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【ピンドラ 考察】ゼロから見直す『輪るピングドラム』⑦物語にできることは ――「地下」・「状況」・「コミットメント」――【7~9話】

はじめに 「地下」という場所

前回から引き続き、『ピンドラ』と村上春樹(作品)との関連について、今回はとりわけ「地下」というテーマを中心に据え、考察する。

村上春樹は「地下」について以下のように述べている。

もうひとつ、それらの出来事〔阪神淡路大震災と地下鉄サリン事件〕は、言うなれば地下から、我々の足元深くから、やってきたものだ。地震は地下のマグマ活動によって、またそれがもたらす地層のずれによって起こる。すべては我々の知らないあいだに、地下の暗い場所で時間をかけてひっそりと予定され、決定されていく。そしてオウム真理教は人々の意識のアンダーグラウンド(下部)を把握し、組織することによって勢力を伸ばしてきた。麻原は言うなれば、我々の住む社会の下に、妄想によって生み出された地下の帝国のようなものを築いてきたのだ。そして教団が襲撃の場として選んだのは、まさに地下鉄の車両だった。そのような執拗なまでの「地下性」は、僕にはただの偶然の一致とは思えなかった。それらは我々の社会が内包していた時限爆弾であり、それらはほとんど同時刻に設定されていたのだ。

(村上春樹「解題」『村上春樹全作品1990~2000③ 短編集Ⅱ』*1より。強調筆者)

他方で、『ピンドラ』の監督である幾原邦彦は「地下」に関して以下のように述べている。

――なるほど。95年は、文化人で発言する人は多かったですが、そんなに語られてこなかった気がします。

幾原:気づかないうちに世界が二極化していたんだと思う。この世界に乗れない人たちの感情が無視されてきたというか……。そのことが皮膚の下の地下みたいな場所でマグマのように、ふつふつと煮えて溜まっていたんじゃないかな。みんなが、それを見てみぬふりしちゃった、ということはあったと思う。

(「STAFF INTERVIEW」『「輪るピングドラム」公式完全ガイドブック 生存戦略のすべて』*2より。強調筆者)

村上春樹と幾原邦彦がともに「地下」に着目し、そこに何らかのイメージを託しているのは興味深い。

しかしそれも必然であるように思われる。というのは、二人の作家がどちらも地下鉄サリン事件を引き受けて作品を制作したからだ。村上は地下鉄サリン事件(と阪神淡路大震災)に関して連作短編を書き上げたし、幾原は地下鉄サリン事件をモチーフに『ピンドラ』をつくった。

そこで今回は、村上春樹と幾原邦彦の二人が地下鉄サリン事件という現実の事件をどのように引き受けたのかということについて、その概略をたどりながら比較考察する。

村上の事件受容を参照することで、幾原が『ピンドラ』における事件への「コミットメント」の仕方の独自性が浮き彫りになり、さらには物語というもの全般の意義も明らかになるように思うのだ。

 

 

 

1 村上春樹の場合

1.1 ディタッチメントからコミットメントへ

まず、村上春樹は地下鉄サリン事件をどのように引き受けたのか。

あまりにも浸透した言葉として、「ディタッチメントからコミットメントへ」というものがある。これは村上のサリン事件前後の姿勢の転換をあらわしたキャッチフレーズだ。

このフレーズのもとになっているのは、河合隼雄との対談における村上の以下の発言である。

それと、コミットメント(関わり)ということについて最近よく考えるんです。たとえば、小説を書くときでも、コミットメントということがぼくにとってはものすごく大事になってきた。以前はディタッチメント(関わりのなさ)というのがぼくのとっては大事なことだったんですが。

(村上春樹「村上春樹、河合隼雄に会いにいく」より*3

この対談は地下鉄サリン事件(95年3月)後の95年11月に行われたものであるが、その言葉の通り、その後、村上は現実的な状況に「コミットメント」していく。サリン事件の被害者たちに実際にインタビューをし、それを『アンダーグラウンド』(97年刊行)という一冊の著作にまとめたのである。

