再びの「金枝篇」
前回は『ダリフラ』と『金枝篇』との類似、中でも「湖」との類似に注目し、その「湖」がどのような「場」として機能しているのかを考察しました。
今回は『ダリフラ』と『金枝篇』との類似の中でもメインとなるような類似、すなわち「祭司殺し」との類似をもとに考察をしていきたいと思います。
祭司∽パラサイト
「祭司殺し」とは?
「祭司殺し」との類似を考察していく前に、まず「祭司殺し」とは何かということを確認しておきたいと思います。
前回と同じようにWikipediaから引用します。
イタリアのネミの村には、ネミの湖と呼ばれる聖なる湖と、切り立った崖の真下にあるアリキアの木立とよばれる聖なる木立があり、木立には聖なる樹(ヤドリギ)が生えていた。この樹の枝(金枝)は誰も折ってはならないとされていたが、例外的に逃亡奴隷だけは折る事が許されていた。
ディアナ・ネモレンシス(森のディアナ)神をたたえたこれらの聖所には、「森の王」と呼ばれる祭司がいた。逃亡奴隷だけがこの職につく事ができるが、「森の王」になるには二つの条件を満たさねばならなかった。第一の条件は金枝を持ってくる事であり、第二の条件は現在の「森の王」を殺す事である。
この「祭司殺し」に関して、『金枝篇』の著者フレイザーは、以下の2つの質問を提示しました。
- ネミにいたディアーナの祭司、森の王は、なぜその前任者を殺さねばならなかったのか?
- 前任者を殺すに先だって、なぜ「金枝」を折りとらねばならなかったのか?*1
フレイザーはこの2つの疑問を解決すべく、他の地域の文化を徹底的に調べ上げ、その結果得られた膨大な量の事例とともに、その答えを『金枝篇』として出版したのでした。
ここでは都合上、先に上の2つの疑問に対する答えをあらかじめ記しておきたいと思います。
膨大な事例から得られた結論はそう単純なものではないのですが、まとめると以下のようになります。
- 祭司の生命は共同社会の安寧や一般自然の運行と密接にリンクしていると考えられていたため、祭司の死・老い・病気はそのまま共同社会や自然の衰退・滅亡につながると捉えられた。したがって祭司が病にかかったり、老いたり、死んだりする前に、これを殺して新しく活気あふれる祭司に取って代わられなければならなかった。
- 祭司の護っていたカシワ樹の生命は、そこに寄生していたヤドリギに凝集されており、また祭司はそのカシワ樹の表象であった。つまり祭司の命は、カシワ樹の生命であるヤドリギと同一視されていた。したがって、祭司を殺す際には、その祭司が表象しているカシワの樹の生命たるヤドリギの枝も折らなければならなかった。
一番のポイントは、祭司がカシワの樹の表象と捉えられていた、すなわち、祭司とカシワの樹、ひいてはヤドリギは同一視されていたという点にあります。
ではこの「祭司殺し」と『ダリフラ』との類似はどこにあるのでしょう?
祭司∽パラサイト
まず、パラサイトは祭司に見立てられるのではないかということが考えられます。
理由は3つです。
- 祭司の生命がヤドリギという半寄生植物と同一だとみなされていることと、フランクスに乗るコドモたちがパラサイト=寄生生物とみなされていることが類似している
- 祭司がカシワの樹という植物の表象であるとみなされていることと、ピスティルがフランクス(=植物)*2自身だとみなされていることが類似している
- ネミの祭司と類似のアジアの祭司たちが去勢されており、またネミの祭司が使えるディアーナが貞節の女神であったということが、コドモたち、とくに13部隊のコドモたちが性知識を有さないということに類似している
これらをまとめて言えば、祭司のありさまとパラサイトのありさまというのが似通っているからということになります。
では、もしパラサイト→祭司と見立てられるのならば、どのようなことが言えるのでしょうか。
①フランクス、ステイメン・ピスティルが植物由来の名前であることの説明
まず、パラサイト→祭司と見立てられるのならば、それはフランクスやステイメン・ピスティルが植物由来の名前であることの説明になると考えられます。
そもそも、どこから「フランクスの名を植物由来にして、それに乗るパラサイトをステイメン=おしべ、ピスティル=めしべと見立てよう」という発想が生まれたのかが謎でした。
『ダリフラ』はオリジナルアニメですから、一からその世界観が創られたわけですが、それならば別にフランクスの名前を鳥や魚の名前由来にしていたってよかったはずです。
しかしそれでも植物にした、あるいは植物でなければならなかったということは、そこには何かしら意味があると考えられます。
そこで考えられるのが、『金枝篇』が下地にあったということです。
つまり、まず『金枝篇』という下地があって、「なるほど、祭司は樹の表象なのか。それならフランクスも植物の名を冠させてはどうだろう。そしてそのフランクスの生命線を司るパラサイトたちには、植物の生命を左右するおしべ・めしべ、(日本語だとダサいから)ステイメン・ピスティルにしよう」と決まっていったのではないでしょうか。
もちろんこれは推測にすぎず、もっとより深い理由もあるかもしれませんが、理由の1つとしてはありえると言えるでしょう。
②フランクス=ピスティル
次に、パラサイトが祭司に見立てられるのならば、祭司=聖樹の表象という『金枝篇』の要点がピスティル=フランクスという設定に生きていると考えられます。
