※こちらはアニメ第3期放映時にリアルタイムで作成した記事です。その後の展開や明らかになった設定と食い違う点や推測を多分に含みます。記事を鵜呑みにせず、最新の情報をご確認ください。非公開にすることも考えましたが、いまだ活かせる情報もあるように思われたのでアーカイブとして残します。ご承知おきくださいませ。
Ⅰ. 「パンとサーカス」
灼「古代ローマの詩人ユウェナリスは、権力者たちはパンとサーカスによってローマ市民を盲目的にしていると詩編で揶揄したそうです」
カリナ「いいじゃない、それで平和になるなら。皆がみんなずっと目を開いていたいわけじゃないんだし」
(『PSYCHO-PASS3』4話「コロッセオの政争」より)
「パンとサーカス」とは、セリフにある通り、もとは古代ローマ社会の当時の状況を揶揄した言葉です。
「パン」は市民に配給される食糧、「サーカス」は競馬や剣闘士試合などの娯楽のことを意味します。
したがって「パンとサーカス」とは、市民を食糧(パン)や娯楽(サーカス)などに夢中にさせ、政治から目を背けさせる、衆愚政治(民衆を愚かにさせる政治)の最たる例と言えます。
しかし、小宮カリナはそれを「いいじゃない」と一蹴します。あたかもそれは「ライブや連続ドラマみたいに、楽しい政治をやっていきます」という彼女の、あるいはマカリナのポリシーを体現するかのようです。
本当にそれでいいのか?というのが私の素直な感想です。
「楽しい政治」の先にあるのは繁栄か、それとも古代ローマのような末路か――
今回も大切な情報を整理しつつ、様々な「パンとサーカス」の果てに何が待ち受けているのかについて考察していきたいと思います。
Ⅱ. マカリナという「パンとサーカス」
ⅰ. 「最もシビュラ的な存在」
炯「理想の人間って何だろうな」
如月「どうしたんですか?急に」
炯「何と言えばいいか……薬師寺はドーピング漬けの理想的アスリート。小宮カリナは勝つことが目的で手段を選ばない。結局、最もシビュラ的な存在はマカリナ、AIだったんじゃないか」
(『PSYCHO-PASS3』4話「コロッセオの政争」より)
結局、今回の都知事選を制したのは小宮カリナでした。
しかし正確に言えば、選挙に勝ったのは彼女本人の力というより、マスコントロールカリナ、マカリナというAIの力が大きいでしょう。
それを受けて、炯は「結局、最もシビュラ的な存在はマカリナ、AIだったんじゃないか」と述べています。
しかしそれってどういうことでしょう? なぜマカリナは「最もシビュラ的な存在」だと言えるのでしょうか?
ⅱ. 「最もシビュラ的な存在はマカリナ」とはどういうことか
結論から言うと、マカリナは大衆に思考放棄を促すという点でシビュラ的であると考えられます。
マカリナは、「認知負荷を外部からコントロールして、人間の意思決定過程に最も影響を与える話法、および声のトーンを発生させる新世代人工知能」でした。
つまりそれは、民衆が考えることに苦しまないようなうまい話し方をして、民衆が悩まずにその話を受け入れるようにしているということです。
この点はシビュラも同じです。
つまりシビュラも、人間が悩む選択(例えばどの仕事に就くのかとか、誰と結婚するのかなどの選択)に対して、「適正判定」をして選択肢を狭めてあげることで、人間を苦悩から解放しています。
このように、マカリナもシビュラも、人間を選択の苦悩から解放するという点で似通っています。
そのような意味で、マカリナは極めてシビュラ的だと言えるでしょう。
ⅲ. 思考放棄?
ただそれって良いことなのでしょうか?
思考放棄させる、というのは字面だけ見るとなんだか悪いことのように思えます。
そもそもマカリナのやっていること、認知負荷を軽減して人の意思決定に影響を及ぼす話し方というのは悪く言えば「洗脳」です。
そう考えると、なんだかマカリナは危険な気もします。
しかしながら他方で、悩まなくてよいことで悩んだり、苦しまずに済むことで苦しむのは無駄だ、不幸だという考え方もあります。
現に『PSYCHO-PASS』の世界の人々は、自分たちの選択の一部をシビュラに委託し、より苦悩することの少ない社会を選んでいます。
4話でも民衆は、マカリナというAIが露顕しても、カリナを都知事に選びました。
それは民衆が考える苦しみの少ない社会に満足している証かもしれませんし、その社会の人々がそれで幸せになるのなら、思考をシステムにゆだねる社会はその人たちにとっては「良い」社会なのかもしれません。
しかしそう一筋縄ではいかないでしょう。というのは、便利なシステムがあればあるほど、それを利用しようとする輩がいるのが世の常だからです。
Ⅲ. ビフロストたちの「パンとサーカス」
ⅰ. ビフロストの思惑
結局のところ、カリナの当選も、マカリナの発覚も、すべてビフロストの思惑通りだったようです。
曰く、「ただ小宮カリナを勝たせることがラウンドロビンの真意ではない。問題は、代理人格AIが民衆の認知を得て、シビュラが無視できない状況をつくること」とのこと。
果たしてビフロストの狙いは何なのでしょう? 「代理人格AIが民衆の認知を得て、シビュラが無視できない状況をつくる」と、ビフロストにどのような得があるのでしょう?