『アンダーグラウンド』はいわゆる「ノンフィクション」にカテゴライズされるような作品だが*4、村上はその後「フィクション」においても、『ピンドラ』にも登場した「かえるくん、東京を救う」を含む連作「地震のあとで」を発表し、「地震」という現実に「コミットメント」した物語を描く*5

その意味において、村上はフィクション(小説)においても「ディタッチメントからコミットメントへ」と舵を切ったと見ることができる。

 

1.2 「コミットメント」批判

しかしながら当然、そういったある種の「コミットメント」(「ノンフィクション」にせよ「フィクション」にせよ)に対して疑義を呈するような批判もある。

たとえば、大塚英志は「村上は天災である神戸震災とサリン事件を同列に置き、問題を危機管理システムへの批判に矮小化することで、一方の「暴力」の主体であるオウム=麻原の存在を消してしまっている」とし、「一種の恐怖を描く方法論として援用されていたはずのホラー小説的な枠組みのなかに、オウムの「暴力」は回収され、麻原は不問に付されてしまう」ことを批判している*6

あるいは、川村湊は地下鉄サリン事件と『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』に登場する「やみくろ」を結びつける村上の態度について、「オウム真理教の事件や、ましてや阪神大震災を「心」が生み出したものとして、唯心論的に解決しようとすることは、まさに外部の現実の「悪」を見ようとせず、その現実から目をそらしてしまう箱庭療法的な対処法(治療法)にしかすぎない」として、「『神の子どもたちはみな踊る』が、寓話的、童話的、ファンタジー的な対処療法しかそれらの「悪」に対してとれなかったのは、「やみくろ」といったレベルの想像力によってそれらに対応しようとしたからである」と断じている*7

2つの批判は、いずれも村上が現実的な問題を抽象化し、さらにはそれを「寓話的、童話的」に昇華してしまったことにかかっているように思われる。

村上の態度が現実に対する具体的な「コミットメント」などではなく、むしろ問題から「ディタッチメント」していくような在り方だとして批判されているのである。

 

1.3 「コミットメント」の誤配

しかしながら、上記の批判は「ノンフィクション」作家村上に対する批判としては有効であったとしても、「小説家」村上に対する批判としては的を射ていないように思われる。

というのは、村上はそもそも初めから、何か現実的な問題に対して責任をとるような仕方での「コミットメント」を想定しているわけではないからである。

件の『神の子どもたちはみな踊る』にしても、村上は阪神淡路大震災やサリン事件にインスピレーションは受けてはいるものの、それを「直接には取り扱わないこと」、そしてその影響を「できるだけ象徴的なかたちで描くこと」が最初から心がけられていた*8

それで今回はフィクションの形式を使おうと決めた。それも短編小説の連作がいい。そして地震という題材を直接には取り扱わないことにしよう。物語の場所も神戸から遠く離れたところに設定しよう。その地震がもたらしたものを、できるだけ象徴的なかたちで描くようにしよう。つまりはその出来事の本質を、様々な「べつのもの」に託して語るのだ。僕はそう決心した。

(村上春樹「解題」『村上春樹全作品1990~2000③ 短編集Ⅱ』より*9。太字筆者)

要諦すれば、以上のような批判の応酬の原因は、「コミットメント」という言葉が誤解を生むような表現だったことにあるように思われる。

つまり、「コミットメント」というと、何か現実の状況に対するアクチュアルなアクションを起こすような感じを受けとれ──まさにそのような観点から大塚や川村が上記のような批判していたわけだが──、上述の引用に明らかなように、村上の「コミットメント」はそのように現実を実際的に引き受けるというような意味合いではない。

では村上の言う「コミットメント」とはいったい何なのだろうか。

 

1.4 村上春樹の「コミットメント」

村上は「コミットメント」について以下のように言っている。

コミットメントというのは何かと言うと、人と人との関わり合いだと思うのだけれど、これまでにあるような、「あなたの言っていることはわかるわかる、じゃ、手をつなごう」というのではなくて、「井戸」を掘って掘って掘っていくと、そこまでまったくつながるはずのない壁を越えてつながる、というコミットメントのありように、ぼくは非常に惹かれたのだと思うのです。

