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『俺ガイル』8巻 解説・考察「こうして、比企谷八幡はまちがえる」


やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。 (8) (ガガガ文庫)

Ⅰ. 「まちがい」

自分が何かまちがえたのではないかという、その疑念だけが残った。

(渡航『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。⑧』p.334より)

『俺ガイル』8巻のキーワードは「まちがい」だ。

7巻では「大事だから、失いたくないから」、だから「変わりたくない」、という気持ちを「理解してしまった」八幡。そうして「欺瞞」に加担してしまった八幡は、その反省から8巻でやり方を少し改めようと試みる。

しかしながら、またもや彼は「まちがって」しまう。だから彼は自分に問うことになる。

「俺はまちがえはしなかったか」と――

 

果たして彼は何を「まちがえ」たのだろうか? あるいはどうして「まちがえ」てしまったのだろうか?

以下では、7巻に引き続きできるだけ言葉で理論立てて説明を試みながら、彼ら彼女らの心理について考察してゆく。

Ⅱ. 7巻までの「まちがい」

8巻前半部は、これまでの比企谷八幡のやり方の「まちがい」を、いわば「清算」するものになっている。

そこでは、彼の「やり方」とはどういうもので、何を動機にし、どういう結果をもたらしたのか、その反省が行われている。

 

ⅰ. 「意味なんかねぇよ」

「……なら、あなたのやり方には何の意味があるの?」
 問われて、すぐには答えが出てこなかった。それはあまりに今更な質問だったというのに、俺は未だ何も答えを用意できていない。
 何の意味があるか。
 意味なんかねぇよ。
 いつも意味なんかない、先送りにして引き延ばしにして結局全部台無しにする。俺のやり方はそういう類のものだ。今更誰かに指摘されるまでもなく、自分で理解している。
 だが、それでしか解消し得ない問題があり、それがもっとも効率の良いやり方であるケースが存在する。
 それは確かな事実だ。

(渡航『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。⑧』p.131より)

そう、そもそも彼のやり方には意味などない

彼にとってはそれが一番効率よく、それでしか解決しえない、だから彼はその行動をとっていた。それだけだ。だから彼は、その見返りに何かを求めていたわけでもない。

ましてや、誰かに「助けられたい」などとは絶対に思っていないはずだ。

 

ⅱ. 「犠牲? ふざけんな。当たり前のことなんだよ、俺にとっては」

「……君はずっとこんなふうにしてきたんだろう。もう、やめないか。自分を犠牲にするのは」
(中略)
「犠牲? ふざけんな。当たり前のことなんだよ、俺にとっては」
(中略)

「いつも、ひとりだからな。そこに何か解決しなきゃいけないことがあって、それができるのは俺しかいない。なら、普通に考えてやるだろ」

(中略)
「君が……、君が誰かを助けるのは、誰かに助けられたいと願っているからじゃないのか」
 決定的だった。
 やはりこいつはわかっていない。

(渡航『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。⑧』p.202より)

八幡にとって、彼のやり方は「犠牲」ではない。

「犠牲」とは一般に、何か大切なものと引き換えに、より大切なものを得る行為のことだ。しかし八幡は何も大切なものを失っていないし、あるいはその見返りとして、他の大切なものをもらったわけでもない。

だから、八幡のやり方は全く「犠牲」とは言えない。

 

したがってもちろん、彼は「助けられたい」という見返りを期待しているわけでもない。

しかし葉山は、他者は、そこに「意味」を見出したくなってしまう。納得できないことに理由をつけたくなってしまう。他者の中には、「気持ち悪い同情押しつけて勝手に憐れ」*1んでしまう者がいる。

どうして他者はそのように誰かを憐れみ、誰かに同情するのだろうか?

 

ⅲ. 憐れむ者にこそ、同情する者にこそ、願望や欲望がある

そこには自分勝手な願望・欲望がある。

つまり、憐みや同情を向けられる側の人間が助けを求めているのではなく、むしろ憐みや同情を向ける側の人間こそが、相手に助けを求められたいと思っているのではないだろうか。

 

ここで言えば、葉山は「君が誰かを助けるのは、誰かに助けられたいと願っているからじゃないのか」と言うわけだが、そう言う葉山こそが、誰かに助けを求められたい、誰かに救いを求められたいという願望・欲望を持っているのではないだろうか。

もちろん、葉山が本当に救いたかったのは雪ノ下雪乃だ。しかし葉山は雪乃を救えなかった。だから葉山はここで雪乃を救いたいという願望を八幡になすりつけようとしていたのではないだろうか。

 

結局のところ、そのような憐みや同情は、八幡のやり方を説明するのには完全に的外れだ。

しかしながら、憐みや同情とは違っても、同じような他者の「客観」があったということこそ、7巻(京都)で八幡が「まちがえ」た本当の理由だと言える。

 

