「鏡」の効果
前回は「十字架」の影から、「ココロ」と「原罪」との間にアナロジーを見出し、「ミストルティン」と「パラサイト」という用語からコドモたちが辿る運命について考察しました。
今回はヒロがゼロツーにプレゼントした「鏡」から、ゼロツーの苦悩や目的、そして「ゼロツーの願い」について考察していきたいと思います。
ナオミの形見とも言うべき「鏡」を、わざわざゼロツーに贈ることの奇妙さについてはすでにTwitterにて言及しました。
もちろん「サイコパス」というのは現実世界から見たときの感想であって、逆に考えると恋愛の概念も定かでないヒロたちには「嫉妬」という概念もないのかもしれません。
— 才華 (@zaikakotoo) 2018年3月12日
現実の我々から見ると、このようなプレゼントはヒロのダメ男っぷりをうまく表現している演出だとも言えるかもしれないのですが、話はそう生半可なものではないのかもしれません。
この話を突き詰めていくと、この「鏡」はゼロツーにとってより深い苦しみを味わわせられるもの、むしろ苦痛の象徴そのものなのではないかということがわかってくるのです。
それではこの「鏡」にはどのような効果があるのでしょうか?
今回はそれを考えてみましょう。
①化け物の再認識
残酷な効果
まず1つ目の効果は「化け物の再認識」です。
鏡というのは言うまでもなく、鏡像としてそこに自分自身を映し出すものです。
これはゼロツーにとって非常に残酷な効果をもたらすことになります。
なぜなら、ゼロツーは鏡に映った自分を見ることで、「角」や「目」といったコンプレックスと言うべきパーツを目にし、自分が化け物であることを再認識することになるからです。
「化け物」
ゼロツーが「角」にコンプレックスを抱いていることや、「化け物」扱いされることを忌み嫌うことなどは、これまでの本編で何度も描写されてきました。
第1話では「ボクはいつもヒトリだよ。この角のせいでね」という印象的なセリフがあり、第6話ではヒロが「ヒトリ」でも戦い続けるゼロツーを見てそのセリフを思い出し、「俺はキミのパートナーだ。キミをヒトリにはしない」と再起したのでした。
そのように2人でともに歩んでいくことまで誓ったヒロが、「ヒトリ」であることを認識させてしまうような「鏡」を贈るというのは、ゼロツーにとってはかなり残酷なことなのではないかと考えられます。
②ゼロツーの苦悩の象徴
「ヤドリギ」
2つ目の効果は「ゼロツーの苦悩の象徴」です。
小さくて見づらいのですが、鏡の裏の模様はその特徴からヤドリギとその実ではないかと考えられます。
「ミストルティン」が「ヤドリギ」を意味し、その「ヤドリギ」が宿主の植物に寄生(パラサイト)する植物であることは前回の考察でも述べました。
そんな「ヤドリギ」が「鏡」に描かれているということは、「鏡」が「寄生という生き方」を象徴していることを意味していると考えられます。
そしてこの「寄生という生き方」は、ゼロツーの苦悩そのものを表現しているのではないかと考えられるのです。
ゼロツーの苦悩
ゼロツーの苦悩は、ヤドリギの宿主に寄生する生き方に類似します。
すなわち、ヤドリギが宿主の植物に寄生し、ときには枯らしてしまうように、ゼロツーもストレリチアを介してパートナーを食いつぶしてしまっていたのでした。
このことは第1話でゾロメが語っていた「いっしょに乗ったパラサイトは血を吸われて、三回目で必ず命を落とす」というパートナー殺しの噂や、第4話の「あの女は僕のすべてを吸い取ろうとしたんですよ。血も肉も魂も……何もかも……!」というミツルのセリフからうかがえます。
このようなパートナーを食いつぶしてしまうという事実が、「ボクはいつもヒトリだよ」とゼロツーに言わしめ、実質「ヒトリ」で戦うことにつながったのでしょう。
そのように、宿主に寄生しエネルギーを吸い取るヤドリギの生き方に類似した、パートナーからエネルギーだけを吸い取ってしまうようなゼロツーの在り方は、ゼロツーをヒトリで戦わせるという点でゼロツーの苦悩となっていたと言えるでしょう。
以上のことから、「ヤドリギ」を模様に据えた「鏡」はゼロツーの苦悩そのものを象徴していると考えられます。