(村上春樹「村上春樹、河合隼雄に会いにいく」より*10。強調

ここに「井戸」という言葉が登場していることに注目されたい。なぜなら「井戸」は「地下」につながる表象だからだ。

地下鉄サリン事件に私が興味を持ったことには、もうひとつ別の個人的背景がある。それはこの本のタイトルにもあるように、「地下(アンダーグラウンド)」という場所の介在である。地下の世界は私にとって、一貫して重要な小説のモチーフであり舞台であった。たとえば井戸や地下道、洞穴、地底の川、暗渠、地下鉄といったものは、いつも(小説家としての、あるいは個人としての)私の心を強くひきつけた。

(村上春樹「目じるしのない悪夢」より。強調筆者*11

こうして問題は再び「地下」へと行き着く。

 

1.5 「地下」からの「コミットメント」

では村上春樹にとって「地下」(井戸や地下道、洞穴、地底の川、暗渠、地下鉄といった表象を含めて)とは何だったか。

──そもそも「地下」は地下鉄サリン事件が起こる以前から村上作品に頻出する表象であるのだが──簡略化して言ってしまえば、村上作品における「地下」とは、異世界への通路、つまり他者とコミュニケートする経路であり、あるいは、その奥底で他者の無意識ともつながりうるような無意識の場であった*12

つまり、村上の言う「コミットメント」とは、現実問題へのアクチュアルなアクションなどではなく、人々の心の奥底に訴えかけ、心の壁を越境していくような、(物質的というよりは)精神的な関わり合い方なのである。

 

1.6 物語からの「コミットメント」

以上のことから、村上が地下鉄サリン事件(そして阪神淡路大震災)という現実の事件をどのように引き受けたのかが明らかになる。

村上は現実の事件に対して、現実のレベルでアクションを起こすのではなく、人々の心の奥底に訴えかけ、心の壁を越境していくような「コミットメント」を志す。そのために、現実の事件から得たエッセンスをあえて「寓話的、童話的」にして、それをより多くの人に訴えかけられるような「物語」へと昇華させたのである

それはひどく当たり前のことのようにも思うが、しかしそれこそが「物語」を通して誰か/何かに訴えかけられる作家だからこそできることだと言えよう。

 

1.7 「コミットメント」の結果

そうなるともちろん、その(精神的な)「コミットメント」が成功しているのか否かということも気になるところである。

たとえば、中元さおりは『神の子どもたちはみな踊る』がアメリカでは「9・11」の体験と関連づけられて読まれ、「カタストロフからの一種の癒し」となっていることを取り上げている。

その事実を受けて中元は、「読者はそれぞれの個人的な体験や内面に重ねながら読みすすむのであって、必ずしもその作品の現実的な背景は参照されるわけではない(つまりこの場合、アメリカの人々は必ずしも地下鉄サリン事件を参照しているわけではない)。むしろ、村上が実際の出来事を「象徴的なかたち」で書こうとしたことが有効な方法だったといえよう」と評価している*13

村上の作家としての「コミットメント」は、ところによっては成功していると言えよう。

 

 

 

2 幾原邦彦の場合

2.1 「距離感」をとるという手法

さて、それでは幾原邦彦の場合はどうだろうか。幾原は地下鉄サリン事件をどのように引き受けたのか。

「95年に起きた一連の事件を思わせる表現」について幾原は、「ものすごく神経を使いました」とし、それらを「現実離れしたファンタジーでまとめてしまうのは、それはそれで違うと思ったし、どのような距離感で描くべきなのか最後まで迷いました」と述べている*14

実際のところ、『ピンドラ』では地下鉄サリン事件を連想させる事物(「95」という数字や「地下鉄」で起こった事件というモチーフ等)は多数登場するものの、「サリン」や「オウム」などの具体名を出すことは避け、さらに、事件の実行犯たち自体ではなく、実行犯の "こどもたち" を描くことによって、事件と絶妙な「距離感」を保っている。

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サリン事件を想起する「95」と地下鉄(『輪るピングドラム』第24駅、ピングループ・MBS、2011年)

