『金枝篇』
ヒロ「この本に『聖なる樹』って出てきてさ」
イチゴ「聖なる木?」
ヒロ「それがヤドリギのことなんだって。ガーデンの中にもあるらしいからいつか見てみたいなあ」
(『ダーリン・イン・ザ・フランキス』第12話より)
そう語りかけるヒロの手元にあった本が "THE GOLDEN BOUGH" 、『金枝篇』です。
『金枝篇』とは、イギリスの社会人類学者ジェームズ・フレイザーによって綴られた、未開社会の神話・呪術・信仰などを蒐集・比較研究した書物です。
今回はその『金枝篇』と『ダリフラ』との類似でも特に、「湖」との類似を中心に考察していきたいと思います。
『金枝篇』とは?
本来はばかれるのですが、一番手っ取り早く、またわかりやすくもあるので、Wikipediaから引用します。
『金枝篇』(きんしへん、英: The Golden Bough)はイギリスの社会人類学者ジェームズ・フレイザーによって著された未開社会の神話・呪術・信仰に関する集成的研究書である。金枝とはヤドリギのことで、この書を書いた発端が、イタリアのネーミにおける宿り木信仰、「祭司殺し」の謎に発していることから採られた。 完成までに40年以上かかり、フレイザーの半生を費やした全13巻から成る大著である。*1
上にもあるように、金枝とはヤドリギのことであり、このヤドリギにまつわる「祭司殺し」の謎を解明すべく、フレイザーは『金枝篇』を記したのですが、その「祭司殺し」の伝説とは以下のようなものです。
イタリアのネミの村には、ネミの湖と呼ばれる聖なる湖と、切り立った崖の真下にあるアリキアの木立とよばれる聖なる木立があり、木立には聖なる樹(ヤドリギ)が生えていた。この樹の枝(金枝)は誰も折ってはならないとされていたが、例外的に逃亡奴隷だけは折る事が許されていた。
ディアナ・ネモレンシス(森のディアナ)神をたたえたこれらの聖所には、「森の王」と呼ばれる祭司がいた。逃亡奴隷だけがこの職につく事ができるが、「森の王」になるには二つの条件を満たさねばならなかった。第一の条件は金枝を持ってくる事であり、第二の条件は現在の「森の王」を殺す事である。*2
「湖」、「聖なる木」、「ヤドリギ」と、『ダリフラ』にも登場するモチーフがここに見て取れます。
ではそのようなモチーフの登場する『金枝篇』はどのように『ダリフラ』と関わっているのでしょう?
以下では『金枝篇』と『ダリフラ』、中でも「湖」との類似を探り、それが果たす役割について考察していきたいと思います。
「湖」という「場」の理論
神聖な「場」
ヒロとゼロツーとの関係性を物語る「場」
『ダリフラ』において重要な役割を果たしているのが「湖」です。
「湖」は、第1話ではヒロとゼロツーの邂逅の場、第5話ではヒロがゼロツーに3回目の同乗を誓った場、第12話ではヒロがゼロツーに告白する場となっています。
要するに、「湖」はヒロとゼロツーの関係の経過を物語る上で非常に効果的な「場」として機能しているのです。
そればかりか、「湖」の様相やヒロとゼロツーの宿命めいた転機からは、どこか神聖な雰囲気さえ感じ取れます。
「湖」がそのような効果をもつ重要な「場」となっている理由が、『金枝篇』との類似にあると考えられます。
ネミの湖
『金枝篇』で主題となっていた「祭司殺し」の舞台となっているのがネミの湖です。
「祭司殺し」で殺される祭司は、このネミの湖が讃えているとされるディアーナという女神に仕えているのでした。
つまり、この湖は女神を讃えている聖なる場としての役割をもつのです。
そのような聖なる場であるネミの湖を下敷きにしていると思われる『ダリフラ』の「湖」ならば、ヒロとゼロツーが重要な転機を迎える重要な「場」としてふさわしく、またそのような転機に神聖さを醸し出す効果が期待できると言えるでしょう。
しかし「湖」の効果はこれだけにとどまりません。
鏡としての「場」
ディアナの鏡
ネミの湖は、『金枝篇』でフレイザーが言うように、古来から「ディアナの鏡」*3と言われてきました。
「沈静した水面を眼にしたものは、これをけっして忘れることができない」*4と言われるほど、ネミの湖は美しかったわけです。
しかし湖が鏡のように事物を照らし出すならば、それはゼロツーにとって苦痛となりうるはずです。*5
「早く人間になりたい」
「湖」が鏡の役割を果たすならば、鏡を見て自身の叫竜性に苦悩するように、「湖」に対面して、自身の叫竜性を苦痛に思うことがあっても不思議ではありません。
実際第12話では、「湖」に向き合っていたゼロツーが自身の叫竜性を自覚させられたかのように、「時間がないんだ。たくさん殺さなきゃ、叫竜を。もっともっとたくさん。はやく人間になりたいんだ」と焦りを口にします。
以上のことから第12話での「湖」は、あたかも鏡を見たかのように、ゼロツーが自身の叫竜性に苦悩する場として機能していると考えられます。
また、叫竜性に関して言えば、第1話の「湖」が叫竜性を否定するような役割を果たしているとも考えられます。
浄化の「場」
「湖」で泳ぐゼロツー
第1話の「湖」でゼロツーは泳いでいます。
しかしそもそもなぜゼロツーは「湖」で泳ごうと思ったのでしょう?