ⅱ. 代理人格AIの発覚でビフロストにどのような利益があるのか?
1. 代理人格AIが民衆に認知されるとどうなるのか?
順番に考えてみましょう。
まず、代理人格AIが民衆に認知されるとどうなるのでしょうか?
代理人格AIが民衆に認知されると、ただ「認知」するだけでなく、民衆はそれを肯定的に受け入れるか否か、その判断を下すことになります。
そして4話では、結果的にAIが民衆に広く受け入れられました。
2. 民衆にAIが受け入れられると、シビュラはどう思うのか?
では、民衆に広く代理人格AIが受け入れられると、シビュラはどう思うのでしょうか?
まず単純に、良い意味でも悪い意味でもシビュラはAIに対して以前より敏感になると考えられます。
例えば、良い意味ではシビュラはAIの使用に対しては寛容になるかもしれませんが、反対に、悪い意味では民衆をコントロールするようなAIを厳しく規制し始めるかもしれません。
ただいずれにしても、その結果としてAIの正当性が担保されるのではないでしょうか。
つまり、AIを悪用することに対しては厳しく取り締まりつつも、AIを「正しく」使用することに対してはシビュラは何も言わなくなるのではないでしょうか?
言い換えればそれは、どのようなAIの使用の仕方が「正しく」、どのようなAIの使用の仕方が「正しくない」のかの基準をシビュラがつくっていくということでもあります。
3. シビュラがAIを認めると、ビフロストが何の得をするのか?
それではもしシビュラがAIを正しく使うことに口出ししなくなるとすると、それはビフロストにどのような影響をもたらすでしょうか?
思うに、そうするとビフロストはAIを使ってより自由に自分たちが得するような行動ができるのではないでしょうか?
ではビフロストがAIを使ってできる自分たちが得する行動とは何でしょう?考えられるのは以下の2つです。
- ビフロストたちはもともと代理人格AIを使用した何かをしており、今回代理人格AIが認められたことで、よりシビュラの目を免れることができるようになった
- ビフロストはこれから代理人格AIを使って社会をコントロールしようと考えており、今回代理人格AIが認められたことでより自由にAIで社会をコントロールしやすくなった
1の場合、ビフロストがもとから使っている代理人格AIとは何か?という疑問が浮かびます。
AIの候補として考えられるのはラウンドロビン、コングレスマン、インスペクターなどですが、どうもどれも「代理人格AI」だとするとおかしいことになるような気がします。
秘密がありそうなのは「ラウンドロビン」ですが、ラウンドロビンには「人格」は必要なさそうなので、代理人格AIというのは少し難しそうです。
したがって今のところ、1の場合はうまい説明をつけることは困難だと考えられます。
2の場合はすごく簡単そうです。
ビフロストが裏から社会をコントロールしていることは周知の通りですが、マカリナのような代理人格AIがあって、それをコントロールできれば、民衆をより自由に先導して、社会をより自由にコントロールできるはずです。
前述したように、マカリナは簡単に言えば民衆洗脳装置ですから、それを使ってビフロストの思うように民衆を扇動できるようになるはずです。
まだ具体的なことはわかりませんが、ビフロストが代理人格AIの露顕でどのような得をするのかという問いに対しては以上のように答えられると考えられます。
とにかく今確実に言えるのは、ビフロストがインスペクターたちを使って着々と「ダイアグラム」を進行させているということにつきます。
Ⅳ. シビュラに仕掛けられた「パンとサーカス」
ⅰ. 3期のアンチシビュラは「偶然性の問題」?