まずこの「距離感」というものを確認しておきたかった。というのは、この「距離感」は、村上春樹が『神の子どもたちはみな踊る』においてとった「直接には取り扱わない」、「できるだけ象徴的なかたちで描く」といった手法に近いものがあるからだ。

ただし幾原の場合は、「現実離れしたファンタジー」をより強固に拒絶することによって、村上よりはより「状況」に近い「距離感」であるように思われる。

比較するのは非常に難しいが、1995年1月(阪神淡路大震災)と3月(サリン事件)のあいだの2月の関西や東京以外の場所を描いて時間的にも空間的にも隔たった『神の子どもたちはみな踊る』よりも、サリン事件の後の世代を描いているものの、場所は同じくし、それに関するモチーフも登場させる『ピンドラ』の方がどちらかといえば「状況」に近いとも考えられる。

 

2.2 「見ないふり」/「見てみぬふり」

つづけて幾原は、「95年に起きた一連の事件」を、あえて踏み込んでテーマに選んだ理由について以下のように述べている。

ひとつは、95年の事件について言及している作品はほとんどないということ。もちろん、いまだに現在進行形の部分がありますし、単純にテーマとして扱うにはデリケートでもあります。ただ、そこには僕らにしかわからないディテールがあって、[……]90年代を取り巻いていた空気について、僕は肌で感じて知っている。これを表現できるのは、僕らしかいない。同時に、95年の事件に関して同世代的な罪の意識を感じていたこともあります。その罪に対して懺悔したい思いがあった。たかがアニメとはいえ、なんで誰もここに近づかないのか? そうやって見ないふりを続けることで、今の若い人にどんな影響があるのかという関心があったんです。

(「SPECIAL INTERVIEW」『「輪るピングドラム」公式完全ガイドブック 生存戦略のすべて』より*15。太字筆者。)

ここに書かれていることが、まさに最初に引用した幾原の「地下」についての言葉につながる。繰り返せば幾原は、「この世界に乗れない人たちの感情が無視されてきた」ということが「皮膚の下の地下みたいな場所でマグマのように、ふつふつと煮えて溜まって」いて、「みんなが、それを見てみぬふりしちゃった」と言っていたのだった。

すなわち、幾原はここである種の危機感を抱いていることがわかる。つまり、95年に目を背けたことについて2011年においてもあいかわらず「見ないふり」/「見てみぬふり」をつづけてしまっているのではないかと考えているのである。

その95年の事件を清算し切れていないという思いが「罪の意識」として残っているのではあるまいか。あるいは幾原は、2011年でも同様に「この世界に乗れない人たちの感情」が「皮膚の下の地下みたいな場所でマグマのように、ふつふつと煮えて溜まって」いる情景を思い描いていたのかもしれない。

というよりその「罪の意識」というのは作中の冠葉・晶馬・陽毬の抱えた「罪の意識」と同様のものであるように思われる。これについては稿を改めて検討したいが*16、いずれにしても幾原はそのような危機意識をもって、いわば村上よりは現実問題を正面からとらえて「コミットメント」しようとしていた。

ところが、2011年に事態は急変する。

 

2.3 「地下」からの新たなる暴力 ——東日本大震災——

2011年3月11日、東日本大震災が起こる。

これにより、『ピンドラ』という作品も大きな変容を被ったと言う。

ところが、そこに3・11の震災が起こった。僕だけじゃなく、ものを作っている人はすべからく動揺したと思う。それまでものすごい使命に燃えていた部分が、一気に冷めていく感覚。この現実を前にして、薄っぺらくものをつくるタイミングなのかって。[…]そのときです、もうひとつのコピーが出てきたのは。「僕の愛も、君の罰も、すべて分けあうんだ」。[…]こんな時期にこの作品をやる意味があるとしたら、なんだろう?という悩みを彼女〔上記のコピーを書いた高橋慶〕に話したときに、「分けあう」という行為が物語の重要なディテールとしてあり、それは現実ともリンクするのではないか?と指摘してくれたんです。

