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【チェンソーマン考察】『1984』(ジョージ・オーウェル)との関連について

Ⅰ. はじめに

本記事では、『チェンソーマン』において銃の悪魔が出現した「1984年」という年(この年号が浮かび上がった経緯については後述)が意図的なものであると仮定した上で、ジョージ・オーウェルの小説『1984年』と『チェンソーマン』との関連を考える。

具体的には、マキマ=ビッグブラザーチェンソー=戦争銃と自由「戦争は平和である、自由は屈従である、無知は力である 」というスローガンと『チェンソーマン』のテーマといったトピックについて考えていく。

またその際、週刊少年ジャンプ2020年30号(2020/6/27時点での最新号)所収の『チェンソーマン』第75話「9,12」、および『チェンソーマン』全編と『1984』のネタバレを含むので注意されたい。

 

 

Ⅱ. 「1984」という数字が出てきた経緯

1997年,『チェンソーマン』第75話「9,12」より
銃の悪魔,13年前,『チェンソーマン』第12話「揉む」より
左:『チェンソーマン』第75話「9,12」より、右:『チェンソーマン』第12話「揉む」より Ⓒ藤本タツキ,集英社

まず初めに「1984」という数字が出てきた経緯を簡単に確認する。

まず、『チェンソーマン』第75話「9,12」で作中の現在時*1「1997年9月12日」だということが記されている。

次に、『チェンソーマン』第12話「揉む」および第13話「銃の悪魔」*2において銃の悪魔が米国に出現した(「アメリカで銃を使った大きなテロが起こった」)のは「13年前」のことだと語られる。

以上のことから、「1997年」の「13年前」である「1984年」という年号が浮き彫りになる。*3

 

Ⅲ. 『チェンソーマン』と『1984』との関連


一九八四年 (ハヤカワepi文庫)

「1984年」という年号からとりわけ連想されるのはジョージ・オーウェルのSF小説『1984』だ。

しかしそれだけで『チェンソーマン』と『1984』に関連があると結論付けるのはいささか早計すぎる。

ただし、もしも『1984』と『チェンソーマン』との間に何か関連があるのだとしたら、それは意図的なものだとも考えられるのではないだろうか。

したがって以下では、『1984』と『チェンソーマン』に関連がないかどうかを探っていくことにする。

ⅰ. ビッグブラザーとの関連

1. マキマ=ビッグブラザー(支配の象徴)

マキマ,支配の悪魔,『チェンソーマン』第75話「9,12」より

支配の悪魔(『チェンソーマン』第75話「9,12」より Ⓒ藤本タツキ,集英社)

『チェンソーマン』と『1984』の関連性について、まず『チェンソーマン』でのマキマの設定やふるまいが『1984』におけるビッグブラザーの設定に類似しているということが言える。

その理由として、まずビッグブラザーもマキマも「支配」の象徴であるということが挙げられる。

ビッグブラザーとは、『1984』で主人公がいる国家の独裁者であり、名実ともに「支配」の象徴であるる。一方『チェンソーマン』においては、マキマもが「支配」の悪魔であり、「支配」の象徴だとも言える。

したがって両者ともに「支配」の象徴であるという点において、マキマとビッグブラザーは類似していると言える。

 

2. 名前が恐れられるほど力が増すという設定

チェンソーマン,悪魔の設定,『チェンソーマン』第6話「使役」より

『チェンソーマン』における悪魔の設定(『チェンソーマン』第6話「使役」より Ⓒ藤本タツキ,集英社)

また、『チェンソーマン』の「その名前が恐れられているものほど悪魔自身の力も増す」という設定は、『1984』におけるビッグブラザーの設定と類似している。

ビッグブラザーは、実は作中においても実在の人物かどうか定かではないとされている。そのことは『1984』の主人公であるウィンストンが、思想統制される社会の中で、ある「禁書」を通して知ることである。

その「禁書」によれば、国民の恐怖や尊敬といった感情は、組織や集団よりも一個人に対して起こりやすいためにビッグブラザーなる存在が創り上げられたのだと言う。

このビッグブラザーの設定は『チェンソーマン』の悪魔の設定に似通っている。

すなわち、「ビッグブラザー」という一個人の名前が恐れられるほど、人々の恐怖は「ビッグブラザー」という名前に集中し、恐怖はその名前と共に増してゆくわけだが、同様に、『チェンソーマン』における悪魔も、その名前が恐れられているほど力を増すのである。

以上のように考えると、『チェンソーマン』における悪魔の設定というのは、むしろビッグブラザーの設定を下地にしているとも考えられる。

 

3. “Big Brother is watching you”

会話はマキマに聞かれている,『チェンソーマン』第61話「ニュースレポーター」より

「会話はマキマに聞かれている」(『チェンソーマン』第61話「ニュースレポーター」より Ⓒ藤本タツキ,集英社)

