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【俺ガイル完 8話】考察・解説 「紛い物」/「痛いから」/「終わり」

Ⅰ. はじめに

ⅰ. あらすじ

部長会としてプロムに協力するよう葉山に依頼するが断られる八幡。

仕方なく浜辺でポスター撮影をした八幡は、由比ヶ浜とともに製作したサイトを陽乃から雪ノ下母へリークしてもらうよう打診する。

情報が伝わり、雪ノ下母が学校へ訪ねてくると、八幡は自分が入学式の事故の被害者であることを示唆し、雪乃ら生徒会側のプロムを認めてもらうことに成功する。

雪乃側のプロムが実現することになり、「勝負」は雪乃側の勝利に終わる。「勝ったら何でも言うことを聞く」というルールに則り、雪乃は「由比ヶ浜さんのお願いを叶えてあげて」と願うのだった――

 

ⅱ. 8話の疑問

8話で疑問になりそうなことは主に以下の3点にまとめられる。

  • 陽乃が言っていたこと(「言葉の上だけの話でしょ?」、「嘘ばっかり吐いて」、「そんなの、紛い物じゃない」)はどういう意味だろうか?
  • 由比ヶ浜が言っていた「だってこんなに痛いから」とはどういう意味だろうか?
  • 雪乃と八幡の最後の場面はどういう意味を持っているのだろうか?

今回はこの疑問に答える形で、純粋に8話を解説していきたい。

 

 

Ⅱ. 陽乃が言っていたことの意味

ⅰ. 「そんなの言葉の上だけの話でしょ?」

陽乃はわざわざ当て馬を作ってまで雪乃側のプロムを実現させようとする八幡に苦言を呈する。

八幡は雪乃を助けるのではなく、あくまで自分勝手に対抗しているだけだから、それは依存ではないと主張している。

しかし陽乃は「そんなの言葉の上だけの話」であって、結局は間接的に雪乃を助けてしまっているではないかと言っているのだ。

 

ⅱ. 「嘘ばっかり吐いて……、ほんとのことは言わないんだね」

結局、あくまで「依存」とは認めない八幡に陽乃が「なんでそこまでするの?」と問うと、八幡は「奉仕精神……、ですかね」とおどけて見せる。

それに対して陽乃は「嘘ばっかり吐いて……、ほんとのことは言わないんだね」というわけだが、それは八幡が雪乃を(たとえ間接的でも)助ける本当の理由を言わないからだ。

はっきり言うとしたら、陽乃は八幡が助ける理由を、雪乃に頼られるのが気持ち良いから、そういう意味で依存しているからだと言うだろう。

ただし、八幡が本当にどう考えているかは別の話で、だからこそ八幡は仮に雪乃を助ける本当の理由があるとしても「それを言う相手はあなたじゃない」と言っているのだ。

 

ⅲ. 「奉仕精神」という逆説

ところで、少し本筋とはズレるのだが、「奉仕精神」で人を助けるというのは考えてみるととても難しいことだ。

というのは、人が誰かを助けるときというのは、たいていお金のためだとか、名誉のためだとか、利己的な感情が混じっているからだ

「奉仕精神」というのは、純粋に相手の役に立ちたいと願うということだが、本当に相手のことだけ考えて相手を助けられる人などいるのだろうか?

そう考えると、「奉仕部」という名前はすごく意味深に思えてくる。はたして雪乃や八幡が、「依存」せずに、純粋に相手のことを思って「奉仕」するときは来るのだろうか?