(「SPECIAL INTERVIEW」『「輪るピングドラム」公式完全ガイドブック 生存戦略のすべて』より*17

この「分けあう」というテーマが入ることにより、作品は一変する。全話を見通した視聴者には明らかだが、まさにそのコピー通りに「僕の愛も、君の罰も、すべて分けあうんだ」という分有の思想そのものが『ピンドラ』の最終的なメッセージとなった*18

いずれにせよ言えるのは、幾原は「状況」というものに非常につよく影響されて作品をつくっているということだ。たとえ東日本大震災が起こらなくとも、「見てみぬふり」という「状況」に危機感を抱ていたし、実際に東日本大震災が起こったあとには、その「状況」に応じて作品を変容させ、最終的にはその「状況」に呼応するコピーが作品全体のメッセージにもなった。

こうして見ると、やはり幾原は村上よりは現実の「状況」に近いところに作品をもってきているように思われる。作品を通じて読者/視聴者に訴えかけたいという思いは、村上と幾原に共通しているものの、あくまで「井戸」を掘り進めて心の奥底でつながることで「状況」を分有しているかは気にしない村上に対して(先のアメリカでの受容の例を思い出してほしい)、幾原の方は、同じ「状況」(たとえば東日本大震災)を分有している者たちに対してなんらかの指針を示そう(「僕の愛も、君の罰も、すべて分けあうんだ」)という意志が強いと考えられる。

 

2.4 幾原邦彦の「コミットメント」——「状況」と呼びかけ――

以上、非常に簡略的にではあるが、幾原が地下鉄サリン事件ということについて見てきた。幾原はある一定の「距離感」をもって地下鉄サリン事件を引き受けるものの、「状況」に応じてほかの要素(東日本大震災)も混ぜ込む形でそれを作品へと昇華した。

前回までに見たように、『ピンドラ』における村上の影響は明らかだが、その「コミットメント」の仕方は異なる。あくまで「井戸」を掘り進める「コミットメント」をする村上に対し、幾原の「コミットメント」は、いわば「状況」に応じた呼びかけになっている。

一言で言えば、幾原は時代性のつよい作家であるということになるだろう。本人もそれは意識しているようであるし、現時点での最新作である『さらざんまい』での動向などを見てもその姿勢は変わらないように思われる*19

ところが10年経ったいま、「時代性がつよい作家」というラベリングに疑問符が浮かぶような、ある「状況」に陥っている。

――作品をつくっている人は、いつも時代とともに歩むんでしょうけれど、幾原さんはとくに意識的だと思います。『ピングドラム』は、それを必要とする人がいた時代に生まれたという気がします。

幾原:どうだろう?ますます物事の消費速度は上がってるって感じじゃない? でも、その速度は僕たちの共感や承認の欲求と比例しているようにも見えるから、仕方ないことかな。だからね、この作品タイトルを3年覚えている人がいたらすごいことだよ。10年は……奇跡だね。もし、見てくれた人たちに「たどり着けた」としたら、それはスタッフの賜物だよ。彼らが現場で現実と対峙してふんばったからじゃないのかな。彼らが僕に「監督」のクレジットをくれたんだと思うよ。

(「STAFF INTERVIEW」『「輪るピングドラム」公式完全ガイドブック 生存戦略のすべて』より*20

果たして「奇跡」は起こった。

あれから10年が経ち、『ピンドラ』は忘れ去られるどころか、大規模なクラウドファンディングに成功し、2021年現在、劇場版の公開が控えている。「時代性」がつよいはずの作品が、にもかかわらず「時代」を超えて愛されているのである

この逆説的な「状況」をどう捉えたらよいのだろうか。

 

 

 

3 Re : Cycle 

3.1 「時代」を超えて愛されるということ

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先日発表された劇場版のタイトルロゴ

1995年の罪を懺悔し、2011年の「状況」に応答したはずの『ピンドラ』が、それでもなお人々に愛されつづけている。これをどう捉えたらよいのか。

それをあえて(ある意味で)悪く受け取れば、当時の「状況」がいまも解決されていないという見方ができる。1995年の罪も、2011年の困難も、いまなお残り続けていて、その問題意識が引き継がれているからこそ『ピンドラ』は見続けられていると、そういう考えもできなくはない。

