Ⅰ. 「4分間」
「4分間」、見ず知らずの人の会話を聞くところを想像してみてください。
カフェでも電車でも、なんとなく誰かの会話が気になって聞いてしまう、という経験は誰にでもあるのではないかと思います。
しかし、その会話をずっと聞いていたいなと思う人は少ないでしょう。1分や2分ならまだしも、「4分間」ともなると耐えられず、ついイヤホンで耳をふさぎたくなるかもしれません。
「4分間」、それは『マギレコ』2話で、いろはが、ももこ、レナ、かえでの3人と初めて会話を交わした時間、そして彼女たちがファストフード店にいた時間です。
文字に起こして読めばわかるのですが、「4分間」の会話だけのセリフというのは、そう楽しいものではありません。特にアニメなんかの場合、どうしても伏線や展開の関係で、会話は退屈になりがちです。
それを『マギレコ』2話は見事に克服、いやむしろ「見せ場」といって良いくらい面白いものに仕上げています。
他にも「影/の演出」、「音の入り方」、「タネの出し方」、「構成のうまさ」など、『マギレコ』2話は総合芸術としてのアニメーションとして、お手本のようなつくりになっています。
本記事では、そのような『マギレコ』2話が、なぜアニメーションとして優れているのかについて、筆者なりの仕方で解説していきます。
Ⅱ. ファストフード店について
ⅰ. 電光掲示板の演出
1. 心情を代弁する
わかりやすいところからいきましょう。
いろはがももこ、レナ、かえでの3人と訪れたファストフード店で、レナとかえでがちょっとしたけんか始めてしまいます。
その言い合いの中で、背景にある電光掲示板のようなものに、まず一つ目の演出の工夫があります。
レナとかえでが言い合いを始めた直後のこのカット、いろはが戸惑う姿が印象的ですが、よく見るとその手前のガラスに "DON'T KNOW WHAT TO DO" と反転した文字が映っているのがわかります。
"DON'T KNOW WHAT TO DO" とは、「どうしたらいいかわからない」くらいの意味ですが、見事にこの場面のいろはの心情を代弁しています。
つづく他のカットも見てみましょう。
かえでの願いである「家庭菜園」を「どうでもいい」と言ってしまったレナ。それに対し「家族の大切な家庭菜園だよ!」と、かえでに反論された後のカットが上の画像です。
ここでもまた "Forgot what I just said now"=「今なんて言ったか忘れちゃった」、 "it was just a slip of the tongue"=「つい口がすべった」といったレナの気持ちを代弁するような言葉がガラスに投影されています。
実際レナはここで、「別にかえでの家族がどうとか言ってないじゃん」などと、言い訳がましいセリフを並べています。
その直後、自身の願いを擁護するかえでのカットには、"My wish"=「私の願い」、 "an important thing"=「大切なこと」と、これまたかえでの心情を代弁するような文言が映されています。
もう画像は引用しませんが、この少し前のレナのカットでも"I hate them","disgusting" といった心情にあった文が書かれていますし、最後の方のももこのカットでも、仲直りさせようとするももこの心情にあうような文字が、ガラスに浮かび出てきます。
まずこのように、電光掲示板の演出は、登場人物たちの心情を反映しているという点で、おもしろい演出になっています。
ついでに言うと、カメラワークがガラス越しになっているのも良いですね。奥行きも出ますし、簡単に文字は読み取らせないことで注意をひき、さらに都合の良いとき(例えば2枚目のレナのカット)には顔を隠すのにも使える。とても便利な演出です。
ただこの電光掲示板の演出の良さはこれだけではありません。
2. テンポを生み出す
電光掲示板の演出は、この場面のテンポの良さにもつながっています。
例えば上のシーン。レナが「ふんっ」と顔を横にそむけると掲示板の絵柄が消えてゆき、すぐ復活した後、今度はレナがハッとした表情になると絵柄が消え、また強気の口調に戻ると絵柄が復活します。
ここで電光掲示板は、強気→弱気→強気と目まぐるしく変化するレナの感情に合わせるように動いており、いわば「音ハメ」するような形で、うまくテンポを作り出しています。
また、ももこがレナを元気づけようとする場面では、後ろの図柄が、ももこの顔の上下動や体の動きに、ピッタリとあわせたり、少しずらしたりしながら明滅することで、これまた上手にテンポを生み出しています。
とくにこの場面のラストはすごく良く「オチて」います。ももこの冗談めいたふるまいが見事にスベって空気が凍る一瞬の「間」が、図柄がはらりと消える様でうまく表現されています。「わー……スベったー……」と思わず言ってしまう一コマでした。
以上のように、電光掲示板の演出だけでも、かなり工夫が凝らされていて、これだけでも退屈しないようなつくりになっているのですが、このシーンにはまだまだうまいところがたくさんあります。
