Ⅰ. 「つながりたい」という欲望 ――震災を経て――
『さらざんまい』の監督である幾原邦彦氏(以下「幾原監督」)は、『読売新聞』の記事で以下のように述べています。
「阪神大震災と東日本大震災、その後も続いた地域災害を経て、僕らは損なわれる物質の無常を知った。若い人は、モノへの欲望の代わりに、『つながりたい』という欲望があるんじゃないか」
(石田汗太「生きることは欲望を持つこと」『読売新聞』2019年 5月20日夕刊 , 8面)
あるいは雑誌『an・an』では、こう述べています。
これまで生きてるってことは物質で証明できたんですよ。服とか、車とか、家とかでね。でも大震災があって、みんな命って頼りないものなんだと実感したと思う。あの時、物質の時代は終わったんですよ。それでも生きるってことを確認したい。その確認するための何かを探すことが僕の欲望ですね。きっとそこにはつながりも、友情も、愛もあると思うから。
(尹 秀姫「さらざんまい anan SPECIAL」『an・an』No.2152(2019年5月29日号) p99)
それまであった「物質」という拠り所が、震災(災害)によってはかないものだと意識され、人々(特に「若い人」)は「つながり」を求めるようになった、幾原監督は各所でそう分析しています。
これはなんとなくわかる話かもしれません。
震災時のTwitterを通じた救助活動、あるいはデマの拡散などの悪用は記憶に新しいし、震災直後のLINEサービスの開始や各種SNSの台頭は、「つながり」への欲動を物語っているようにも思えます。
しかし時代は進み、「LINEいじめ」や「SNS疲れ」など、過剰すぎる「つながり」に問題が生じてきたり、あるいはTwitterに投稿された「不適切動画」や「インスタ映え」に関してトラブルが発生したりと、私たちの身の回りの「つながり」の問題はさらに複雑化してきています。
「つながり」が複雑化するこのような現状で、果たして幾原監督は、『さらざんまい』は、私たちにどのようなメッセージを伝えようとしているのでしょう?
本記事では、『さらざんまい』のメッセージを受け取るためにも、今一度「つながり」の問題を確認していきたいと思います。
その際とくに、幾原監督も言及している東日本大震災を起点にして、見直していきたいと思います。
はたして私たちの周りの「つながり」はどのように変遷し、どのような状態になっているのでしょうか?
- Ⅰ. 「つながりたい」という欲望 ――震災を経て――
- Ⅱ. つながりたいけど、つながらない ――震災直後――
- Ⅲ. つながりたいから、つなげよう ――LINEサービスの開始――
- Ⅳ. つながりたいけど、うっとおしい ――LINEの問題――
- Ⅴ. つながりたいし、みとめられたい ――承認の問題――
- Ⅵ. つながりたいけど、どがすぎる ――承認をめぐる病――
Ⅱ. つながりたいけど、つながらない ――震災直後――
未曾有の震災が起こったあの日、つながりたいけどつながらないという状況の中で活躍したのが "Twitter" をはじめとするSNSでした。
"Twitter" を通じた救助要請や安否確認、現地の「生の声」の伝達、過去の震災の教訓に照らした震災後の身の振り方など、SNSというインスタントな「つながり」は、即時的な情報交換を可能にし、役に立つ形で有効活用されました。
しかし他方では、その拡散力と即時性が悪用され、デマや悪質な風評が拡散されるという事態も起こりました。*1
そのように、震災ではSNSの光と闇が一挙にあらわになり、それが後の「つながり」の変化にも影響を及ぼしたと考えられます。
さらに震災では、幾原監督の言うような「物」との「つながり」の消失はもちろんのこと、身近な命が失われるというこころの「つながり」の喪失も起こりました。
「つながり」の喪失は、人々を深く傷つけるとともに、直接的に人々の「つながり」を変容させたと言えます。
そうした中で、「がんばろう日本」、「がんばろう東北」という声は大きくなり、2011年の「今年の漢字」には「絆」という「つながり」を象徴する漢字が選ばれるに至りました。*2
このように、東日本大震災は特にSNSとの関係を変容させ、「つながり」について改めて考える大きなきっかけとなったと言えます
そして震災による「つながり」への反省は、現在で最も影響力のある、ある巨大なサービスへと結実することになります。
そのサービスこそが、 "LINE" です。
Ⅲ. つながりたいから、つなげよう ――LINEサービスの開始――
今でこそ忘れてしまっている人も少なくないと思うのですが、LINEはもともと、震災への反省をふんだんに生かす形で、震災の3ヶ月後の2011年6月に開始されたサービスです。*3
とくに「既読機能」は、「相手が緊急事態で返信すらできなくてもメッセージを読んだことが伝わるように、と付けた」機能です。*4
今でこそ、スマートフォンを持っている人ならほとんどの人は利用しているようなサービスですが、 そんなLINEですら、東日本大震災を起点にした「つながり」の変化の一様相だったと言うことができるでしょう。
このように、震災への反省も生かして開始されたLINEでしたが、その機能は、良くも悪くも人々の「つながり」に大きな変化を与えることになりました。
すなわち、災害に役に立つようにと開発された「既読機能」や、LINEが可能にした24時間の接続状態、即時的なメッセージのやり取りといった「便利」な特徴は、だからこそ同時に、人々の「つながり」に新たな問題を生じさせることになったのでした。
Ⅳ. つながりたいけど、うっとおしい ――LINEの問題――
「既読つけちゃったから返事しなきゃ!」という経験は、多くの人にあるのではないでしょうか?