しかし反対に、良く受け取れば、『ピンドラ』が時代性を超えた普遍的な問題を扱っていると見ることもできる。『ピンドラ』は、『神の子どもたちはみな踊る』がアメリカでそれぞれの個人的な体験や内面に重ねながら読まれたように、視聴者それぞれの個人的な体験や内面に重ねながら見られているのかもしれない。

実際どちらが正解なのかは、判断しがたい。それに、新たなる物語が待ち受けているいまでは、それを判断するのは『RE:cycle of the PENGUINDRUM』を見てからでも遅くないだろう*21

 

3.2 物語は無力なのか

たしかに、物語は直接的に現実問題を解決するわけではない。むしろそれはより困難な状況として立ち上がってくることだってある。

たとえば筆者には忘れられない言葉がある。障がいを扱った作品に対して障がい者の方が言っていた以下の言葉がそれだ。

「物語には終わりがあっても、人生には終わりがない」。

この言葉を聞くと、どうしても物語はとても無力に映る。

 

3.3 物語にできることは

では、物語にできることは。

たとえば、物語がなかったら、わたしたちはどのような存在になっていただろうか。

少なくとも『ピンドラ』がなければ、筆者はこうして記事を書くこともなかったし、地下鉄サリン事件や90年代の一連の状況をたどり直すこともなかっただろう。

そうなれば当時の状況など知る由もなく、『アンダーグラウンド』をはじめとする当時の証言を読んで、少なからず胸を打たれる、という経験もなかったかもしれない。

そういう意味では、物語があるおかげで、わたしたちはいまあるようなかたちになっているのかもしれない。

本連作もまだ半分にも満たないし、検討の余地も十分にあるが、それでも、『ピンドラ』という物語がわたしたちを、少なくともわたしを、ここまで導いたとは言えまいか。

──少し、手ぬるいだろうか。

*22

 

【参考文献】

・幾原邦彦『輪るピングドラム』ピングループ・MBS、2011年。

・『「輪るピングドラム」公式完全ガイドブック 生存戦略のすべて』幻冬舎、2012年。

・大塚英志『村上春樹論——サブカルチャーと倫理』若草書房、2006年。

・川村湊「村上春樹をどう読んできたか」『村上春樹をどう読むか』作品社、2006年。

・武井昭也「村上春樹「井戸」再考」『日本文学誌要』第85号、48-60頁、法政大学国文学会、2012年。

・中元さおり「村上春樹「かえるくん、東京を救う」における〈コミットメント〉の行方——「雪かき仕事」と「バトンタッチ」『広島経済大学研究論集』第35巻第4号、17-28頁、2013年。

・松本常彦「地震のあとで――彼女は何を見ていたのか――」『九大日文』第12号、106-121頁、2008年。

・村上春樹『村上春樹全作品1990~2000③ 短編集Ⅱ』講談社、2003年。

・村上春樹『村上春樹全作品1990~2000⑥』講談社、2003年

・村上春樹『村上春樹全作品1990~2000⑦』講談社、2003年。

 

【次回】

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【お知らせ】

本考察が紙の本になりました。内容はネットで見られるものとほぼ同じですが、加筆修正のうえ、「あとがき」を書き下ろしで追加しています。ご興味のある方はぜひ。

『Malus——『輪るピングドラム』考察集』通販ページ

*1:村上春樹『村上春樹全作品1990~2000③ 短編集Ⅱ』「解題」講談社、2003年、270頁。

*2:『「輪るピングドラム」公式完全ガイドブック 生存戦略のすべて』幻冬舎、2012年、131頁。

*3:村上春樹『村上春樹全作品1990~2000⑦』「村上春樹、河合隼雄に会いにいく」講談社、2003年、253頁。強調筆者。

*4:だがそもそも『アンダーグラウンド』は「ノンフィクション」とは言い難いという批判もある。たとえば大塚英志は『アンダーグラウンド』に対する諸批判を要約して、「『アンダーグラウンド』への批判は、何よりも、村上春樹が取材対象と正しく対峙していない、明らかにそれを回避しているという点に尽きるように思う」としている(大塚英志「ノンフィクションと非「暴力」——村上春樹『アンダーグラウンド』を読む」『村上春樹論——サブカルチャーと倫理』若草書房、2006年、39頁)。