全部拾っているとキリがないので、この場面に関しては、もう少しだけ語らせてください。
ⅱ. 「芝居」のうまさ
この場面だけではないのですが、とくにこの場面ではアニメキャラへの「芝居」のさせ方がすごく上手いです。
アニメキャラがどういう身振り手振りで動くかを、ここでは「芝居」と呼ばせていただきたいのですが、その「芝居」の良し悪しは単に作画のうまさだけでは決まらないと思います。
演劇やドラマで、役者の演技がうまいだけでは味気ないのと同様に、キャラの動きがうまくても、面白みは出ません。絶妙な照明、迫力のあるカメラワーク、雰囲気に遭った音響があって初めて場面は完成します。
それと同様に、上に挙げた場面では、絵を描いている方がお上手なのはもちろんのこと、とくにカメラワークが「芝居」のうまさをさらに引き立たせていると思います。
具体的には「画ブレ」、「画面動」と言われるような手法が「芝居」に味を出していると考えられます。「画ブレ」あるいは「画面動」というのは、その名の通り画面自体がブレること、ないしは画面そのものが動くことを意味します。
上の場面では、この「画ブレ」がふんだんに用いられ、キャラの動きにうまく合わせて、効果的に臨場感を出しています。おそらくそんなに難しくない、むしろ基本的な「画ブレ」の手法なのでしょうが、それがすごく有効に、かつわかりやすく出ていたので、この場面を挙げさせていただきました。
ただそれだけではなくて、最初のレナの「キィッ」という鋭い表情のカットもすごく良いですし、最後にももこがうなだれるシーンも簡単な芝居かもしれませんが、とても効果的な芝居になっているように思います。
『マギレコ』は全般的に芝居のさせ方がうまいような気もしますが、とくにその芝居のうまさが詰まったシーンが上の場面だったのではないかと思います。
ⅲ. "GAUCHE" BURGER
1. "GAUCHE" というネーミング
これまでは主に演出の話をしてきましたが、今度は打って変わって「物語」、あるいは「本」の話をします。
いろはやももこ、レナ、かえでの4人が話しているこのファストフード店は、その名を "GAUCHE BURGER" というのですが、この名前に、一つの工夫があります。
言ってしまえば、アニメに出てくる店の名前なんて、どうでもいいわけです。よくあることですが、だいたい現実の店の名前を少しもじった店舗名なんかにするのが定石であるわけです。
ただ "GAUCHE BURGER" という名前は、簡単にスルーできない名前です。
すでに多くの人に指摘されているようにに、『マギレコ』は宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』を下地にしていると思われるような箇所がいくつかあります。
となると、 "GAUCHE BURGER"、とくにその中の "GAUCHE=ゴーシュ"という名前から、連想せざるを得ない作品があります。
そう、『セロ弾きのゴーシュ』です。
2. 『セロ弾きのゴーシュ』とは?
ではもし "GAUCHE BURGER" の "GAUCHE=ゴーシュ" が『セロ弾きのゴーシュ』由来だったとしたら、いったい何が言えるでしょう?『マギレコ』と『セロ弾きのゴーシュ』には何か関係があるのでしょうか?
『マギレコ』と『セロ弾きのゴーシュ』に関係があるのか否か、あるいはそう仮定するとうまい「読み」ができるかどうか考えるには、まず『セロ弾きのゴーシュ』について簡単に確認する必要があります。
『セロ弾きのゴーシュ』は、1934年に発表された宮沢賢治の小説です。
内容は、すごく簡単に言うと、「ゴーシュ」という名の楽団で一番下手くそなセロ(チェロ)弾きの主人公が、夜な夜な動物たちとチェロを練習しているうちに、いつの間にかチェロが上手になっているという話です。
もう少し突っ込んで言うと、『セロ弾きのゴーシュ』で大事なのは、楽器が上手になったことではありません。ゴーシュが内面的に成長したという点が重要なのです。
ゴーシュは最初、荒々しくて卑屈な人物として描かれます。ですから、夜な夜なゴーシュを訪ねてくる動物たちにも、かなりキツく当たります。
途中「音楽を教わりたいのです」と言って訪ねてきたカッコウなんかには、「このばか鳥め。出て行かんとむしって朝飯に食ってしまうぞ」と罵倒を浴びせ、最後には部屋から追い出してしまう始末です。
しかし、動物たちとの練習で上達したことを実感したゴーシュは、最後には「ああかっこう。あのときはすまなかったなあ。おれは怒ったんじゃなかったんだ」と、独りつぶやきます。
粗野で小心者だったゴーシュが、素直に謝罪を口にできるくらい成長したというのが、『セロ弾きのゴーシュ』の一つの要点だと言えるでしょう。
3. "GAUCHE=ゴーシュ" という名前をつける意味
ではそんな『セロ弾きのゴーシュ』の "GAUCHE=ゴーシュ" をファストフード店の名前にするというのは、どのようなことを意味するのでしょうか?