フランクスがピスティルそのものであるという設定はかなり初期からPRされていましたし、本編でもそれを象徴するように、フランクスが負う物理的なダメージはピスティルが受けており、また、ピスティルが精神的なダメージを負うとフランクスは動かなくなってしまいます。
これは祭司の生命がカシワの樹、ひいては共同社会の安寧や一般自然の運行と密接に関連しているという構造によく類似しています。
今はまだピスティル↔フランクスという狭い規模でしか影響しあっていませんが、ネミの祭司が共同社会や自然の運行という広い範囲に影響をもたらすと考えられていたことを踏まえると、この先ピスティルの状態がコドモたちの人間関係、あるいは世界の運命をも大きく左右するという展開も考えられます。
現にピスティルであるゼロツーは、「世界を救う鍵」と言われています。
ただこれに関しては『金枝篇』のうちの他の類似で語れそうなのですが、これは次回の考察で見ていこうと思います。
ひとまず今は、祭司→パラサイトと見立てると、パラサイトの中でも特にピスティルがフランクス自身であるという設定の説明になるのだ、ということを言うにとどまりたいと思います。
③「祭司殺し」∽「パートナー殺し」
そして祭司∽パラサイトと見立てられるのならば、「祭司殺し」∽「パートナー殺し」と見立てられるのではないでしょうか。
まず「パートナー殺し」という語感からは「祭司殺し」が連想されます。
さらに語感だけではなく、「祭司殺し」と同様のことが「パートナー殺し」でも行われていると考えられます。
つまり、「祭司殺し」で、祭司が病気・老い・死に直面しそうなときに殺されて次の祭司に代わるように、「パートナー殺し」でもパートナーが使い物にならなくなった時に次のパートナーに代わってるのではないでしょうか。
現に、ヒロはゼロツーと乗っても使い物になるからこそ、その座を誰にも代わられていない、あるいは代わる必要がないのではないでしょうか。
しかしこれは逆に捉えればヒロも取って代わられる可能性があるということです。
もしもヒロが使い物にならなくなるか、あるいは病気や老い、死によって共同社会や自然に悪影響を及ぼすようならば、ヒロは切り捨てられてしまうのかもしれません。
誰が逃亡奴隷か?
しかし、「祭司殺し」と「パートナー殺し」とでは綺麗に類似しない点があります。
それは誰が逃亡奴隷か?という一言に集約されます。
つまり「祭司殺し」においては、前任の祭司は逃亡奴隷=次の祭司に殺されるわけですが、「パートナー殺し」では前任のパートナーは次のパートナーではなく、ゼロツー(の影響)によって殺されます。
このことから言えるのは、『金枝篇』と『ダリフラ』は必ずしも綺麗に一致するわけではないということです。
そもそも、どんな作品でも言えることですが、何か下敷きになる背景があったとしても、その作品がその背景を綺麗になぞるとは限りません。
あくまで下敷きは下敷きなのです。
『金枝篇』との類似を探るというこの試みとは矛盾するようですが、『ダリフラ』は決して『金枝篇』の内容の完全なる再現を行おうとしているわけではないと考えられます。
そもそもなぜ何かを引用したり、下地にするという試みが行われるのでしょう?
それはもちろんその下地になる作品と同じことを言うためでもありえますが、引用や下地によって深みをもたせたり、あるいはより深いこと、または別の新しいことを主張するためであることもあります。
これは初めに断っておくべきことだったのかもしれませんが、とにかく、『金枝篇』と『ダリフラ』が完全に合致するとは限らないということは言っておきたいです。
ただ、やはり本編に直接『金枝篇』が登場したからには、何かそこから読み取れることや、それを下地に考えられたこと、あるいはそれとの類似から推測できることがあると考えられます。
そのような可能性の考察を進めているというのが本考察の立場だということは明確にしておきたいです。
アルテミス∽ゼロツー
今回は『金枝篇』のうち、「祭司殺し」との類似を探りました。
本当は、今回「ディアーナ」≒「アルテミス」と「ゼロツー」との類似についても考察しようと思っていたのですが、色々な都合から今回は「祭司殺し」との類似の考察にとどめました。
特に、次回予告を見ると、次回はゼロツーとイチゴとの間でなにやら動きがあるようでしたから、アルテミスがオリオンを誤射して殺してしまったことを嘆いたというオリオン座の神話から、ゼロツーがイチゴに何か危害を加える可能性を考察したかったのですが、今全部言ったのでOKです!
本来ならば、『金枝篇』についての考察は早めに終えたいところなのですが、なかなかそういうわけにもいかず……
自分の実力不足によるところも大きく、その点については申し訳なく思います。
ただ、『金糸篇』は内容的にもそれだけの時間をかける価値があると考えています。
ともかく、次回はアルテミスとゼロツーの類似について考察していきたいです。
本編も後半に差し掛かり、これから山場へ向けて展開していくと思うと、楽しみでもあり、不安でもあり……
今日放映する14話も「罪と告白」と何やら意味深なタイトルですね。
大きく展開があることを期待したいと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました。
それではまた次回お会いしましょう。
<参考文献>
『金枝篇』(一)~(五) フレイザー 著 永橋卓介 訳 (岩波文庫,1951)
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