*5:そこに含まれた短編は、そのすべてにおいて95年1月の阪神淡路大震災と同年3月のサリン事件が起こる間の「1995年2月に起こった出来事が描かれて」おり、現実と「コミットメント(関わりのある)」するような物語になっている(村上春樹「解題」『村上春樹全作品1990~2000③ 短編集Ⅱ』、268頁)。

*6:大塚英志「ノンフィクションと非「暴力」——村上春樹『アンダーグラウンド』を読む」『村上春樹論——サブカルチャーと倫理』若草書房、2006年、50-51頁。大塚の批判は、人災と天災といういわばまったく異質なものをひとつの「圧倒的な暴力」として一括りにしてしまう危険性を問題としている。村上はそれに関してそもそも「それらを「暴力」という共通項でひとつにくくってしまうことに無理があるのはもちろんよくわかっている」としているが、そこに一つの共通項を見ていることには変わりはない。以下の村上の言葉を参照されたい。「その二つの出来事に共通してある要素をひとつだけあげろと言われれば、それは「圧倒的な暴力」ということになるだろう。もちろんそれぞれの暴力の具体的な成り立ちはまったく異なっている。ひとつは不可避な天災であり、もうひとつは不可避とは言えない<人災=犯罪>だった。それらを「暴力」という共通項でひとつにくくってしまうことに無理があるのはもちろんよくわかっている。/しかしたまたま実際に被害を受けた側からすれば、それらの暴力の襲い掛かり方の唐突さと理不尽さは、自身においても地下鉄サリン事件においても、不思議なくらい似通っている。暴力そのものの出所と質は違っても、それが与えるショックの質はそれほど大きく違わないのだ。サリン事件被害者の話を聞きながら、私はしばしばそのような印象を持った。」(村上春樹「目じるしのない悪夢」『村上春樹全作品1990~2000⑥』講談社、2003年、662-663頁。)

*7:川村湊「村上春樹をどう読んできたか」『村上春樹をどう読むか』作品社、2006年、25頁。「地下鉄サリン事件と『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』に登場する「やみくろ」を結びつける村上の態度」に関しては以下を参照されたい。「『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』には東京の地下の闇の中に生息する「やみくろ」という生き物(もちろん私が思いついた架空の生き物だ)が登場する。[……]地下鉄サリン事件のニュースを耳にしたとき、私は否応なくこの「やみくろ」のことを思い出してしまった。自分が地下鉄の窓の外に見たように感じた「やみくろ」のうす暗い影のことが脳裏にふと浮かんだ。きわめて個人的な恐怖(あるいは妄想)のレベルでいえば、この地下鉄サリン事件が投げかける後味の悪い黒い影は、東京のアンダーグラウンドの闇をとおして、私が自分で作り出した「やみくろ」という生き物(それはもちろん私の意識の目が見出すものだ)とつながっているように感じられる。[……]私が『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』の中で「やみくろ」たちを描くことによって、小説的に表出したかったのは、おそらくは私たちの内にある根元的な「恐怖」のひとつのかたちなのだと思う。私たちの意識のアンダーグラウンドが、あるいは集団記憶としてシンボリックに記憶しているかもしれない、純粋に危険なものたちの姿なのだ。そしてその闇の奥に潜んだ「歪められた」ものたちが、その姿のかりそめの現実を通して、生身の私たちに及ぼすかもしれない意識の波動なのだ」(村上春樹「目じるしのない悪夢」『村上春樹全作品1990~2000⑥』、669-670頁。)

*8:これについて松本常彦は「「神戸の地震」はそれ自体が「大きなテーマ」、というより、内面や記憶という「大きなテーマ」のための機能的な要素と言わなければならない」とし(松本常彦「地震のあとで――彼女は何を見ていたのか――」『九大日文』第12号、2008年、108頁)、それを受けて中元さおりも「『神の子どもたちはみな踊る』で村上が「象徴的なかたち」でなにを語ろうとしていたのかを問うことが重要ではないだろうか」としている(中元さおり「村上春樹「かえるくん、東京を救う」における〈コミットメント〉の行方——「雪かき仕事」と「バトンタッチ」『広島経済大学研究論集』第35巻第4号、2013年、19頁)。

