こちらは<後編>ですので、お先に ↓<前編>↓ を読んでいただけると幸いです。
そもそも罪とは
そもそも「原罪」のエピソードのうちで「罪」に値するのはどのような点でしょうか。
もちろん禁断の果実を食べたことではあるのですが、それの何がいけなかったのかというと、死ぬから食べてはいけないと神から命令されていた知恵の実を食べてしまったことがいけなかったのです。
つまり「原罪」の「罪」は特に、「知恵の実を食べてはいけない」という神の命に背いた点にあるのです。
したがって、原罪を背負っていると考えられるココロも、神の命に背いたと見立てられるわけです。
『ダリフラ』における「神」とは?
神の命に背くといっても、『ダリフラ』に神なんていたでしょうか?
結論から言うと、『ダリフラ』におけるコドモたちの神は「パパ」だと考えられます。
「パパ」たちが神様扱いされているというのは本編の諸所に垣間見られます。
例えば、第5話では食事前に「パパののどが渇くことのないように。パパの心に未来永劫まで平穏が訪れますように」という祈りが捧げられていましたし、第7話でもミツルが「パパたちを侮辱する気ですか?」とパパたちに対する信仰心の表れとも受け取れる言葉を述べています。
また以前本編考察⑥でも述べたように、「パパ」というのは一人だけでなく複数人に対しても、そして男だけでなく女にも用いられる呼称でした。
しかし「パパ」が神様扱いされているのならば、そのような用語の用いられ方も納得がいきます。
というのも、多くの宗教において神は「父」と呼称されており、神は複数人いることも、性別を超越していることもあるからです。
例えば、ユダヤ教の神ヤハウェは唯一神であり「父」と呼ばれますし、キリスト教の神は「父」と「子」と「精霊」が一体となっている(三位一体)とされることがあります。
以上を鑑みれば、『ダリフラ』における神とは「パパ」であると考えられます。
神に背く運命
『ダリフラ』における神が「パパ」ならば、原罪によって神に背いたココロは、「パパ」に背いている、あるいはこれから背くのだと見立てられます。
しかしそもそも、ココロたち13部隊のコドモたちははじめから神に背く運命にあったのです。
その運命を指し示しているのが「ミストルティン」です。
「ミストルティン」とは、『ダリフラ』では13部隊のコドモたちが生活する施設のことですが、北欧神話では光の神バルバドルを死に至らしめた矢の名前に当たります。
バルバドルを貫いた「ミストルティン」の逸話は以下の通りです。
バルドルはある日、死を予言する夢を見た。それを聞いた母フリッグは、万物に対し、決してバルドルに危害を加えないという誓いを立てさせた。
ただし、ヴァルハラの西に生えていたヤドリギ(ミスティルテイン)の新芽だけは、あまりに非力でその必要がないと思い、誓いを立てさせなかった。さらにフリッグはそのことをロキに漏らしてしまった。
ロキはバルドルの盲目の弟ヘズを騙して、ヤドリギをバルドルに向かって投げさせた。矢となったヤドリギがバルドルを貫き、バルドルは絶命した。*1
「ミストルティン」のもととなったのは上にある通り、「ヤドリギ」ですが、「ヤドリギ=宿り木」とは読んで字のごとく他の植物に「寄生=パラサイト」する植物です。
ここに「ミストルティン」と「パラサイト」という北欧神話の逸話と完全に合致した構図が出来上がります。
以上のことから、「ミストルティン」で育った「パラサイト」たちは、神を射抜くということで神に背く運命にあると考えられるわけです。
「パパ」を射抜くということ
神に背くということは『ダリフラ』では「パパ」に背くということを意味します。
そして特に「ミストルティン」で育った「パラサイト」たちは神を射抜く運命にある、つまり、「パパ」を射抜く運命にあるということになります。
では「パパ」に背く、ひいては「パパ」を射抜くとはどういうことでしょう。
性への目覚め
まず第一に、思春期を迎え、性知識を得ている時点ですでに「パパ」に背いていると言えます。
これはコドモたちがパパたちから性に関する知識から隔絶されていた様子から明らかです。
しかし性知識を備えることはまだ序の口と言えるかもしれません。
なぜなら、より決定的に性に目覚めるのは自身の身体に変化が起きたときだからです。
例えば上の画像に見られるように、13部隊の女子の下着の色は白ですが、彼女たちが初潮を迎えたとき、その体の変化は白という下着の色によって、彼女たちの目により衝撃的にうつることでしょう。
むしろ生理をはっきり判別するための色のチョイスだと言ってもいいかもしれません。
ともかく、もしも彼女たちの体にも生理が起こったなら、そのときは大変な混乱が起きることは容易に想像できます。
「パパ」を殺す
そして「パパ」を射抜くということから連想されるのは、単純に「パパ」たちを殺すということです。
第8話放映後の今の時点での敵は叫竜のみですが、「パパ」に抑圧されてきたコドモたちがいずれ「パパ」に文字通り一矢報いるという展開があり得るのかもしれません。
とりわけ「パパ」の中で高位に属すると思われる「七賢人」は、『ダリフラ』世界のシステムを構築した根源とも言える存在ですから、そんな世界を打ち壊すべく、コドモたちが「七賢人」に立ち向かっていくという展望も十分考えられます。
単純に想像してみても、味方だと思っていた側が敵方になるというのはアニメの鉄板でもありますから容易に考えられるのですが、「ミストルティン」や「パラサイト」という用語からそのような展開を推測することもできるというのは面白いことです。
「神」を射抜くコドモたち
今回はココロに「十字架」の影が落とされているというところから始まり、「原罪」との間にアナロジーを見出し、「ミストルティン」と「パラサイト」という用語からコドモたちが辿る運命について考察しました。
本当は今回のテーマに関連して、「供儀」の体系が出来上がっていることや、ミツルが失敗作である可能性についても述べたかったのですが、一応まとまりがついてしまったのでこれでひとまず完成ということにしたいです。
ミツルが失敗作である可能性というのは、一人だけ思春期の兆候が見られないことやクロロフィッツの武器名にチェスの駒が入っていないこと、パートナーのイクノがクレイジーサイコレズらしいこと、EDのイクノの花=ハナニラの花言葉が「悲しい別れ」であることなどから一番初めに死ぬならミツルとイクノペアかなと予想を立てる考察なのですが、あれ、全部言えてしまいました……。
ともかく、ひとつ言えるのはコドモたちに待ち受けている運命は生半可なものではないと言うことです。
各界隈から悲鳴が聞こえてきそうですが、おそらく死人ゼロで『ダリフラ』が終わることはないでしょう。
今回のテーマで言えば「性」の問題に対して『ダリフラ』がどう結論付けるのかなど、「コドモ」に残された課題は山積みです。
今後の展開が本当に楽しみです。
今週は私事により忙しく、あまり細かい科学的なアプローチはできませんでしたが、大づかみな文学的アプローチでご勘弁していただければと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました。
次回も読んでいただけたなら幸いです。
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