全オタクに見てほしい
『ダーリン・イン・ザ・フランキス』*1ノンクレジットED*2を見て、私はこう思いました。
「全オタクに見てほしい……」と
これこそすべてのオタクに捧げるべきEDだと、いたく感動したので、僭越ながらも「考察」と銘打って公開します。
結論から言えば、ダリフラEDは『ダリフラ』の世界を象徴していると言えます。
以下ではこの結論までの道筋を描くとともに、一歩踏み込んだ「読み」を披露してみたいと思います。
と思っていたのですが、当初の予定よりかなり長くなりそうなことと、タイムリミットがあることをふまえ、前後編にわけて投稿することにしました。
<前編>では、ダリフラEDが「『ダリフラ』の世界を象徴している」という結論を丁寧に導出してみたいと思います。
以下ではダリフラEDを見ている前提で話を展開しますので、まだ見ていないという方は見てから読んでいただけると幸いです。
考察<前編>
3つのモチーフ
さて、件のダリフラのEDでは、作中の世界観とは異なり、現実世界の学生服を着たヒロインたちが描かれています。
これに対して、「なぜ制服を着せたのか?」、「世界観と合わないのではないか」、「ただのスタッフの趣味では?」という意見が散見されます。
しかしこれは面白みに欠ける意見ではないでしょうか。
オタクたるもの、その「世界観の違い」にこそ目を向け、そこに考察を加えるべきではないでしょうか?
ここではむしろ「世界観の違い」に注目して考察していきたいと思います。
そこで重要になるのが3つのモチーフです。
歌詞を書き出せばわかるのですが、歌詞に書かれているのはズバリ「『学校』というある種の檻に閉じ込められ、『自由』を奪われた生徒の『葛藤』」です。
EDで表現されているのは、学校に通う生徒の世界観なのです。
ここに私たちは3つのモチーフを読み取ることができます。
そのモチーフとは、「学校・制服」と「葛藤」、そして「自由」です。
以下ではこの3つのモチーフを手がかりにして、ダリフラEDを読み解いていきたいと思います。
①「学校・制服」
まず読み取れるのは、「学校・生徒」というモチーフです。
歌詞を見てみましょう。
「教室の窓ごしに ぼんやりと空に問う」
「教科書の余白に描いた理想のボクは」
「スカートの丈さえ 決められた長さで」
(XX:me『トリカゴ』より引用、歌詞 : 杉山勝彦)
「教室」、「教科書」、「スカートの丈」、言うまでもなく連想されるのは「学校」です。
とくに最後の一節は、校則によりスカート丈の限度が定められていることを連想させます。
このような「学校」が想起される歌詞、そしてEDで描かれていたヒロインたちの制服姿によって、ここで描かれているのは「学校・生徒」というモチーフなのだということは理解していただけると思います。
②「葛藤」
次に見受けられるのモチーフが「葛藤」です。
もう一度歌詞を見てみましょう。
「何のため ボクは生きているの? 分かんないよ」
「知りたいと思わないことばかり学ばされ」
「自分の言葉さえ 失くしていた」
「やりたいこともできずに ボクはどこにいるの?」
(XX:me『トリカゴ』より引用、歌詞 : 杉山勝彦)
このような自分の存在に対する疑問や、「自分探し」の悩みというのは思春期によく見受けられる心の「葛藤」です。*3
どうやらこの歌詞の「僕」*4という生徒は、なにかしらの「葛藤」、それも思春期にありがちな「葛藤」を抱えているということがわかります。
このことからも、ここで描かれているのは「生徒」なのだという裏付けができます。
しかしそれよりも、この「葛藤」は「自由」というモチーフと深くかかわってきます。
③「自由」
最後に、すべてをつなげるカギとなるのが「自由」というモチーフです。
再々度歌詞を見ます。
「知りたいと思わないことばかり学ばされ」
「スカートの丈さえ 決められた長さで」
「理想のボクは 大人たちの言いなりじゃない 飛ぶ鳥のような自由があって」
(XX:me『トリカゴ』より引用、歌詞 : 杉山勝彦)
ここから、この歌詞の中の「生徒」は、大人たちに支配・管理され、「自由」を奪われているということが読み取れます。
ここに明確な『ダーリン・イン・ザ・フランキス』との類似(アナロジー)が見受けられます。
『ダリフラ』世界における「コドモ」も、「オトナ」たちに支配・管理され、「自由」を奪われています。
『ダリフラ』の世界では、「コドモ」は「オトナ」に支配・管理され、「コードナンバー」で呼ばれています。*5
そして特に「ヒロ」や「イチゴ」などの主要人物の「コドモ」は、「ミストルティン」、通称「トリカゴ」と呼ばれる区画に閉じ込められ、「パラサイト」として育成させられているのでした。
『ダリフラ』の世界の象徴
話を整理しましょう。
ダリフラEDの世界では「制服」を着た「学校」の「生徒」たちが、大人たちに支配・管理され、「自由」を奪われて、「葛藤」を抱えています。
対して『ダリフラ』の世界では、「コドモ」は「オトナ」たちに支配・管理され、「ヒロ」や「イチゴ」たちは「トリカゴ」に閉じ込められて、外の世界へ飛び立つ「自由」を奪われています。
これで一目瞭然でしょう。
ダリフラEDは、「学校」という「トリカゴ」に閉じ込められ、「自由」を奪われた「生徒」をあえて描くことで、むしろ『ダリフラ』の世界観を象徴していたのです。
だから、「なぜ制服を着せたのか?」と問われれば、「『ダリフラ』の世界観を象徴するためだ」、と答えることができるでしょう。
そして後編へ……
以上で、ダリフラEDは『ダリフラ』の世界を象徴しているのだ、ということをわかっていただけたと思います。
しかしダリフラEDの魅力はこれだけにとどまりません。
ここまで読んでみて、「こんなものよく見れば(聞けば)誰だってわかる話だ」とおっしゃる方もいるでしょう。
ごもっともです。
たしかに少しでも理解のある方からすれば、こんなことは言われなくても瞬時にわかることかもしれません。
しかしそんな方々にはぜひ<後編>にお付き合いいただきたいです。
<後編>では「杉山勝彦」*6、「米山舞」*7、「多人称の<僕>」、「比翼の鳥」、「実写の挿入」、「ゼロツーの葛藤」、「『ダリフラ』世界の展開とのリンク」、「走るED」、「アスペクト比のスイッチ」といった要素から、ダリフラEDの魅力を語っていきたいと思います。
例えば、3つのモチーフに挙げたもののうち「葛藤」だけは『ダリフラ』の世界でまだ明確に表現されてはいないのですが……
などと書いているときりがないので。
今はひとまず、この<前編>でお許しください。
<後編↓>
<ダリフラ考察まとめはこちら↓>
*1:以下「ダリフラ」
*2:ここではエンディング『トリカゴ』を指す
ノンクレジットバージョンは期間限定公開
*3:【医師監修】思春期・反抗期の子供が抱えがちな悩みと葛藤 | ヘルスケア大学参照
*4:必ずしも「1人」の人間を指すわけではない
詳しくは<後編>で
*5: KEYWORD | TVアニメ「ダーリン・イン・ザ・フランキス」公式サイト参照
*6:敬称略
*7:敬称略