その理由の1つとして、自分の叫竜性を否定したかったからということが考えられます。
「自分の味はキライだな」
第1話冒頭でゼロツーは「お風呂に入りたいなあ」、「綺麗な海で泳ぎたいなあ」、「自分の味はキライだな」と立て続けに不満を述べます。
これらは自分に染み付いた叫竜のにおいや味を消したいという意志の表れではないでしょうか?
同じ場面でもゼロツーは「ボクってどんなにおい?」と自分のにおいを気にしますし、第11話ではSプランニング進行地点で「叫竜のにおいでむせ返りそう」と叫竜のにおいへの嫌悪をあらわにしています。
ゼロツーはそのような叫竜のにおいや味を嫌って、お風呂や海、最終的には「湖」で叫竜性を洗い流そうとしたのではないでしょうか。
しかし第1話でゼロツーが「湖」に来た理由はそれだけではないと考えられます。
再開の「場」
「あ!見つけた!」
第1話でゼロツーが「湖」に来たもう1つの理由は、ヒロに会うためだと考えられます。
その理由として、ゼロツーがヒロのいるミストルティンからかなり離れた上空から「あ!見つけた!」とつぶやいていることが挙げられます。
前後の映像からしても、「見つけた!」というのはヒロを見つけたという意味だと解釈できるのですが、単純に考えるとそれほど遠距離から知らない誰かを見つけるのは困難なように思われます。
しかし第12話に示唆されているように、ヒロとゼロツーが過去にあったことがあるのならば、ゼロツーが見知った(あるいは探していた)ヒロを「見つけた!」と言っても不思議ではありません。
差し伸べられた手
12話予告「目の前にあたたかな手が差しのべられたんだ」
— 才華 (@zaikakotoo) 2018年4月7日
第1話「その差し出された手に、僕は……」
ゼロツーはどんな想いでヒロに手を差し出したのだろう……#ダリフラ pic.twitter.com/vPMlPLx0Yg
また、過去にヒロとゼロツーが会っているならば、第1話の「湖」は再開の「場」としての役割をもちます。
第12話で示唆されているようにヒロとゼロツーがガーデンで出会ったのならば、そのガーデンにある湖と同様の場所である第1話の「湖」は再開の場としてふさわしいと言えます。
そのような「再開」を象徴するように、第1話では第13話で放映されるであろう構図とは対象的な構図で、ゼロツーがヒロに手を差し伸べます。
詳しいことは第13話を見なければわかりませんが、このことも「湖」がヒロとゼロツーの再開の「場」として十分ふさわしいと言える査証となっています。
さらなる類似
今回は『金枝篇』と『ダリフラ』との類似のうち、「湖」との類似を中心に考察してきました。
上でも述べましたが、「湖」は『ダリフラ』で重要な「場」となっており、これからも物語の要所要所で非常に重要な「場」となってくると考えられます。
『ダリフラ』の全話が終了すれば、また新たに「湖」について語れるかもしれません。
また「湖」に関してならば、他の作品と比較などをしてまとめあげれば、かなり手の込んだ「研究」とすることもできるかもしれません。
今後も「湖」に注目して見ればおもしろいでしょう。
それよりも、『金枝篇』についてはまだまだ語れることがたくさんあります。
というより「湖」との類似はどちらかと言えばサブで、「ヤドリギ」や「祭司殺し」との類似の方がメインといってよいでしょう。
これらについてはまた次回考察したいと思います。
最後まで読んでくださってありがとうございました。
それではまた次回お会いしましょう。
<次↓>
<ダリフラ考察まとめはこちら↓>
*1:金枝篇 - Wikipediaより引用
*2:金枝篇 - Wikipediaより引用
*3:『初版 金枝篇』J.G.フレイザー 著 吉川信 訳 (ちくま学芸文庫,2003)参照
*4:『初版 金枝篇』J.G.フレイザー 著 吉川信 訳 (ちくま学芸文庫,2003)より引用
*5:「鏡」がゼロツーにどのような苦痛をもたらすかについてはダリフラ本編考察⑩「鏡」のゼロツーは人間を夢見るか?<前編> - zaikakotoo’s diary参照