 

ⅳ. 「そんなの、紛い物じゃない」

場面は変わって、葉山と陽乃がカフェで対話していたシーンで、葉山は「共依存」という言葉を使った陽乃を咎める。

なぜなら、「共依存」という言葉を使えば、八幡たちは「共依存」について気にしてしまい、余計に関係性がこじれてしまうと葉山は思ったからだ。葉山としては、葉山自身は過去に雪乃を救えなかったので、代わりに八幡や由比ヶ浜が雪乃を幸せにしてくれることを願っているのだろう。

そんな葉山に陽乃は、「そんなの、紛い物じゃない。私が見たいのは本物だけ」と辛らつに返答する。つまり、陽乃からすれば、少しでも「共依存」の可能性がある関係性など「紛い物」であって、真の調和を保った関係ではないのだ。

 

ⅴ. 陽乃も「本物」に焦がれている

そのことからわかるのは、陽乃も少なからず「本物」と呼ばれる関係性に焦がれているということだ。

「本物」は『俺ガイル』特有の概念で、言葉で説明するのがとても難しい(というよりも言葉にできない真の関係性こそが「本物」だとも言える)。

しかし陽乃も少なくともそれを言い出した八幡に共感し、八幡たちを「本物」の関係性へと(間接的に、いじわるな仕方で)導こうとする場面が多々見受けられる。

それは陽乃自身が、「強化外骨格」を身にまとい、「うわべ」を取り繕った人間関係ばかり結んできたからだろう。陽乃自身、いつも自分を演じており、他人を本当に信頼したり、本当の友達と言えるような存在を作ったりしたことがないのかもしれない

しかし本当の友達と呼べる存在を作れる人間がどれほどいるだろうか? 本当に「本物」なんて関係性があるのだろうか?

 

Ⅲ. 由比ヶ浜が言っていたことの意味

ⅰ. 「だって、こんなに痛いから……」

そんな陽乃に対して、由比ヶ浜は必死に抵抗する。

「共依存」と言われたことに対して、「なにかしてあげたいって、そんなの、当たり前だし」と反論する由比ヶ浜。そして彼女は「共依存」じゃない理由を「だって、こんなに痛いから……」だと述べる。

どうして「こんなに痛い」と「共依存」じゃないということになるのか? そもそも「こんなに痛い」とはどういう意味か?

 

ⅱ. 心の痛み

「こんなに痛い」というのは、端的に言えば「心が痛い」ということだ。つまり由比ヶ浜は、こんなに心の痛みを伴って悩んで苦しんでいるのだから、それは「共依存」のように互いが依存し合うことに快楽を得ているような状態ではないと言っているのだ。

たしかにその「痛み」は本物だろう。自分が「痛い」と感じることを、他人には否定しようがない。

それに、由比ヶ浜の言い分もわかる。大切な人を助けたいという想いが、どうして「依存」になってしまうのか。助け合うことの、どこからが「共依存」で、どこまでが「共依存」でないのか。それをどうやって他人が決められるだろうか?

 

 

Ⅳ. 雪乃との場面の意味

ⅰ. 1巻(1期1話)、6巻(1期12話)の繰り返し

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上:『俺ガイル』1話より(渡航, 小学館/やはりこの制作委員会はまちがっている。, 2013)、中:『俺ガイル』12話より(渡航, 小学館/やはりこの制作委員会はまちがっている。, 2013)、下:『俺ガイル完』8話より(渡航、小学館/やはりこの制作委員会はまちがっている。完、2020)

原作を読んでいればわかるが、この場面は1巻(1期1話)や6巻(1期12話)の繰り返しになっている。それはこの場面の地の文の一部が共通していることからわかる。

具体的に言えば、以下の描写が共通している(ただし一部場面により異なる)。

いたって普通の教室。

けれど、そこがあまりにも異質に感じられたのは、一人の少女がそこにいたからだろ。

(「斜陽」の中にいる雪乃の描写。場面で異なる。1巻「少女は斜陽の中で本を読んでいた。」、6巻「斜陽の中で、静かにペンを走らせている。」、13巻「斜陽の中、風に吹かれて、雪ノ下雪乃は窓辺に立って外を眺めていた。」)