さらに、マキマがどこにでも目や耳を持っているような描写は、ビッグブラザーの監視体制と類似している。

『1984』では、主人公の住む国「オセアニア」が当局によって完全に監視されており、 それを象徴する“Big Brother is watching you” という標語とビッグブラザーの姿が書かれたポスターが、街中いたるところに貼られている。

 他方『チェンソーマン』では、第61話で岸辺のメモに「会話はマキマに聞かれている」と書かれていたり、デンジとレゼだけの会話であったネズミの話を知らないはずのマキマが「私も田舎のネズミが好き」と言ったりと、マキマがどこにでも目や耳を持っているような描写が登場する。*4

「眼」から出るセリフ,『チェンソーマン』第74話「波の言う事」より

「眼」から出るセリフ(『チェンソーマン』第74話「波の言う事」より Ⓒ藤本タツキ,集英社)

また、マキマのセリフが口ではなく「眼」から出ているように描写されているのも、“Big Brother is ’watching’ you” を意識したものだとも考えうる。

このように、マキマのどこにでも目や耳を持っているような描写は、ビッグブラザーの監視体制と類似している。

以上のように、『チェンソーマン』と『1984』の間には、ビッグブラザーとの関連が、とくにマキマとの類似に見られると考えられる。

 

ⅱ. 党のスローガン

1. 三つのスローガン

次に『チェンソーマン』と『1984』との関連として、(ビッグブラザー率いるオセアニア唯一の政党)のスローガンとの関連が考えられる。

先走って言ってしまえば、この党のスローガンが『チェンソーマン』の登場人物たち、それから『チェンソーマン』のテーマ自体に関連していると思われるのだ。

党のスローガンとは以下の三つである。

  • 戦争は平和なり
  • 自由は屈従なり
  • 無知は力なり

 ではこのスローガンは『チェンソーマン』とどう関連しているのだろうか?

 

2. 登場人物たちとリンク?

まず単純に考えられるのが、党のスローガンの個別の単語が『チェンソーマン』の登場人物たちとリンクしているということだ。

すなわち、戦争=チェンソー、自由=銃(の悪魔)、屈従=支配(マキマ)、力=パワーといった具合にリンクすると考えられる。

「戦争=チェンソー」は無理矢理じゃないのか?「平和」と「無知」はどこ行ったんだ?と思われるかもしれないし、それはごもっともなことだと私も思うのだが、それは一旦置いておくとして、ひとまず、いくつかの単語を登場人物たちとリンクさせようと思えばリンクさせられるのだとは言えるだろう。

 

3. 「戦争=チェンソー」は妥当か?

ここで少しだけわき道にそれるのだが、この問題は重要だと思われるので記しておきたい。問題というのは、「戦争=チェンソー」というのは妥当か?という問題である。

この話はまずもって「戦争→センソー→チェンソー」という言葉の連想に端を発している。ただそれだけでは言葉遊びにすぎないので、これに何か妥当だと言える理由があれば納得できるように思われる。

 

では何か「戦争=チェンソー」が妥当だと言える根拠はあるのか? 結論から言えば、筆者は今のところは、はっきり妥当だと言える強い根拠はないと考えている。

ただし、「戦争=チェンソー」だとすれば、なぜ「チェーンソー」ではなく「チェンソー」なのかということの理由にもなるし、これから「戦争」が鍵になってきそうなマキマの示唆*5、そしてポチタが1話で「銃」によって負傷していたらしきことに説明はつく。

したがって、「戦争=チェンソー」という説は、今のところはそれを強く説明づける根拠はないが、そうだとしたら説明できることがいくつかあるといった程度にとどまるだろう。

 

4. 「戦争は平和なり」

少しわき道にそれたが、スローガンと『チェンソーマン』との関係の話に戻そう。

上のスローガンは、登場人物たちとリンクしているだけではなく、そのまま『チェンソーマン』という作品のテーマに関連していると思われる。

 

まず、「戦争は平和なり」というのは『チェンソーマン』における銃の悪魔を用いた各国の硬直状態を指し占めていると考えられる。

『1984』においては、「戦争は平和なり」というスローガンは、実は恒久の平和状態は各国による戦争で保たれているという意味で用いられているが*6、これがある程度『チェンソーマン』においても当てはまる。

第73話で、実は銃の悪魔はすでに倒されており、各国に「抑止力」のような形で保持されているのだということが明かされる。各国は秘密裏に銃を横流しし、銃による小さな「戦争」状態を保つことで、「銃」への恐怖を増大させ、かりそめの「平和」状態を保っているのだ。

「戦争は平和なり」というスローガンはこのような『チェンソーマン』世界の現状に当てはまると言える(もっとも、それは今からマキマが破壊しようとしている秩序なのだが)。

 