ⅳ. 「ただ傷ついてほしくない」

結論から言えば、7巻(京都)で八幡が「まちがえ」たのは、「傷ついてほしくない」という「客観」を想定していなかったからだ。

 かつての俺のやり方はけして犠牲なんかではない。まちがってなどいない。
 数少ない手札を切り、効率化を極め、最善を尽くした。その結果、得たものが確かにある。
 だから、俺の主観においては、これは完璧だといえる。
 しかし、客観が存在した場合、その完璧性は崩れる
 憐みや同情の視線によって、それは陳腐なナルシシズムにさえ映ってしまう。憐みと同情は他者を貶める感情だ。自己憐憫は己を卑下する行動だ。どちらも唾棄すべきものであり、まったくもって醜悪だ。
 だが、憐みと同情以外の客観性もおそらくは存在し得る。
 目の前でまざまざと見せつけられて、初めて自覚した。
 ただ傷ついてほしくない
 その感情は憐みや同情とは別のものだろう。
 だから、彼女の行動を犠牲とは絶対に呼ばない、呼ばせてはならない。
 雪ノ下雪乃と由比ヶ浜結衣を生徒会長にさせないために。
 比企谷八幡にできることは、なんだ。

(渡航『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。⑧』p.253より。太字は筆者による)

これまで世界が主観で成り立ってきたぼっちの八幡は、京都でもそれまで通り、彼のやり方を貫く。

しかしそこで一つ計算違いだったのは、彼の世界がもはや主観だけでは成り立たなくなっていたということだ。

彼の世界には、雪乃が、結衣が入り込んでいた

だから彼女たちは傷ついてしまった。「あなたのそのやり方、とても嫌い」、「人の気持ち、もっと考えてよ……」と言わせてしまった。

 

だからこそ、8巻で八幡はそれを自覚し、彼女たちの行動を「犠牲」とは呼ばせないために、策を弄した。

そう、策を弄してしまったのだ。

 

Ⅲ. 8巻での「まちがい」

ⅰ. 「変わりたくない」というまちがい

「雪ノ下雪乃と由比ヶ浜結衣を生徒会長にさせないために」、彼は策を弄した。弄してしまった。しかしだからこそ、彼はもう一度「まちがえる」こととなった。

 

まず、それはある意味では7巻と同じ「まちがい」だ。

彼は「傷つけたくない」という客観に気づいていた。それなのに、彼は「奉仕部を変えたくない」つまり「変わりたくない」という彼の主観にしたがって、策を弄してしまった

「変わりたくない」という気持ちに囚われたままだったという点で、8巻の八幡の「まちがい」は7巻と同じ「まちがい」だと言える。

 

ⅱ. 「感情は理解していない」

しかしそれよりもっと根本的な「まちがい」を彼は犯している。

それはすなわち、「感情は理解していない」という「まちがい」だ。

 理性の化け物とそう言われたことがある。
 だが、理性とは感情の対義である。
 故に、理性の化け物とは、感情を理解しない、人に劣る存在だと、そう言われたのではなかったか。人を人として見ない、自らの意識に囚われ続ける、人未満の存在だと。

(渡航『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。⑧』p.356より)

「自意識」とは、自分についての意識、自我の意識のことだ。

八幡は、ぼっちであるがゆえに、その「自意識」が「化け物」のように強力になっている。だから彼は「世界は俺の主観だ」*2と言ってしまえるし、「主観」だけで物事を考え、「まちがえて」しまう。

 

そして8巻においても、上述したように、八幡は「傷つけたくない」という客観に気づいていながら、「変わりたくない」という主観で動いていた。

だから彼は雪乃に「わかるものだとばかり、思っていたのね……」*3と言わせてしまった。八幡は、雪乃の生徒会長になりたかった、という秘められた「客観」を見逃してしまったのである。

 

こうして、比企谷八幡はまちがえる。

 

Ⅳ. 「そんな本物を、俺も彼女も求めていた」

こうして比企谷八幡はまちがえ、再び「欺瞞」に加担する。

彼が策を弄し、苦労して得たものは、皮肉にも彼が敬遠してきた「上っ面で横滑りの空虚な時間」、彼と彼女が「もっとも嫌ったはずのうわべだけの馴れ合い」だった。

そして彼は過去を振り返り、そこで初めて、彼が、あるいは彼女が本当に求めていたものに気づく

 俺は気づくべきだったのだ。
 俺が欲したのは、馴れ合いなんかじゃない。
 きっと本物が欲しくて、それ以外はいらなかった。
 何も言わなくても通じて、何もしなくても理解できて、何があっても壊れない。
 そんな現実とかけ離れた、愚かしくも綺麗な幻想を。
 そんな本物を、俺も彼女も求めていた。

(渡航『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。⑧』p.342より)

考えてみれば、彼は客観に気づきながら、その「客観」すらも「まちがえて」いた

彼は「ただ傷ついてほしくない」という、その「客観」を理解したつもりだった。

だが彼が求めた「本物」は、「傷つけたくない」という願望の先には決して手に入らないはずの性質のものだ。

 

なぜなら「本物」は、誰かを「傷つける覚悟」をして初めて手に入るはずのものだからだ。

「誰かを大切に思うということは、その人を傷つける覚悟をすることだよ」

彼がそう言ってもらい、本当の客観に気づくのは、まだ少し先の話だ。

 

 

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*1:渡航『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。⑧』p.203より

*2:渡航『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。⑧』p.202より

*3:渡航『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。⑧』p.332より