*9:村上春樹『村上春樹全作品1990~2000③ 短編集Ⅱ』「解題」、271頁。

*10:村上春樹「村上春樹、河合隼雄に会いにいく」『村上春樹全作品1990~2000⑦』講談社、2003年、292頁。

*11:村上春樹「目じるしのない悪夢」『村上春樹全作品1990~2000⑥』講談社、2003年、668-669頁。

*12:「その奥底で他者の無意識ともつながりうるような無意識の場」というのはユングの「集合的無意識」を想起しないわけにはいかないが、当然それとの関連を論じた文章は数多く存在する。それも含めた村上春樹の「井戸」に関する論点が整理されたものとしては武井昭也「村上春樹「井戸」再考」(『日本文学誌要』第85号、48-60頁、法政大学国文学会、2012年)などがある。

*13:中元さおり「村上春樹「かえるくん、東京を救う」における〈コミットメント〉の行方——「雪かき仕事」と「バトンタッチ」『広島経済大学研究論集』第35巻第4号、2013年、19頁。

*14:「SPECIAL INTERVIEW」『「輪るピングドラム」公式完全ガイドブック 生存戦略のすべて』幻冬舎、2012年、182頁。

*15:「SPECIAL INTERVIEW」『「輪るピングドラム」公式完全ガイドブック 生存戦略のすべて』幻冬舎、2012年、182頁。

*16:主要人物たちが抱えた「罪の意識」については、以降たくさんの記事に書いたが、たとえば以下の記事などがその代表である。【ピンドラ 考察】ゼロから見直す『輪るピングドラム』⑫「嫌だわ、早くすり潰さないと」の意味――「罪」編――【16話】 - 野の百合、空の鳥【ピンドラ 考察】ゼロから見直す『輪るピングドラム』⑭「きっと何者にもなれない」とはどういうことか【19-20話】 - 野の百合、空の鳥【ピンドラ 考察】ゼロから見直す『輪るピングドラム』最終回「輪るピングドラム」とは何か【24話】 - 野の百合、空の鳥

*17:「SPECIAL INTERVIEW」『「輪るピングドラム」公式完全ガイドブック 生存戦略のすべて』幻冬舎、2012年、182頁。

*18:これについては先に述べた「罪の意識」の問題とともに稿を改めて考察したい。

*19:詳しくは以下を参照されたい。「つながり」の話 (3.11を起点に)~『さらざんまい』のメッセージを受け取るために~ <前編> - 野の百合、空の鳥

*20:「STAFF INTERVIEW」『「輪るピングドラム」公式完全ガイドブック 生存戦略のすべて』幻冬舎、2012年、131頁。

*21:これについては、映画が引き受けた「状況」も交えて、以下に記した。【劇場版ピンドラ前編 感想】「きっと何者にもなれないお前たち」から「きっと何者かになれるお前たち」へ - 野の百合、空の鳥【劇場版ピンドラ後編 感想】「きっと何者かになれる」 - 野の百合、空の鳥

*22:今回はかなり要約的な記事になってしまった。物語についても、本当にはもっと考えるべきことが山ほどある。たとえば、同じ「物語」がオウム真理教の波及に一役買っていたということを忘れてはいけない。これは「物語」に対する批判として考えられなければならない。「物語」は当然、毒にも薬にもなりうるのである。しかしそれは本当に「物語」に問題があるのか。それについては先に見た大塚や川村の批判に通ずるところがある。加えて言うならば、それは村上が捉えていた「善悪」の問題にも関わる話である。筆者の考えをひとつ言うならば、「物語」は「悪」であるが、それは善悪の二元論に収まるような悪ではなく、超道徳を要請するような第三項としての「悪」である。以上のような問題は今後の課題とし、また稿を改めて論じたい。