「凪のような快楽」・「永久に続く進化」
前回、前々回と同様、今回も「生きる」ことについて考察したいと思います。
今回は肉体を捨て、「凪のような快楽」を求め、「永久に続く進化」を説くVIRMの「生」について考えていきたいと思います。
VIRMの説く「凪のような快楽」とはいったいどういう状態なのか、「進化が永遠に続く」とはどういうことなのか、それらを考えると、VIRMの「生」が見えてきます。
VIRM
「肉体を持たぬ思念体」
「肉体を持たぬ思念体」であるVIRMは、かつて叫竜人たちにも肉体を捨てるように要求しました。
VIRMは肉体を捨て、自身らと同化することで、「凪のような快楽」が実現できると再三述べています。
では彼らの説く「凪のような快楽」とは何なのでしょう?
その理想の先にいったい何があるのでしょう?
「凪のような快楽」
そもそも「凪」とは、風が止んだ状態、風のない穏やかな状態のことです。
また「快楽」とは、読んで字のごとく、快くて楽しいことを意味します。
ではVIRMはどのようなことを、穏やかでありながら心地よい状態、すなわち「凪のような快楽」と呼んでいるのでしょう?
VIRMは「凪のような快楽」について以下のように述べています。
すべての生命体はわれらと一つに溶け合う。凪のような快楽に身をゆだねよ。そこには憎しみもなく、種としての分け隔てもない。叫竜、人間、そのようなくくりも消滅する。すべて平等。その先に待つのは永久に続く安らかな眠りであると同時に、永久に続く進化である。それを否定し、自ら滅びの道を歩むことはあまりにも愚かだ。さあ、我らと一つに。*1
まず、多様な生命が融合しながらも種としての分け隔てがなくなり、すべてが平等になる、という点で、それは風のない穏やかな状態=「凪」だと言えるでしょう。
そしてVIRMはそのような状態を、主観的に「快楽」とみなしているわけです。
すなわちVIRMにとっては、様々な生命体と融合しながらも波が立つことなくすべてが平坦となった状態こそが、快くて楽しい=快楽であると考えられます。
ただ、上記の引用部を見ると、VIRMはそのような穏やかな状態だけを「快楽」としているわけではないのではないかと思われるのです。
「永久に続く進化」
注目したいのは「永久に続く進化」という文言です。
思念体として、あらゆる生命体と溶け合い、種の隔たりが消え平等となった先にある「永久に続く進化」、いったいそれはどのような「進化」なのでしょう?
そのヒントとなると考えられるのが、VIRMの以下のセリフです。
我々は宇宙のあらゆる知性体を同化し、肉体という殻を捨てさせてきた。お前たち人間も進化の段階を迎えるときだ。悠久に渡って続く凪のような快楽、それを与えよう。*2
ここからわかるのは、まずVIRMが人間はVIRMとつながることで進化できると考えているということです。
叫竜の姫が語ったように、VIRMは「思念体」、すなわち思想や考えがまとまった存在です。
そしてVIRMは「あらゆる知性体を同化」してきたと語っています。
つまりVIRMは、思想や考えをもった生物=「知性体」を思念体の自分たちにさらに加えることで「進化」してきたのではないでしょうか。
また、VIRMはこの「進化」も含めて「快楽」だと言っているのではないでしょうか。
そう考えれば、VIRMが叫竜人や人間たちをも取り込もうとしたこととも辻褄が合うように思われます。
あらゆる生命体を融合させようとする理由
叫竜人や人間は、VIRMが求める思想や考えを持った知性体だからこそ、取り込もうとされたと考えられます。
もしも、ただ単に思念体として凪のような状態を永久に維持していたいのなら、宇宙の隅っこで勝手に永遠に凪のような「生」を歩んでいればよいはずです。
しかしそのように孤立せず、人間や叫竜人を取り込もうとするのは、宇宙のあらゆる知性体を取り込んでいくこと自体が彼らにとって「進化」であり、その「進化」を続けることが「快楽」であるからではないでしょうか。
またさらに、そうしてあらゆる生命体を取り込んでいくことが、さらなる「凪」をもたらすと考えられます。
「宇宙の秩序」とは何か?