結論から言うと、この "GAUCHE=ゴーシュ" というファストフード店で起こったこと、および主にレナの言動が "GAUCHE=ゴーシュ" にふさわしいから "GAUCHE=ゴーシュ"と名付けたと考えられます。
そもそも、『セロ弾きのゴーシュ』の「ゴーシュ」は、フランス語で「ぎこちない、不器用な」という意味の ≪gauche≫ に由来しているのではないかという説があります。
つまり、『セロ弾きのゴーシュ』の中の主人公ゴーシュのぎこちなさ、不器用さが、まさに ≪gauche≫ であるというわけです。
そして『マギレコ』の世界の "GAUCHE BURGER" で繰り広げられた会話劇も、まさに ≪gauche≫ だったと言えはしないでしょうか?
4. レナたちの ≪gauche≫ さ
ファストフード店で繰り広げられたレナたちの言い争いというのは、いかにも不器用でぎこちないものでした。
とくにレナは、いわゆる「ツンデレ」のような性格で、ちょっと癪に障るようなことがあるとすぐに「ツン」とした態度をとり、他人の願いを「どうでもいい」と言い放ってしまいます。
しかしかえでもかえでで、「そんなだからレナちゃんクラスの友達できないんだよ!」と遠慮なくレナの地雷を踏みぬいてしまいますし、ももこも、レナのシリアスな気持ちをうまくくみ取れず、ちぐはぐな励まし方をしてしまいます。そしていろはも、そんな3人の応酬にぎこちなく戸惑うばかりです。
まさに「不器用、ぎこちないさま」=≪gauche≫ です。
これがまず一つ、ファストフード店が "GAUCHE BURGER" と名付けられた理由だと言えるでしょう。
5. ゴーシュ=レナ、カッコウ=かえでという当て読み
ただそれだけだと、『セロ弾きのゴーシュ』はあんまり関係ないわけです。 "GAUCHE BURGER" の "GAUCHE" はフランス語の ≪gauche≫ からとったんだよね、で終わりなわけです。
しかしさらに深読みすると、ゴーシュ=レナ、カッコウ=かえで といういわゆる「当て読み」ができるのではないかとも考えられるのです。
つまり、『セロ弾きのゴーシュ』で、ゴーシュとカッコウが初めは仲たがいをしても最後にはゴーシュが改心して謝ったように、『マギレコ』でもレナとかえではここでは仲たがいしてしまいますが、最後には仲直りする(あるいはレナが改心する)ということを暗示しているのではないでしょうか?
もしそこまで織り込んでいるのだとしたら、このファストフード店に "GAUCHE BURGER" と名付けようと考えた人は相当なやり手なのではないでしょうか。
『銀河鉄道の夜』の件もそうなのですが、『マギレコ』に宮沢賢治を投入しようと考えて、しかもそれがうまく溶け込んでいるのは、かなりすごいことなのではないかと考えています。
これが誰の仕業なのか、監督構成のイヌカレーのお二人なのか、副監督さんなのか、脚本協力の方なのか、それはわかりませんが、ともかくこういうちょっとした細工というのはうまくはまるとそれだけで深みが出てくるので素晴らしいと思います。
Ⅲ. to be continued...
今回は『マギレコ』第2話「それが絶好証明書」がアニメーションとして優れている理由を、とくにファストフード店に関することから論述しました。
当初はこの一記事で終わらせる予定だったのですが、書いていたら膨大な量になってしまって、やむを得ずパートを分けることにしました(ちなみにそれゆえに冒頭も、一記事用の冒頭文になってしまっていて、いろはと3人が初めて会ったところについてはまだ何もかけていません……)。
自分のメモでは、少なくともこれの5倍以上は語るところがあるので、もう少し記事を書く予定です……。
とにかく、『マギレコ』2話が総合芸術であるところのアニメーションとして、たいへん素晴らしいと感じたのでこうして筆を執った次第です。
もちろん、あくまで一視聴者としての見方ですので、あるいは製作者の意図などとは齟齬はあるかもしれませんが、視聴者なりの見方として受け入れていただければ幸いです。
次はいつになるかわかりませんが、まだまだたくさん書きたいことがあるので、執筆が出来次第記事を上げていきたいと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました!
<参考文献>
TVアニメ「マギアレコード 魔法少女まどか☆マギカ外伝」公式サイト
宮沢賢治 セロ弾きのゴーシュ(青空文庫)