③ゼロツーの未来の暗示
「アマテラス」と「八咫鏡」
3つ目の効果は「ゼロツーの未来の暗示」です。
一見突拍子もないように思えるのですが、この「鏡」は「八咫鏡」だと解釈することができます。
「鏡」と人類の関わりというのは非常に根深いのですが、中でも神道では鏡はアマテラスの神体とされています。*1
そしてそのアマテラスを天岩戸から外へ引き出し、再び世界に光を取り戻させるために用いられたのが「八咫鏡」です。
このゼロツーの「鏡」を「八咫鏡」と解釈するのは、かなり大胆なように思えますが、そのように解釈する理由が「セグロセキレイ」の登場にあります。
イザナミとイザナギに性交の仕方を教えたというセグロセキレイから、 #ダリフラ と古事記の関連性を考察します。イザナミとイザナギは、万物を生み出す祖神。彼らは、宇宙が陰と陽の二気に分かれた際に誕生しました。陰はイザナミで、陽はイザナギですから、こうした所からも繋がりが見えてきます。 pic.twitter.com/6zTesRQYmm
— めめんと森 (@mmntforest) 2018年2月1日
上のツイートで言われているように、第1話で登場したセグロセキレイは『古事記』においてイザナギとイザナミに性交を教えたとされています。
コドモたちをわざわざ性知識から隔絶し「男女」をテーマにした『ダリフラ』に、『古事記』で性交を教えた「セグロセキレイ」が登場したというのは意図的であると考えられます。
したがって、そんな『古事記』に意識的である制作陣ならば、鏡がアマテラスを象徴することも意識した上で取り入れたとしても不思議ではないとも考えられるのです。
しかしもちろんスタッフ側がこれに無意識である可能性も十分にあるのですが、「鏡」が「八咫鏡」を象徴しているとすると、おもしろい解釈ができるのです。
ゼロツーの未来の暗示?
その解釈とは、「八咫鏡」にまつわる神話がゼロツーの未来を暗示しているのではないか、という解釈です。
前述したように、「八咫鏡」は天照大神を天岩戸から引き出すために用いられました。
その「八咫鏡」にまつわる『古事記』の神話を要約すると以下のようになります。
アマテラスの弟であるスサノオが高天原で乱暴を働き、他の神々がアマテラスに苦情を言ったところ、アマテラスはスサノオをかばった。
しかしスサノオは再び悪さを働き、天の服織女を殺してしまった。
このことを見畏みてアマテラスは天岩戸という岩の洞窟にこもってしまった。
太陽の神であるアマテラスが岩にこもったことで、世界が真っ暗になり困った神々は、天照大神が岩戸を細めに開けたときを見計らい、「八咫鏡」でアマテラス自身を映して、興味を持たせて外に引き出した。
そして再び高天原と葦原中国は明るくなった。*2
この「八咫鏡」にまつわる神話が、ゼロツーの未来を暗示しているということが考えられるのです。
その反映の度合いはどの程度かわかりませんが、例えば、この先ゼロツーが何かによってふさぎ込んでしまったとき、ヒロからもらったこの「鏡」が起点となってゼロツーが復活するのかもしれません。
あるいは、「天岩戸」というのは「地中」を連想させますから、叫竜に導かれたゼロツーが自ら進んでかまたは敵の力で地中に閉じ込められてしまうという展開もあるかもしれません。
以上のことはやはり推測の域を出ず、解釈というより妄想と言うべきなのでしょうが、この「鏡」がはじめからOPにも登場していることも考えると、この「鏡」がこの先重要なアイテムとなる可能性も十分にあり得ると考えられます。
以上が「鏡」の有する3つの効果です。
このように、ヒロがプレゼントした「鏡」にはゼロツーに苦痛を与えたり、それ自体が苦悩の象徴であったり、ゼロツーの行く末を暗示したりする効果があると考えられます。
そしてこのように「鏡」を解釈すると、OPに登場する「割れた鏡」の意味も見えてきます。
長くなってしまったので、「割れた鏡」の意味とそこから見えてくる「ゼロツーの願い」については<後編>で考察していきたいと思います。
<後編↓>
<ダリフラ考察まとめはこちら↓>
*1:『鏡の境界性』 井手 直人 (宗教研究 78(1), 1-21, 2004) 10頁参照