思います。

繰り返しますが、私は伏線を全部回収せよとは思いません。

世界観のすべてを明らかにせずとも、例えば「群像劇」だけを、あるいは「群像劇」と「ロボット」を重点的に描けば、テーマをより明確に、深く伝えられたと思われます。

例えば、第24話のタイトルにもなっている『わたしを離さないで』はカズオ・イシグロのSF小説ですが、『ダリフラ』のコドモたちと同様の境遇である「提供者(donor)」の子供たちの生は描かれても、その政治的・倫理的背景はほとんど明示されません。

それでも『わたしを離さないで』が評価されるのは、人間と社会の関係と「生」というテーマが、「提供者(donor)」の人生とともに見事な筆致をもって描かれたからだと考えられます

その点、『ダリフラ』は結局いろいろなことに手を出した代償として、中心的に描きたかったはずの「群像劇」さえ、「中途半端」になってしまったのだと考えられます

とりあえず感想は以上です。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

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※本ページの情報は2019年2月時点のものです。最新の配信状況は U-NEXT
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<ダリフラ考察まとめはこちら↓>

*1:『ダリフラ』が提示した「人間らしさ」についてはダリフラ本編考察最終回「人間らしさ」 - zaikakotoo’s diary参照

*2:『ダーリン・イン・ザ・フランキス』18話「桜の花が咲く頃に」より引用。文章、太字は筆者による