VIRMは他の生命体を取り込めば取り込むほど、自分たちの目指す凪のような状態を宇宙空間で拡大することになると考えられます。
なぜなら、融合すればするほど、すべてがVIRMと共に凪のような状態になるからです。
ここにVIRMの説く「宇宙の秩序」があるのではないでしょうか?
すなわち、VIRMの仲間が宇宙に増えれば増えるほど、その宇宙はVIRMの理想とするような、いわば凪のような宇宙となるのです。
そのようにVIRMと全生物が融合し、VIRMの考える「宇宙の秩序」が保たれるためにも、叫竜人や人間は同化させられなければならなかったのではないでしょうか。
また、「宇宙の秩序を脅かす」とされた「スターエンティティ」も、そのようなVIRMの理想の宇宙を妨げる存在だからこそ脅威とされたのではないでしょうか。
以上のことから、VIRMはあらゆる生命体と融合しながら、「凪のような快楽」と「永久に続く進化」によって永遠に続く「生」を営んでいると考えられます。
「ラマルククラブ」とVIRMの説く「進化」の可能性
そういえば結局、七賢人たちが「ラマルククラブ」と自称していたのはなぜだったのでしょう?
これにはまず、オトナを統合する存在としての七賢人の立場から見ると、不老不死という(ある意味では)「進化」と呼べるものを、人間の側から主体的に獲得したという意味で、ラマルキズムの思想を体現したからだと言えるでしょう。
ただ結局は七賢人の説く「進化」は人間の枠組み内のものであって、それを上回るVIRMという統合体の枠組みからも知性体との合一という「進化」が提示されてしまいました。
ただその知性体との合一だけが本当に「永久に続く進化」なのかは疑問です。
なぜなら、もしも知性体の数、生命体の数を有限だと定義するならば、それは「永久」には続かないからです。
その場合、VIRMの説く「進化」からはさらなる可能性がひらけます。
そもそも、知性体と融合したとしても、結局はそこで種の隔たりはなくなり平等になるのですから、そこでは思考の多様性も消えてしまう可能性があります。
もしも融合により思考の多様性が消えなかった場合、例えば知性体との融合により獲得した思考が拡大し、内部の内的作用で思考が発展し続けることが「永久に続く進化」だとも言えますが、思考の多様性も消えてしまう場合はそうは言えません。
VIRMと融合した結果、種としての隔たりだけでなく思考の多様性も消えてしまうのなら、何が「永久に続く進化」となるのでしょう?
はっきり言って、私にはわかりません。
すべてが平等である凪のような状態でありながら進化が永久に続く、という逆説的な事態を、もう少し考える必要があるのかもしれません。
「凪のような快楽」のために
以上に見てきたように、VIRMは凪のような快楽のために、叫竜や人間、地球を求めて戦っています。
VIRMの立場に立つのなら、それは納得のいく行動であると言えるでしょう。
果たして彼らの理想は実現できるのか、ついえるのか、結末を楽しみに見守りたいと思います。
「生きる」ということ
「つながり」を求めているVIRM
VIRMはあらゆる生命体と融合する、というある意味では「つながり」を求めた存在として語られています。
ただ「凪のような快楽」は、同じく「つながり」を生きるコドモたちには受け入れられません。
次世代を担うであろうナナとハチは、「凪のような快楽」という理想を聞いてこう述べていました。
ハチ「オトナが聞いたら、それは理想郷になり得たかもしれないな」
ナナ「でもそこはコドモたちの居場所じゃない。あの命の煌めきは凪のような快楽の中では生まれないわ」ハチ「それが良いか悪いかではない。ただ、コドモたちは、人類は、その道を選んだのだ」*3
すなわちここでVIRMの理想は、ただ「選ばれなかったもの」として、否定も肯定もされません。
コドモたち、ひいては人類はただ「命の煌めき」がある方を選んだという風にされています。
すなわち、『ダリフラ』が表現しているのは、生き方は生命体それぞれであるということだと考えられます。
そのことはこれまでの記事で見てきたヒロやゼロツー、フランクス博士、オトナたち、VIRMにはそれぞれの生を見ても、明らかなことでしょう。
そのような多様な生き方がありながら、ただコドモたちは「命の煌めき」を生む生き方を選びました。
いよいよ最終回です。
果たしてコドモたちの「命の煌めき」とはどのようなものか、最後まで見守りたいと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました!
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