見ただけで安否がわかる便利な機能であったはずの「既読機能」は、同時に、即時的な返信を要求するような義務感を感じさせる機能にもなってしまっています。
他にも、LINEを代表する一機能である「グループ」機能は、そこでの会話が現実の人間関係にも影響してきたり、「退会」させられることがいじめの一形態となったりと、様々なトラブルのきっかけとなっています。*5
とくに、若い中高生にとっては、LINEなどのネット世界での人間関係は、リアルの人間関係とメビウスの輪のように表裏の境目もないくらいつながっており、人間関係を円滑に保つための必要不可欠なツールとなっていると言えるでしょう。*6
では、なぜそれほどまでに人々(とくに若い人)は「つながり」を求めるのでしょう?
そこにはもちろん、幾原監督の言う「つながりたい」という欲望もありますが、これには承認の問題が大きく関わってくると考えられます。
Ⅴ. つながりたいし、みとめられたい ――承認の問題――
人々(とくに若い人)がなぜ「つながり」を求めるのか、その問題を語る上で重要になってくるのが承認欲求です。
いまや「つながり」と承認欲求とは、相互的に作用するような複雑な関係を結んでいると考えられます。
つまり、簡単に言えば「つながり」たいから「承認」を求めるし、「承認」してもらいたいから「つながり」を求めるというよう状態があるということです。
例えば、インスタの投稿でより多くの「承認」を得るためには、より多くの人にフォローしてもらって「つながる」ことが必要になるし、より多くのフォロワーを得るためにはより多くの人に「承認」されやすいような投稿をしなければなりません。
LINEに関しても、他者からより多くの承認を得たいからこそ、関係を保持する為にLINEを頻繁にするわけですし、たくさんの「友達」を求めるわけです。
しかしこのような承認欲求は、ときに肥大化し、「承認をめぐる病」とも言えるような事態を引き起こします。
Ⅵ. つながりたいけど、どがすぎる ――承認をめぐる病――
コンビニのアイス用冷凍庫に入る、売り物のおでんを口に入れて出す、ゴミ箱に捨てた魚の切り身をまな板に戻す……SNSにアップされる、いわゆる「不適切動画」は後を絶ちません。*7
そのような「不適切動画」をアップする動機の一つが、少し過激なことをして注目を集めたいという行き過ぎた承認欲求だと考えられます。*8
このような度を越した承認欲求が明確に表れているツールに、例えば "Instagram" があります。
もはや人口に膾炙した「インスタ映え」という言葉ないし行為は、インスタグラムに投稿するために特定の場所に行ったり、特定のものを買ったりするという逆説的な現象を引き起こしています。
つまりここでは「物」自体を目的としているわけではなく、「承認」を得るために、人々と「つながる」ために「物」を消費するという「物」と「つながり」の価値の反転が起こっているのです。
これこそまさに、幾原監督の言うような「若い人は、モノへの欲望の代わりに、『つながりたい』という欲望がある」ということの象徴的な例と言えるでしょう。
あるいは握手券付きのCDなども「物」の代わりに「つながり」を求めている例だと言えます。
アイドルのファンたちはもはやCDという「物」を求めているのではなく、アイドルと握手したり、チェキをとったりして「つながりたい」からCDという「物」を消費するのです。
以上のように、LINEをはじめとするSNSは様々な「つながり」を生むと同時に、度が過ぎた承認欲求がさらされる場となり、過剰すぎる接続状態を生むことにもなりました。
そのような流れの中で、今度は半ば必然的に「つながり」を切断しようというような動きも出てきました。
<後編>では、そのような「つながり」の切断、そしてつながりたいけどつながりたくないというアンヴィバレントな欲望について確認し、『さらざんまい』ではどのような欲望が描かれるのかという問題の核心に迫っていきたいと思います。
<後編>
*1:災害時のSNSの有効活用、あるいは悪用に関しては小林啓倫『災害とソーシャルメディア 混乱、そして再生へと導く人々の「つながり」』(マイコミ新書,2011)を参照。またネット上で参照できる文献として、震災で人命を救うスマホとSNSの巨大潜在力 | インターネット、正しく怖がろう! | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準 , https://www.nhk.or.jp/bunken/summary/research/report/2011_07/20110702.pdfなどを挙げておきます。
*2:2011年 「今年の漢字」 | 事業・活動情報 | 公益財団法人 日本漢字能力検定協会参照
*3:災害時に役立つLINEの活用方法 : LINE公式ブログ参照
*4:災害時に役立つLINEの活用方法 : LINE公式ブログより引用
*5:例えば 巧妙なSNSイジメの体験談。我が子を被害者にも加害者にもさせないために(LIMO) - Yahoo!ニュース , LINEのグループを抜けたらママ友から仲間外れにされた?余計なトラブルを引き起こさないコツとは | ママスタセレクト , 「生きているだけで苦痛」=高2自殺、いじめが原因-福岡:時事ドットコムなどを参照
*6:土井隆義『つながりを煽られる子どもたち ネット依存といじめ問題を考える』(岩波ブックレット,2014) 参照。ただしもちろん、すべての人間関係のトラブルがLINEを原因としているわけでは全くないし、後述するように、「LINE離れ」といわれるように、LINEを使ったコミュニケーションも変化し、あるいはLINEでとられていたコミュニケーションが他のSNS上でのコミュニケーションに取って代わられてきている事例もあるようです。例えば女子高生はLINE離れしてる?(マイナビニュース) - Yahoo!ニュース などを参照
*7:例えば“バイトテロ”が若気の至りじゃ済まない理由…ネットの「忘れられる権利」について弁護士に聞いた - FNN.jpプライムオンライン , 不適切動画を投稿する若者たち 受け身の承認欲求の「呪い」 - ライブドアニュースなどを参照