5. 「自由は屈従なり」

「自由は屈従なり」というスローガンは『チェンソーマン』においてはかなりアイロニックな響きを帯びてくる。

それは一方で、「自由」の国であるアメリカが「銃」の悪魔に国民の寿命を渡すことで「屈従」している姿を表し、他方では、公安の面々あるいは悪魔たちが「自由」に活動できていると思い込んでいるが、実はマキマという支配の悪魔の下に「屈従」している日本の姿を表している。

「自由は屈従なり」というのはそのような『チェンソーマン』の皮肉な世界観を言い表していると考えられる。

 

6. 「無知は力なり」

「無知は力なり」は、とくにデンジとパワーのやり取りにおいて大きなテーマとなっている。

はじめデンジは「無知」であって、「無知」がゆえに短絡的に悪魔の力で敵をバッタバッタと倒していくわけだが、いろいろなことを経験してゆく過程で、デンジは無知であることの快適さを「知って」しまう。

奇しくも彼がそれを「知る」ことになったのは「無知」の権化とも言えるパワーを介してだった。

なんでもかんでも知りゃあいいってもんじゃねぇんだ,『チェンソーマン』第71話「お風呂」より

なんでもかんでも知りゃあいいってもんじゃねぇんだ(『チェンソーマン』第71話「お風呂」より Ⓒ藤本タツキ,集英社)

そうしてデンジは悟ることになる。「なんでもかんでも知りゃあいいってもんじゃねえんだ」と。

以上のように見ると、「戦争は平和なり/自由は屈従なり/無知は力なり」という三つのスローガンは、少なくとも『チェンソーマン』のテーマと部分的に関わっているのだと考えられる。

 

 

Ⅳ. おわりに

今回は『チェンソーマン』と『1984』との関連について考察した。

以上のように考察すると、ひとまず『チェンソーマン』と『1984』には関係性がありそうだと言うことができるだろう。

 

ただしまだ考察できる余地は充分にあるし、上の考察においても不十分な箇所があるように思われる。

例えば『1984』には、主人公ウィンストンが「ねずみの夢」によって拷問されることで支配に屈服するシーンがあるのだが、これと前回考察した「田舎のねずみと都会のねずみ」を絡めて考えることもありえた話ではある(根拠などが不十分なのでやめたが)。

もちろん物語が進行しなければわからない部分も多々あるが、時間による制約と精査が足りていない面が大きい。

思い立ったが吉日と意気込み書き始めてみたが、考えもまとまらずに書き始めたので、読みにくいところ、意味のわからないところがあったように思う。ご容赦頂きたい。

 

『チェンソーマン』と『1984』の関連については、自分自身興味深いと思うので、今後もこの記事を更新してゆくか、それとも別の記事にするかはわからないが、ともかく引き続き追っていきたいと思う。

末筆ながら、この記事を読んでいただけた読者の方々に感謝申し上げたい。

 

<参考文献>

・藤本タツキ『チェンソーマン1-7』(集英社, 2019-20)

・『週刊少年ジャンプ』デジタル版 (集英社, 2020年16-30号)

・ジョージ・オーウェル『一九八四年[新訳版]』高橋和久(訳),Kindle版,(早川書房, 2012)

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*1:ここで言う「現在時」は『チェンソーマン』第75話「9,12」時点の時間を指す。「1997年」と記されたページだけが現行の時間軸でない可能性は0とは言えないが、そうミスリードする理由は何もなく、また物語の筋上、銃の悪魔が「現在時」に上陸するのは自然な流れであるため、「1997年」を「現在時」と考えた。

*2:いずれも 藤本タツキ『チェンソーマン2』(集英社, 2019)に収録。

*3:もちろんここで単純に引き算してしまうことは厳密には正確性に欠ける。具体的には、例えば銃の悪魔が出現したのは「13年前」のことだと語られた第12,3話の時点から第75話の間に一年以上の時間経過が認められれば、第75話の時点から見て銃の悪魔の出現時は14年前になるはずである。しかし作中で第12,3話と第75話との間にはそこまで大きな時間経過は認められず、また、わざわざ銃の悪魔の出現を「13年前」という数字であえて語らせたこと、また後述するような『1984』と『チェンソーマン』との関連性が認められることも考えて、やはりここでは「1997年」の「13年前」が「1984年」なのだとするのが適当だと考えた。

*4:もちろんそれは物理的にはマキマが「下等生物の耳を借りる」(『チェンソーマン』第67話「最初のデビルハンター」)ことによって監視しているということもあるだろうが、ここで問題なのはマキマがそのようにどのような手段を駆使していたのだとしても、結局は「どこにでも目や耳を持っている」ような描写がなされていることそれ自体である。

*5:『チェンソーマン』第73話「日常の終わりに」参照

*6:ジョージ・オーウェル『一九八四年[新約版]』高橋和久(訳)(早川書房, 2012)電子版 5821/9300 参照