世界が終わったあとも、きっと彼女はここでこうしているんじゃないか、そう錯覚させるほどに、この光景は絵画じみていた。

それを見たとき、俺は身体も精神も止まってしまった。

――不覚にも見惚れてしまった。

そして当然、描写が繰り返されるからには、そこには何かねらいがある。

 

ⅱ. 繰り返しのねらい

ではその「ねらい」とは何だろうか? 先に結論から言えば、ここでの「ねらい」は、八幡と雪乃の関係性の変化をより鮮明に表現することだと言えるだろう。

まず3つの場面に共通しているのは、いずれの場面も八幡と雪乃の関係性のいわばターニングポイントとなっているということだ。

すなわち、最初の場面は八幡と雪乃が出会って関係性が始まる場面、次の場面は雪乃が八幡を「知っている」と述べ関係性を進展させる場面、最後は雪乃が心情を吐露し関係性を清算する場面である。

化学の対照実験と同じで、比べたい条件以外の項目を一致させることで、対比が鮮明になる。ここでは場所やシチュエーション、構図などが一致していることで、八幡と雪乃の関係性の変化がより顕著に表現されている。

初めは八幡をまともに相手にしなかった雪乃が、最後には「楽しかった。初めてだった。一緒に過ごす時間が居心地いいって思えて、嬉しかった……」と言う。この変化はたしかに胸を打つものがある。

 

ⅲ. 「これで終わりにしましょう」

しかしだからこそ、「この勝負も、この関係も……、これで終わりにしましょう」という雪乃の言葉は納得しがたい。

せっかく関係性が進展したと思ったのに、どうして「終わり」にしなければいけないのだろう?と、多くの視聴者がそう思ったのではないだろうか。

 

しかし考えてみれば、たしかに八幡たち三人の関係というのはよくわからない。そもそも八幡は、「罰」として平塚先生に強制的に奉仕部に連れてこられただけだった。

だから言ってみれば、三人はただ同じ部活に所属しているだけの関係性である。友達になろうと言って友達になったわけでもないし、誰かと誰かが恋人であるわけでもない。

彼ら彼女らの関係には名前がない。

 

ⅳ. 「由比ヶ浜さんのお願いを叶えてあげて」

それにもっとわからないのは「由比ヶ浜さんのお願いを叶えてあげて」と「勝負」に勝った雪乃が述べることだ。どうして雪乃は自分についての願いでなく、由比ヶ浜のことを願ったのだろう?

それはまず第一に、雪乃はもう八幡に十分救ってもらったと考えたからだろう。雪乃は、結局のところ半ば八幡に「頼って」しまったわけだが、彼女は完全に孤立でもなく、依存でもなく、純粋に人を「頼る」ということを八幡(と由比ヶ浜)に教えてもらった。

その点において、雪乃が依頼した「私のお願い」は解決された。だから「奉仕部」としての仕事はすべて終わり、「奉仕部」としての三人の関係性は「終わった」

 

これが「終わりにしましょう」という言葉の意味である。そしてこれはさらに「由比ヶ浜さんのお願いを叶えて」と願う理由でもある。

というのは、もう三人の「奉仕部」としての仕事が終わった以上、あとに残るのは雪乃の純粋な感情、すなわち由比ヶ浜を思う感情のみだからである

その雪乃の純粋な感情が、「由比ヶ浜さんのお願いを叶えて」と言っているのだ。これが雪乃が由比ヶ浜ことを願った理由だ。

ではそんな願いを由比ヶ浜はどう受け取るのだろうか? それを考えるのは、また次回以降にしよう。

 

Ⅴ. おわりに

こうして書き下して見ると、言葉は滑稽だということがわかる。

何も正しくないし、すべてがどこかまちがっている。

しかしまちがっているとわかるという点で、言葉は彼ら彼女らの真意に一歩近づく。

そのためになら言葉を弄してもよいのかもしれないと、ときどき思う。

<参考文献等>

渡航『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。①~⑭』(小学館 ガガガ文庫、2011-2019) 

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