「ダイアグラム」は静かに、しかし着々と進行しています。中でも梓澤廣一の「ダイアグラム」は、システムの穴を縫うように進行しています。
思うに、3期の「アンチシビュラ」となるのは、梓澤のこの「ダイアグラム」の性質なのではないでしょうか。
「アンチシビュラ」という言葉は、シビュラシステムの穴となる対抗物という意味です。
1期で言えば、「アンチシビュラ」は免罪体質、2期で言えば、「アンチシビュラ」は集合体(集合的サイコパス)でした。
つまり『PSYCHO-PASS』では毎回大きなテーマとして、シビュラシステムの欠陥を指摘するようなものを持ってきているわけですが、3期ではそれが梓澤廣一の「ダイアグラム」、もっと具体的に言うと「偶然性の問題」なのではないでしょうか?
梓澤廣一の「ダイアグラム」は、「偶然」によって完成されます。
今回で言えば、榎宮春木が死んだのは、「階段」ではなく「エレベーター」を選んだからでした。
梓澤が言っているように、「階段を進めば安全」だったわけで、榎宮が死んだのはエレベーターを選ぶという「偶然性」によるものです。
ⅱ. 「偶然性」はシステムの穴
ただもっとも、その「偶然性」というのは巧妙に仕組まれたものなので、完全な偶然性とは言い難い性質のものです。
例えば、土谷博士を殺したのも梓澤の仕業だったと考えられるわけですが、土谷博士は、テレビが壊れる、電話がつながらない、窓が一つしか開いていないという複数の巧妙に仕組まれた「偶然」によって死に追いやられたわけです。
本編の説明によれば、「偶然」は仕組まれたとはいえ、最後に「選択」したのは本人なので、「偶然」を仕組んだ者の色相は曇らないとのことでした。*1
したがってこれはシビュラシステムの「穴」だと言えます。いくらそれが偶然であって、被害者の意志によるものだとしても、それは犯罪を助長できるからです。
ⅲ. 「偶然性」を駆使して集団自殺させることができる?
例えばこのシステムの穴と、マカリナを利用すれば、集団自殺させることなども可能なのではないでしょうか?
先日『バビロン』を見ていて思ったのですが、マカリナを使って民衆の意思決定に介入して、皆を死にたいと思わせる方向に誘導しつつ、「偶然」をうまく仕組んでいけば、民衆を集団自殺させることも可能なのではないでしょうか?
まあ集団自殺は大げさですしあんまりやる意味がないかもしれませんが、移民の大量虐殺(それこそヘルメット暴動のようなもの)なんかも、このシステムの穴をつけばできてしまえそうですよね。
以上のようなことを考えれば、この「偶然性の問題」というのは、十分3期の大きなテーマとして成り立つのではないかと考えられます。
ⅳ. 「偶然性」の露顕
4話まできてようやくこの「偶然性」も露見し始めています。
4話の最期の方で、廿六木執行官から、以前の監視官が1人は死に、1人は施設送りになったということが明らかになりました。
1話の如月執行官のセリフによれば、常守と一緒に仕事をしたことがあるのは雛川だけ、ということでしたから、その死んだ監視官および施設送りになった監視官は常守とは別の監視官だと考えられます。
これについてはおそらく、局長と霜月が話していたラストの場面で、局長のモニターに映っていた2人がその死んだ監視官および施設送りになった監視官だと思われます。
話から察するに、彼らもおそらく「偶然性」を装った梓澤の「ダイアグラム」の被害者なのでしょう。
その事件に加えて、リックフェロウズや土谷博士の事件、榎宮の事故が手掛かりとして加わったわけですから、これで「狐」の尻尾はつかんだと言ってもいいでしょう。
「必ず狐を狩りだします。どんな犠牲を出したとしても」、そう述べる霜月からは並みならぬ決意を感じます。
果たして公安の犬たちは狐を見事捕まえられるでしょうか? 折り返し地点まで来た今、その瞬間はもうそう遠くない未来に来ているのかもしれません。
Ⅴ. 「パンとサーカス」のその果てに
ⅰ. OPの謎の少女はカリナ?
今回は「パンとサーカス」を中心にまとめてみました。
急いでかいたこともあってあんまりうまくいっていない感がありますが、最低限書くべきことは書けたかなと思います。お読みいただいた皆様にもなにか資するところがあれば嬉しいです。
ちなみに何ですが、文脈上入れるのは難しかったので書けなかったのですが、OPの最期の謎の少女はカリナっぽいですね。
カリナが持っているペンダント(マカリナの元?)とOP少女のペンダントが一致していましたし、灼と会っていたときのフードつきパーカーなんかの服装が似通っています。


マカリナの件などもありますし、今後のカギを握っているのはカリナなのかもしれません。注目です。
本日の5話放映楽しみです。あと、記事上げるの遅くなってすみませんでした!いろいろと忙しいのですが頑張ってやりたい気持ちです。
最後までお読みいただきありがとうございました!
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*1:『PSYCHO-PASS3』第2話 OP開けの会話参照